第88章 ~汽車~
「…………!!」
モルディーア王国の廊下で、「魔族」の女は閉じていた目を開けた。
まるで何かを感じ取ったかのような様子である。
「使えないヤツめ、しくじりやがったカ……」
壁の燭台に灯された炎が不規則に揺らめき、暗い廊下を照らす中、まるで狂気を押し出すかのような口調で、彼女は言葉を紡ぐ。
顔の半分を隠す程に伸ばされた白髪、紫色の瞳。そして、「魔族」の特徴である、生気を感じさせない程に白い肌。
彼女の名は、「ザフェーラ」。「魔族」最強の配下、「魔卿五人衆」の一人。
「キミの小細工は失敗に終わったみたいだネ、ザフェーラ」
後方からの声に、ザフェーラは振り向く。
「もしかしテ、あのアルカドール君主、ユリス女王がそう簡単に排除出来るとでも思ったのかイ?」
ザフェーラの後方に立っていた者は、そう続けた。
仮面で顔の上半分を隠した、特徴ある口調で話す「魔族」の少年。彼の名は、「クラウン」。
ザフェーラと同じ、「魔卿五人衆」の一人である。
「……ワタシに何の用だ、このクソチビ」
ザフェーラが憎々しげに問いかけると、仮面の少年は彼女へと歩み寄る。
「一つだけ、キミに言っておきたい事があってネ」
人差し指を立てつつ、彼は続ける。
「ヴィアーシェと一緒にベイルークの塔へ『魔石』を回収に行った時、興味深い物を見つけたのサ」
クラウンは、脳裏に思い浮かべていた。ベイルークの塔で、ロア達三人と遭遇した時の事を。
茶髪の少年が一人と、オレンジの髪の少女が一人。
そしてもう一人、まるで新雪のような純白の毛並を持つ、兎型獣人族の少年。
確か、彼は茶髪の少年から「イルト」と呼ばれていた。
「他の下等種族共はキミの好きにして構わないからサ、『イルト』っていう兎型獣人族だけはボクにくれないかイ?」
ザフェーラの察する所、クラウンの言う「興味深い物」とは、その「イルト」という者の事らしい。
「……勝手にしろ」
一言で返事を返すと、ザフェーラはその長い白髪を揺らしつつ、歩き去って行った。
廊下に残されたクラウン、彼はもう一度、塔で遭遇した「イルト」の姿を思い出す。
純白の毛並に、長い耳。綿毛のような尻尾。そして、彼の両腕に嵌められていた、金色の腕輪。
「(あの腕輪、やはり間違い無イ。クク……面白い事になりそうだネ)」
不敵な笑みを浮かべつつ、クラウンは心中で呟いた。
「わー……」
「思ってたよか、デカいな……」
「これが、汽車……」
順番に、アルニカ、ルーノ、ロア。三人とも肩掛け鞄を下げ、ユリスから贈られた魔石付の武具を持っていた。
時はユリスへの暗殺未遂が起こった日の翌日、場所は蒸気音が響く駅の乗り場。
石炭や金属の匂いが漂う中。彼ら三人は眼前に佇む鉄の塊を見上げ、感嘆の声を漏らす。
これまでの生涯の中、汽車を利用する機会どころか見た事すら無かった三人にとって、初めて見る汽車という物は、衝撃的な何かを感じさせた。
一目で見渡せない程大きな体格は山のような荘厳さを感じさせ、辺りに響かせる蒸気音は、勇ましさに満ちている。
「こんなでっかい鉄の塊が、ホントに走んのか?」
と、ルーノ。乗り場に吹く風が、彼の長い両耳を揺らしていた。
「走るに決まってるでしょ? 汽車は蒸気技術発展の象徴だって、ヴルーム先生も言ってたし」
アルニカのオレンジの髪も、風に靡いていた。
辺りを見回してみると、人々は何の戸惑いも無く、汽車に乗り込んでいく。
「アルニカ、ルーノ」
ロアは二人を呼びつつ、ポケットから何かを取り出す。小さな封筒だ。
封を解き、中身の三枚の切符を取り出す。三枚の内の二枚を片手に取り、ロアは切符を二人に手渡した。
ちなみに、この切符はユリスがロア達の為に手配した物である。
「行こう。もうそろそろ時間だよ」
ロアは二人を促し、汽車の乗車口へと歩を進め始める。アルニカとルーノは彼の後ろ姿に続く。
汽車が発する蒸気音が、近付くにつれてより鮮明に耳へと届き、ロア達の鼓膜を振動させた。
「!!」
ヴァロアスタ行きの汽車に乗り込んだロア達に、車内の入り口付近に立っていた一人の男性が手を差し出した。
黒い服に身を包んだ、大柄な男性である。
「え……?」
突然視界に現れた、大柄な黒服男性。
どうすればいいのか分からず、ロア達は困惑する。
「……切符を拝借」
痺れを切らしたのか、男性はロア達三人に一言。
「あ、ロア、きっとこの人が『車掌』さんなんじゃない?」
アルニカがロアに言った。
彼女の言葉で、茶髪の少年はリオの言葉を思い出す。
切符を持って汽車に乗り、「車掌」という人に切符を見せれば、汽車に乗ることが出来る。
ショートヘアの快活少女は、確かにそう言っていた。
「そっか……!!」
ロアは、黒服の男性に切符を差し出した。男性は、無言で受け取る。
この子達は、汽車に乗るのは初めてなのだろうか? おそらく、この「車掌」という人はそう思ったに違いない。
切符を数秒見つめた後、男性はクルミ割り機に似た器具を取出し、パチン、と切符に切り込みを入れた。
その後、男性はアルニカとルーノの切符も順番に受け取り、同じように切り込みを入れた。
三人の少年少女を車内に招き入れるような仕草を取りつつ、
「どうぞ、目的地までの良い旅路を」
これで、汽車に乗ることが出来るようだった。ロア達は車内へと入り、ドアを開け、座席室へと足を踏み入れる。
荘厳さを漂わせていた外観に比べると、車内は明るく、清掃が行き届いていた。
座席は、全て進行方向に向いて設置されている訳では無く、数人が向かい合う形で腰掛けるようになっているらしい。
二対となる座席の間には、木製のテーブルが設置されていた。
「……空いてる席、見当たらないね」
ロアは、アルニカとルーノに小声で呟く。
ざっと見渡した所、座席は全て埋まっていて、空席は見当たらない。
さらに、他の客は皆、大人ばかり。ロア達のような子供は、見受けられなかった。
「もし空いた席が無かったら、どうすんだ?」
空席を探しつつ、ルーノはロアに問う。
「その時は……まあ、立って乗るしかないと思う」
と、ロア。
「終点のヴァロアスタまで? それはちょっと、キツいかも……」
と、アルニカ。
けれど、ロアの言うように、立ち乗りをせざるを得ないかも知れない。一両づつ空席を探して周るものの、空席が見当たらないからである。
どの車両の、どの席も、既に座られていた。
「(これは本当に、立つしかないかな?)」
ロアは心中で呟きつつ、空席を探す。
が、探し始めてから数分程。彼の予想に反し、空席が見つかった。
「!!」
しかし、完全な「空席」とは呼べないかも知れないが。
通路から向かって右側の席の奥、すなわち窓際に、一人の少女が腰掛けていた。
彼女は窓に視線を向けている為、顔は視認できない。けれども、後ろ姿だけで「獣人族」だと分かる。
薄紫色の毛並を持つ、猫の「獣人族」だ。
まるで佇むように腰掛けている彼女の周りは、空席。しかも、運よく三人分の席が空いていた。
やがて、アルニカとルーノも、その空席に気付いた。
けれども、既に座っている少女がいる所為だろうか、少しばかり、気が引ける。
「あの……」
アルニカが、猫型獣人族の少女の背中に話しかける。
彼女は窓から視線を動かし、ロア達を振り返った。小柄で可愛らしい容姿に反し、凛とした瞳を持っている。
さらに、彼女は左右で目の色が違った。猫型獣人族の一部に現れる体質、「オッドアイ」である。左目は黄色く、右目は水色。
「ここ、座ってもいいですか? 他に席、空いてなくて……」
蒸気音が低く響く車内で、アルニカは問う。
「……」
薄紫色の毛並を持つ少女は、無言で彼女を見つめる。
そして、アルニカを見つめた後、次はルーノと視線を合わせ、次にロアと視線を合わせ――こう答えた。
「構わんよ。私も丁度、話し相手が欲しかった所でね」