第86章 ~決断~
アルニカから諭されたロアとルーノ、互いに顔を見合わせて、二人は黙考する。「ニーナ=シャルトーン」という人物の事は、僅かたりとも知らない。
種族も分からなければ、どんな性格の持ち主で、どんな容姿をしているのかも分からない。
ユリスが言うように、本当に「魔族」に委ねるような者ではないのかも、定かではない。
分かる事は、まず女性であること。そして、ヴァロアスタの騎士団長を務めるだけの強さを備えている、ということだけだ。
黙考開始から数秒後、二人の少年が出した結論は、
「……分かったよ。その人の事、信じてみる」
「……オレも」
顔も知らない、「ニーナ=シャルトーン」を信じる方向に決めたようだ。
二人の言葉を受けたユリスは、
「ありがとう二人とも。ロディアス、ニーナにこの事を伝えておいて下さい」
傍らにいた男性、ロディアスにそう命じた。
ユリスに忠実な騎士は、「承知いたしました。直ぐに」と言い残し、その場から去る。
女王ユリスへの暗殺未遂が起きた事、そしてロア達をヴァロアスタに送る事を、「ニーナ=シャルトーン」に通達する為だ。
その方法は、鷲の足に文書を括りつけてヴァロアスタへと飛ばし、ニーナの下に届けるというもの。
遠い国に手紙などを送りたい場合は、割合用いられる方法である。
「ねえ女王様、あたし達エンダルティオには、何か出来ることってない?」
名乗り出たのは、ショートヘアの快活少女、リオ。
魔族の手掛かりを掴む為、ロア達がヴァロアスタに赴くと言うのに、自分は何もせずにいるというのは、どうも性に合わないらしい。
「どうかご心配なく、リオ」
ユリスは続ける。
「エンダルティオには、騎士団と連携し、この国の警護を任せます」
「再び、『魔族』が刺客を差し向けて来ないとも限らないからな」
犬型獣人族のヴルームが補足した。
今回、ユリスの暗殺は失敗に帰した、しかし、「魔族」がこのまま黙っているとは限らない。
ヴルームの言うように、再び刺客を差し向けてくることも、十二分に考えうる。
「それに、『魔族』の標的が私だけとは限りません。今度は、関係の無い人々をも狙う可能性も……」
それは、国を治める立場にあるユリスにとって、最も考えたくない可能性。
関係の無い人々を巻き込むような事態は、何としても避けなければならない。
「イワン、リオ、そしてカリス。あなた方から、エンダルティオ全員に通達をお願いします。『魔族』の手から、この国を守って下さい」
「オーケー、後で全員に伝えとく」
「わかったよ。あたし達の出番だね」
イワンとリオ、貴族の兄妹二人は、そう快諾した。
カリスは眼鏡に触れつつ、小さく頷く。
「それで、オレ達はどうやってヴァロアスタに向かえばいいんだ?」
ルーノがユリスに問う。
ロアとアルニカにとっても、聞いておきたい質問だった。
「ヴァロアスタへは汽車が通っています、汽車に乗れば、数時間程度で着けると思いますが、どうでしょう?」
女王の提案に、ロア達三人は顔を見合わせた。
「汽車って……乗ったことある?」
「いや、オレはねえぞ?」
「私も……切符があれば乗れる、ってことは知ってるけど、それ以外は……」
どうやら、三人は汽車に乗った経験は無いらしい。
「別に難しくないよ? 切符持って乗って、んでもって車掌さんに切符見せればいいだけ」
と、リオ。
彼女はどうやら、汽車に乗った経験があるようだった。
「ヴァロアスタは確か終点だから、あとは着くまで座ってればいいだけだよ」
人差し指を立てつつ、リオは続ける。
「何事も経験が一番だろーよ、一度乗ってみたらどうだ?」
三人の後輩に、イワンは告げる。
汽車でヴァロアスタに向かうのが、最も手っ取り早い方法らしい。
状況的にも、議論している猶予は無さそうだ。
ロア、アルニカ、ルーノ、彼らは再び、三人で顔を見合わせ、
「どうする?」
と、ロア。
「……汽車、使おうぜ。他に方法を探してる余裕はねえんだろ?」
「私もルーノに賛成、ロアは?」
アルニカに聞き返されたロア。
彼は答えずに、ユリスに視線を向け、彼女と目を合わせ、小さく頷く。
それだけで、ユリスにはロアの意思が伝わったらしい。
「……わかりました。それではヴァロアスタ行き、三人分の切符を手配しておきます」
一方、アルカドール王国某所の草原。
二人の人物の姿があった。「魔族」の男と、白い毛並の兎型獣人族の少年、イルト。
イルトは男に掴みかかり、迫っている。
「俺は、アルカドール王国現君主、ユリス女王の暗殺を命じられただけだ……」
ユリスを殺害しようとした「魔族」の男を、イルトは追跡の果てに追い詰め、問い詰めている最中。
最早、「魔族」の男に抵抗する術は無かった。
銃も無い上、マンドレイク玉も防がれた。素手で挑んだところで、「獣人族」であるイルトに敵う筈など、無い。
「別に、あの娘に個人的な恨みがあるとか、そういう訳じゃねえ」
男は、まるで強張るように表情をしかめた。
ヒッポグリフの背中から叩き落された際のダメージが、残っているのだろう。
「単なる『仕事』として、俺は奴の命を狙ったんだよ」
まるで嘲笑するかのような、男の口調。
男の胸ぐらを掴むイルトの両手に、一層の力が籠った。
イルトにとって、ユリスは家族であり、親友でもある。
単なる「側近」や「従者」等とは言い表せない、立場を超えた、大切な存在。
彼女の命を、汚い手で奪い去ろうとしたこの男。どれだけ殴り倒しても、足りる筈は無い。
「……一体、誰に差し向けられた」
イルトは男に問う。
静かで淡々とした口調を、このような状況でも崩してはいなかった。
しかし、言葉の端々には、威圧的な雰囲気が籠っている。
怒りを曝け出して怒鳴るよりも、余程相手を恐怖させる雰囲気だ。
「え……」
数秒前まで、イルトを嘲笑するような態度を取っていた男。
しかし、今は明らかに、だじろいでいた。
男の胸ぐらを掴んだまま、イルトはさらに、問い詰める。
「誰に差し向けられた、と聞いている」
「うっ……」
男はもう、イルトを嘲笑する気など起こらなかった。
これ以上余計な事を言おうものなら、どうなるか。
「答えろ」
「お、俺を差し向けたのは、あの女だ……!!」
もう、余計な事を喋る気にはならなかった。
観念した「魔族」の男は、自分をユリス殺害に向かわせた者について、知っていることを話す。
「『魔卿五人衆』の一人で、名前は確か、ザフェ……ぐっ!?」
男が、自分を差し向けた者の名を伝えようとした、その時。
途端だった。「魔族」の男の様子が、急変したのだ。
一瞬、沈黙した後――。
「が……!! うがあああああああッ!!」
声帯から外れたような声を発したと思うと、両手で頭を抱え、草原の草の上で、のた打つように苦しみ始めた。
「!?」
イルトは困惑する。
逃げ出すための演技かと思ったが、そうではないらしい。
(まさか……魔法による催眠暗示か……!?)
イルトが心中で呟いた時。
声にもならない声を上げ続けていた男が、懐から茶色い袋と、二つの石を取り出した。
其処らに落ちているような、ただの石では無い。
二つ以上を打ち付けることで、容易に火花を発生させる性質を持つ石である。
「おぉぉおお!!」
意識を失ったような目をした男は、取り出した袋の中身を、空気中に振り撒いた。
赤茶色の、粉である。
毒物かと思ったイルトは、腕で口と鼻を覆い、粉を吸わないようにした。
(これは……爆薬……!?)
男が空気中に振り撒いた粉は、毒物では無いようだった。
匂いからして、爆薬らしい。
(こいつ……!!)
空気中に舞わせた爆薬の粉、手に持った火花を散らせる石。
男が何をしようとしているのか、イルトには容易に想像がついた。
そう。空気中に舞わせた爆薬の粉末に火花を散らせ、イルトもろとも、自爆する気なのだ。
すなわち、「粉塵爆発」を起こすつもりである。
「っ!!」
問い詰めるような状況では無かった。
イルトはすぐさま地面を蹴り、男から離れる。
一瞬の後、背後から凄まじい爆発音が轟き、イルトは衝撃波に押し出される形で、地面へと伏した。
「ぐっ!!」
肘を擦り剥き、白い毛並に血が滲む。
爆発を避けきれなかったのだろうか、背中に火傷の痛みを感じた。
周囲の酸素が一気に爆散した所為か、息が苦しい。
(もし口を割らされそうになった場合、自爆するように暗示をかけていたのか……)
火傷の痛みを堪えつつ、イルトは立ち上がり、後方を振り返る。
地面が爆発によって深く抉り取られ、辺りには焦げた土や石が散乱。
男の姿は、既に無かった。
(証拠隠滅……といったところか。『魔族』の考えそうな事だな)