第80章 ~ロアの胸中~
ロアは、ユリスと初めて会った時の事をよく覚えている。
そう。あれは何年も前、まだ孤児院にいて、アルニカやルーノとも出会っていなかった頃。
いつもの如く、夜中に孤児院を抜け出し、夜闇の静寂の中、木の枝で剣術の練習をしていた。
すると、いつからそこにいたのだろう? ロアの傍らに、一人の少女が立っていた。
月明かりに照らされた黄金の髪、真っ直ぐにこちらを見つめる、透き通るような瞳。
歳は恐らく、一つ二つ程上だろうか。
兎にも角にも、その少女は気品に溢れ、神々しさすら感じる程に美しい子だった。
孤児院なんかにいる自分と違い、貴族か何か、高い身分の子である事は、容易に想像がついた。
程なくして、ロアは知ることになる。
その女の子――ユリスはこの国の王女であり、後に女王の地位を継ぐこととなる少女であることを。
「初めて会ってからは……殆ど毎日会ってましたね」
「うん。それでいつも、僕に剣術の稽古つけてくれてた」
昔の事を思い返しつつ、茶髪の少年と金髪の少女は言葉を交わし合う。
そう。最初に会った日を機会に、ユリスはロアに剣術の稽古をつけ始めた。
時期女王としてのユリスは、城にて一流の剣術指南より、剣術を習っていたのだ。
ユリスは教えられた剣術を、そのままロアに伝えていた。
ロアは剣術の覚えがとても速く、ユリスと互角に剣を交えられるようになるまで、程掛からなかった。
剣術の才能を宝石に例えるなら、ロアは巨大なダイヤの原石を持っていた。
以降、ロアは時間を掛けてその原石を磨き、「大人顔負けの剣術の才能の持ち主」と呼ばれる力を手に入れたのである。
つまりは、こう言う事も出来る。
ロアが剣術の才能を開花させる切っ掛けになったのは、他の誰でもなくユリスである、と。
「感謝してるよ。ユリスがいなかったら、きっと今の僕は無かったと思う」
「私の方こそ、貴方……いえ。貴方達には、感謝してもし切れません」
ユリスから、予想だにしない返事が返ってきた。
「え?」
ロアが返すと、
「命を賭して、このアルカドール王国や、アスヴァンの為に戦ってくれているんです」
ユリスは、ロア達に深く恩を感じていた。感じない筈は無かった。
自分が治めるこの国や、この世界を守る為に「世界の担い手」となってくれたロア。
危険を承知で、ロアと共に「魔族」と戦う事を選んでくれたアルニカとルーノ。
「あんなに急な頼みだったにも関わらず、貴方は嫌事一つ言わずに、引き受けてくれました」
「……違うよ、ユリス」
ベンチから立ち上がったロアの顔を、ユリスは見上げた。
「旅立った頃は、『ユリスに言われたから』だったかも知れないけど……少なくとも今は、絶対に違う」
ユリスを見つめながら、ロアは自分の心中を明かす。
「僕は、『魔族』からこの国や、このアスヴァンや、友達を守りたい」
言葉の一つ一つに、ロアの確固たる意志と決意が込められていた。
「つまり、僕が戦うのは『僕自身の意志』だよ」
ユリスにそう告げると、ロアはユリスと視線を合わせて、小さく頷いた。
世界の担い手、それはロアにとって、最初の頃は「貰い物の役目」だったかも知れない。
しかし――今は違う。彼自身がそう言った通り、ロアが戦うのは、「ロア自身の意志」に基づいての事だ。
「だから、ユリスが気にする必要は何も無いんだ」
少年はユリスを見つめて、微笑んだ。
純粋な優しさに満ちた、ロアの笑顔。
見ているだけで、ユリスは心が晴れそうな気持ちになった。
「……ありがとう」
気が付くと、ユリスはロアに感謝の言葉を贈っていた。
自然に、感謝の言葉が発せられていたのだ。
「あ……」
ルーノと共に魔法の練習をしていたアルニカは、ロアの方を向いて言葉を失った。
その理由は、彼の隣にユリスがいて、二人で何かを話していたから。
何を話しているのかは分からない。けれど、互いに笑顔を向けあっていて、とてもいい雰囲気だった。
ロアがユリスと笑顔を向けあっている――たったそれだけの事の筈。
だけど、言葉では表せない無い気持ちが、アルニカの心を包んでいた。
オレンジの髪の少女は、胸に手を当てる。
(何なんだろう? この気持ち……)
心中で呟く。
不意に背後からルーノが、アルニカに声を掛けた。
「どした? アルニカ」
「えっ!?」
驚き、慌ててルーノを振り返る。
すると、怪訝な表情を浮かべたルーノが、アルニカを見つめていた。
「あ……!! ごめん。何か私ちょっと、ポーっとしてたみたいで……」
ごまかし気に笑顔を浮かべつつ、ルーノに答える。
「さ、練習しないとね」
再びツインダガーを握り、アルニカは呪文を唱え、魔法の練習を始めた。
気のせいだろうか? ルーノは、どこか彼女の様子がおかしく感じる。
(……どうかしたのか? アルニカ)
怪訝に思いつつ、ルーノも魔法の練習を再開した。
「アピーシア・フレイフォルクス!!」“炎の不死鳥よ、来たれ!!”
セイヴィルト家の屋敷の中庭に、その声が響く。
声を発したのはイワンで、彼の左手には炎を纏った剣が握られていた。
声、正確には呪文を発した途端、炎は渦を巻くように瞬き、次第に巨大な鳥の姿、「不死鳥」の形をとってゆく。
(いけるか?)
オレンジの光と、炎の熱気を全身に浴びつつ、イワンは心の中で呟く。
そして、炎が完全に不死鳥の姿を形作ろうとした、その瞬間。
不死鳥を形作る筈だった炎は四散し、無数の火の粉となって消えてしまった。
「やっぱダメか……」
雪のように散る火の粉を見つめて、イワンは落胆した。
「イワン兄、まだその魔法練習してたんだね」
少女の声に振り返ると、リオがいた。
イワンの実妹で、彼と同じく、炎の魔法の使い手である。
「補習終わったのか、いつ帰ってきた?」
炎の魔法を解除しつつ、イワンは聞き返した。
「ついさっき。もうヴルーム先生に絞られて絞られて……あたしもう、頭破裂しそう」
一対一の補習から、ようやく解放されたリオ。
まるで詰め込むようにヴルームに勉強をさせられ、かなり参っているらしい。
といっても、普段の遅刻と居眠りのしすぎが原因なので、自業自得とも言えるが。
「そんだけやったんなら、少しはマシな頭になったんじゃねーの?」
「ちょ、それってイヤミ!?」
兄から、返事は返って来なかった。
もしかしたら、心の中でせせら笑っているのかも知れない。
イワンは屋敷の中へと歩を進めていく。
魔法の練習のし過ぎで疲労を感じ始めていたので、一旦休憩を挟むことにしたのだ。
「ああ、そうだ」
一度立ち止まり、イワンはそう言った。
「明日の追悼式の事、予定に入れとけよ。遅刻厳禁だからな」
「分かってるよ。別にイワン兄が心配することないって」
そう。明日は追悼式の日だった。
イシュアーナでの戦いで命を落とした者達に祈りを捧げ、そして平和を願う式。
原則として、戦いに参加した者は全員出席である。
イワンもリオも、勿論ロア達も、参列することになっている。