第6章 ~仲間~
「今日は、風がないな」
宵闇、屋根の上に立つロアは一人呟く。
ごろん、と寝そべって無数の星が輝く夜空を見つめる。
《あなたにしか頼めないのです、ロア……》
ロアの頭の中に、昼間のユリスの言葉が蘇る。
「いきなりそんなこと言われてもなあ……」
ユリスの前では言えなかった本音が、言葉となって現れた。
そう、彼は不安だった。昨日までは誰とも変わらない日常を送っていたただの少年だったのに、今日という日を境にそうではなくなった。
ロアは思いを巡らせる。そもそもどうして、自分が選ばれたのだろうか?
大人顔負けの剣術の才能を持っているから? では強くなったのが間違いだったのだろうか?
魔族の根源を断ち切る、それが簡単な役割ではないことは分かっている。引き受けた時、もうこれまでの日常には戻れないことも。
魔族の居城へ乗り込むことになるのだ、命を落とすことだってあるかも知れない。
「別に……僕じゃなくてもいいよね」
自分なんかが世界を背負う必要はない、これは僕の仕事ではない。
真に世界を背負うべきは、自分よりももっと強い人間だ。ロアは自分に言い聞かせる。
「ユリスには悪いけど……しょうがないや。やっぱり断ろう」
そう一言発して、ロアは立ち上がる。ロアの言葉は、誰にも聞かれずに夜の闇へ消えていく筈だった。
「オマエ、そんな意気地なしだったのか?」
後ろから聞こえた声に、ロアは振り向く。
満月に照らされて、一人の獣人族の少年が立っていた。薄暗くて顔がわかり辛いが、青い毛並みをしているのが分かる。
「……ルーノ? 何でここに?」
「ショボくれてるだろうと思って、励ましにきてやったのさ」
ルーノは、ロアが考え事をする時は屋根の上に上がっていることが多い事を知っていた。
ロアはふと気づいた。ここは屋根の上なのに、ルーノが梯子を上がった音が全く聞こえなかったことを。
「……あれ? ルーノ、どうやってここに上がったんだ?」
「ん? ジャンプして」
……あーなるほど、とロアは心の中で呟く。
ルーノは兎の獣人族だ、その脚力は人間よりも遥かに強靭。一階建てのロアの小屋の屋根に上がることなど、造作もないことだろう。
「で、結局どうすんだ? ユリスへの返事……」
「……」
星空を見ながらルーノが問いかける。
隣に座っているロアは口ごもっていた。ロアの表情は、不安の色に満ちていた。
「……ああ」
ロアが返事する前に、ルーノが口を開く。
「そういや断るつもりだったんだっけか?」
ルーノはロアの方を見る。ロアは何も言わずに、小さく頷いた。ふー、とルーノはため息をつく。
そして彼は、屋根の上にごろんと仰向けになった。
二人の間に、少しの沈黙が訪れる。
夜闇の静寂が辺りを支配し、夜空に輝く星々が、二人の少年を照らしていた。
「……ロア」
ルーノがロアを呼ぶ。ロアはルーノと目を合わせた。
「この国を見捨てんのか?」
「……えっ?」
予想もしていなかったルーノの言葉。ルーノはロアの返事を待たずに、
「オマエ、この国のおかげで今まで生きてこられたんだろ?」
確かにルーノの言う通りだ。
孤児だったロアを、この国は保護してくれた。学校へも行かせてくれた。もしそれがなければ、きっとロアは今ここにはいなかっただろう。
「また戦争が始まったら、このアルカドールも戦地になるかも知れねえんだぜ?」
そんなことはわかっていた。
そしてこの国が戦地になれば、アルカドールは戦火に沈むかも知れないことも。家や城は壊され、木々は倒され、花畑は踏み荒らされ、そして罪もない人々の血が流されるということも。
「……ぐっ……!!」
心に押し留めていた感情が、声となって漏れ出した。ロアは拳をぐっと握る。
「それなのにオマエはこの国を見捨てるのか? この国への恩を仇で返すのか?」
「……そんな事はわかってる!!」
黙っていたロアが、声を上げた。
「だったらルーノ、君はこの世界を背負えと言われたら軽々しく頷けるのか!?」
頷けるはずはないだろう。
この世界の命運を背負うと言うのは、相当な重圧だ。ロアはその重圧に耐えられないのだ。
ロアには、ルーノは自分のことなど所詮、他人事と思っているようにしか思えなかった。
「他人事だと思って、軽々しく言わないでくれ!!」
ロアはルーノに背を向けた。今は一人になっていたかった。
ルーノは何も答えない。きっともう帰ったのだろう、ロアはそう思った。
その時、ロアの右肩に何かが触れた。青色の毛が生えた手……ルーノの手だった。
「……他人事だなんて思っちゃいないさ、少しは友達を頼れよ」
「え……」
そのルーノの表情は、優しい表情だった。
「ロア、何でもかんでも一人で抱え込むな、オマエが重い荷物を背負ってんなら、オレも一緒に持ってやる」
そのルーノの言葉が遠まわしになにを意味するのか、ロアには容易に想像がついた。
「ルーノ、まさか……」
ルーノはロアの目を見ながら頷いて、
「オレもオマエと一緒に行く」
その言葉が何を意味するのか理解した上で、ルーノはそう言った。
「な……!?」
ロアは耳を疑う。
聞き間違いでないのなら、ルーノは「オレもオマエと一緒に行く」と言った。冗談かと思ったが、ルーノの目は冗談を言っている目ではなかった。
「ルーノ、遊びに行くわけじゃないんだぞ!?」
ルーノはじっとロアの目を見つめていた。ロアは続ける。
「危険な目に遭うかも知れない、命を落とすことだってあるかも知れない、それに……」
「わかってる」
後ろから発せられた少女の声に、ロアは振り向く。この声はルーノが発したものではなかった。
「だけどもう、私達も決めたのよ」
梯子を上って、一人の少女が屋根に上ってくる。
オレンジ色の髪、彼女が誰なのか、ロアはすぐにわかった。
「ね、ルーノ?」
声の主は、アルニカだった。ルーノは頷く、ロアは、
「アルニカ、君まで何を……」
「だって、ロアを一人にしたら危なっかしいでしょ? ロアって基本ドジだし……だから、私とルーノも一緒に行くことに決めたのよ」
わかってない、この二人は何もわかってない。ロアはそう思った。
危険な旅になるとわかっていて、どうして軽々しく「一緒に行く」と口に出来るのだろうか。
「アルニカ、ルーノ、君たちは何もわかってない!! 君たちまで危険な目に遭うことはないんだよ!!」
ロアは、ルーノとアルニカを巻き込みたくはなかった。これは本来、自分だけが背負う重荷の筈。
二人には、これまでと変わらない日常を過ごしていて欲しかった。
「僕を心配してくれているのはわかる、もうそれだけで十分だ、だから……」
ロアのセリフは、ただ強がっているだけのセリフだった。本当は不安で、心の底では救いを求めていた。
彼とは長い付き合いのアルニカとルーノには、そんなことはお見通しだったのだろう。
「十分なんかじゃねえよ」
ロアの言葉を遮り、ルーノが言う。
「オレとロアとアルニカ、ガキの頃からずっと三人一緒だっただろ? これからも一緒さ」
「ルーノの言う通りよロア。私達三人、運命共同体みたいなものじゃない」
反論する言葉が浮かんで来なかった。
自分の事をこんなに想ってくれているのだ、反論しても、この二人を説得することはできないだろう。
「それにロア、私達もロア程じゃないけど剣は扱えるのよ? 絶対、足手纏いにはならないから」
それは知っていた。
アルニカはツインダガーを使い、手数の多い剣術「エレア・ディーレ」を駆使する。ロアには及ばないが、彼女の剣の腕は学校の同年代の少女たちの中でもトップクラスだ。
ルーノは、その小さな体と兎型獣人族が有する発達した脚力を活用し、変幻自在に飛び回る剣術、「イルグ・アーレ」を会得している。
仲間としては、二人とも頼もしい存在だろう。
「だからロア、一人でウジウジ悩んでないで、いい加減私達を頼りなさい?」
「アルニカ……」
ロアはもう何も反論しなかった。
アルニカとルーノ、この二人の好意を素直に受け入れることに決めた。
「……わかった」
この二人が友達で良かった、ロアは強く思った。
「二人とも……ありがとう」
そのロアの言葉に、アルニカとルーノは小さく微笑んだ。
人物の心の葛藤というものはなかなか書きづらいです。
文才のない初心者の自分には表現しきれているとは思いませんが、全力で書きました。
ベテランの方からのアドバイスや、感想を待っています。