第76章 ~昼下がり~
仕事をしていると、時が過ぎるのはとても早い。
店の壁に掛かった時計に目を向けると、すでに午後一時を回っていた。
数十分前、大勢の客で賑わっていた店内には、もう片手の指で数えられるくらいの客しかいない。
昼時という、一日で最も客が多い時間帯が過ぎたからだろう。
「アルニカちゃん」
レストランの店長の女性が、手招きしてアルニカを呼んだ。
アルニカはそれに応じて、女性へと歩み寄る。
女性は、客に聞こえないように注意を払いながら、
「今日はもう、引き上げていいわよ。ユリス様からお呼び出しがかかってるんでしょ?」
「はい、ありがとうございます!!」
アルニカは、髪をポニーテールに結んでいるリボンを外そうと、両手を後頭部に回す。
と、その時だった。店の入り口のドアが開く音と共に、カランカラン、と音が鳴る。
どうやら、新しく客が入ったらしい。足音からして、複数人のようだ。
「あ、上がる前に、あのお客さん達の注文、取ってきますね」
髪を解こうとした手を止め、アルニカは伝票とペンをその手に取る。
「あ、それなら私が……!!」
呼び止めようとした頃には、少女は既に行ってしまっていた。
「……行っちゃったわね」
店長の女性は、誰にともなく呟く。
けれど、真面目で働き者なアルニカを、彼女は大きく評価していた。
彼女程に、意欲的に仕事をこなしてくれるバイトは、今までいなかったかも知れない。
「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりでしょうか?」
いつものように、明るく笑みを浮かべ、アルニカは接客した。
「鶏肉と海老のマカロニグラタン」
「ニンジンとレタスの山盛りサラダ」
「ミートソースのラザニア。辛味控えめで」
伝票に注文の内容を記録して、聞き返す。
「ご注文を確認します。鶏肉と海老のマカロニグラタンがお一つ、人参とレタスの山盛りサラダがお一つ、そして――」
ここまで繰り返した時、アルニカはようやく気付いた。
「……!!」
驚きに表情を染めつつ、彼女は視線を伝票から、今しがた店に入った三人の客に移す。
すると、いつも見慣れた三人の人物が、アルニカを見つめていた。
アルニカの旧友のロアとルーノ、そして彼女の先輩にあたる、イワン。
「よっ、昼メシ食いにきたぞ」
片手を上げ、ルーノがアルニカに言った。
「ロ、ロア!? ルーノ!? イワンさんまで……!!」
アルニカは慌てふためく。対し、ロア達はアルニカをまじまじと見つめていた。
彼女がレストランでアルバイトをしていることは、前々から知っていた。しかし、ここを訪れたのは、三人とも今日が初めて。
すなわち、レストランの制服姿のアルニカを見るのも、初めてなのだ。
「結構似合ってんじゃん。その制服」
イワンが言う。彼は、足を組んだ姿勢で座っていた。
こくりこくりと、ロアとルーノは頷く。二人も、イワンと同意見だったらしい。
実際のこと、レストランの制服は、アルニカによく似合っていた。
ポニーテールに結んだ髪型のお蔭で、彼女は一層、快活そうな雰囲気を醸している。
「ちょ、ちょっと待って、ええ!? 何で、どうして……!?」
アルニカは赤面していた。
レストランでバイトをしている以上、制服姿を人に見られるのは当たり前の筈。
しかし、知人のロア達に見られるのは、何故だかとても恥ずかしかった。
「ルーノが言ったでしょ? 昼ご飯、食べに来たんだよ」
ロアの言葉で、アルニカは思い出した。
バイトのマニュアルによれば、知人が来店した場合でも、「客」として扱わなければならない。
「注文、もう一度言ったほうがいいか?」
イワンが言うと、アルニカは「しょ、少々お待ちください!!」と言い残す。
踵を返し、そそくさと厨房の方に走り去って行った。
数十分の後。ロア達はテーブルを囲み、遅めの昼食に舌鼓をうっていた。
その中にはアルニカも加わっている。彼女は制服から私服に着替え、髪をいつものように下ろしていた。
「もう。来てくれるならせめて、そう言ってくれればいいのに……」
つーんとした表情を浮かべつつ、アルニカはプリンを一口。
このプリン、店長の女性が、「日頃、真摯に仕事に励んでくれているお礼」として、アルニカに贈った物。
「それだとサプライズになんねえだろ?」
ルーノが答えた。
彼は、「ニンジンとレタスの山盛りサラダ」を食べている。
ばりばり。ルーノがレタスやニンジンを噛む音が、ロア達にも聴こえてきた。
ちなみに、一般的に兎型獣人族はニンジンを好むらしい。
「ま、言いだしっぺはロアだけどな」
ルーノはそう付け加えると、一旦テーブルにフォークを置き、ロアを指した。
「んん!?」
ロアはちゃんとした言葉は発さず、まるで猿ぐつわを噛まされたような声を発した。
食べ物を口に入れた状態で喋るのは、礼儀に反すると思ったのだ。
「えっ、ロアが主犯なの!?」
ガタン、とけたたましく音を立て、思わずアルニカは、その場に立ち上がってしまった。
他の客の視線が、一斉にアルニカへと集中する。
「あ……」
周りを見渡し、アルニカは赤面した。
「アルニカ、飯の間は席を立つな」
「……はい」
イワンに諭され、オレンジの髪の少女は席に戻る。
不意に、ロア達の足元。すなわち床の方から、金属音が鳴り響いた。
ルーノがテーブルに置いていたフォークが、床に落ちたのだ。
「おっと、いけね」
手を伸ばし、ルーノはフォークを掴もうとする。
と、その時。
「ルーノ、こういうレストランでは自分で拾わねーんだよ」
フォークを拾おうとしたルーノを、イワンが引き留めた。
「は?」
不意の言葉に、ルーノは困惑した。
するとイワンは店員を呼んで、落としたフォークを新しい物と替えてもらう。
「ほらよ」
イワンは、受け取った新しいフォークをルーノに手渡した。
「……自分で拾わないの?」
その様子を見ていたロアは、アルニカに問う。
「うん、レストランでは結構基本的なマナーだけど。知らなかった?」
プリンを口に運びつつ、アルニカが答える。
ロアは少し恥ずかしげに、小さく頷く。正直に言えば、ロアも知らなかった。
もしも自分がフォークを落としていたら、ルーノ同様に拾おうとしたに違いない。
「何だロア、ルーノ、お前らレストラン行ったことねーのか?」
イワンが二人に言った。
ロアとルーノは、ふと思い返してみたが、レストランなど利用した記憶は無い。
一人暮らしのロアは、食事は殆ど自分で作るか、若しくは学校の購買を頼っている。
ルーノは父親と二人暮らし。しかし、レストランなど使わない。
だが、イワンは違った。
忘れられているかも知れないが、イワンはアルカドールでも名の知れた、貴族の御曹司。
外食することはしばしばあったし、何かのパーティーに出席することもあった。
だから彼は、幼少時から食事に関する作法を叩き込まれているのだ。
故に、イワンは学校での素行は良くなくとも、貴族の御曹司としての知識や教養は身に着けていた。
食事作法から離れれば、彼は楽譜が読めるし、ピアノが弾けたりもする。
そして、ロアを凌ぐ剣術の才能や、妹のリオ同様、炎の魔法の力も有しているのだ。
「このレストラン……『ラ・フラージェ』だったか? 結構良い店だな」
イワンは、ミートソースのラザニア(辛味控えめ)を、ナイフで一口大の大きさに切り分ける。
ナイフとフォークの使い方にも慣れているようで、少しも音を立てることが無かった。
「あ、そうだロア、ルーノ」
と、アルニカが何かを思い出した様子で、二人を呼んだ。
「ん?」とロア。
「何だ?」とルーノ。
二人は一時、食事の手を止めた。
アルニカは、
「今朝、イルトさんから女王様の伝言を預かったの。今日の午後二時、私達三人に城に来て欲しいって」
「ん? 何だ、お前等もか?」
二人の代わりに、イワンが答えた。彼はもう、食べ終えたらしい。
イワンはナイフとフォークを置いて、紙ナプキンで口元を拭く。
「『お前等も』って……じゃあイワンさんも?」
アルニカが返した。
「ああ、俺も女王さんから呼び出されてんだよ。時間も同じだな」
イワンも呼ぶとは、一体どのような用件なのだろう?
ロア達三人は、顔を見合わせた。
「もしかして……『魔族』の根源が何なのかが、分かったとか?」
とロア。
ユリスがロア達に与えた役割、それは、「魔族」の根源を断つこと。
もしも、ロアが提示した仮説が正しければ、大きな進歩だろう。
「さあな。行ってみないことには、分からないんじゃねえか?」
ルーノの言う通り、現時点では、肯定も否定も出来ない。
「ま、よーするに行ってみりゃわかんだろ? 今はさっさと食っちまえよ。料理が冷めるぞ?」
イワンが、ロアとルーノに言った。