第75章 ~それぞれの日常~
「トマトソースのパスタあがったわ。アルニカちゃん、運んでもらえる?」
「はーい、すぐに!!」
アルカドール王国のレストラン、「ラ・フラージェ」。
ここが、アルニカのアルバイト先だ。
時刻は午後12半頃。昼食を摂る為に訪れた人々で、店内は賑わっている。
「お待たせいたしました、トマトソースのパスタです」
アルニカは、レストランの制服に身を包み、給仕の仕事に励んでいた。
彼女は、普段は下ろしているオレンジの髪を、ポニーテールに結んでいる。
左前髪には、いつも通り、髪留めが付いていた。
「それでは、ごゆっくりどうぞ」
アルニカは客に満面の笑顔を向ける。
(ふう。今日はお客さん、多いなあ……!!)
給仕をするだけとはいっても、決して楽な仕事では無かった。
注文を取ったり、料理を運んだり、客が多ければ多いほど、忙しくなる。
それに、もし疲れていても、それを表情に出してはならない。
接客は真心と笑顔で、このレストランの方針である。
(でも、今日は早上がりさせてもらうんだし、いつもより頑張らないとね……!!)
しかしながら、アルニカは一度たりとも、そして僅かたりとも。この仕事に、嫌気を見せたことは無かった。
自分のレストランを持つ、という夢を持っているアルニカ。
彼女にとっては、レストランでの仕事は将来の勉強であり、喜びでもあった。
アルニカに対する評価は大きかった。客からも、そしてラ・フラージェ側からも。
真面目に、誠意を持って仕事に取り組む彼女を、レストランは高く評価し、
そして、作り笑顔では無く、心からの優しい笑顔で客に接する接客態度を、客は大きく評価した。
事実のこと、アルニカがバイトに入ってから、店の売上率は大きく上昇したという。
ラ・フラージェにとって、アルニカは今や、『看板娘』的な存在だった。
「すいませーん、注文したいんですけど」
後ろからの客の声。アルニカは振り向いた。
「はーい、すぐに伺います」
明るく返事を返して、彼女は注文を取りに行った。
「ふ~、やっと終わったね。ルーノ」
「ああ。ようやく、自由だな」
ロアとルーノ。補習を終えた彼らは、アルカドールの城下町を歩いていた。
ふと、ロアは学院の方を振り返る。
「リオは一人居残りか……気の毒だね」
一人補習という拷問に喘ぐリオの姿が、頭に浮かんできそうだった。
きっと今彼女は、大量に積み上げられた教科書の側で、泣く泣く補習に励んでいるに違いない。
「ま、しょうがねえよ。アイツ授業中寝てばっかいるしな」
背の小さい、青い兎型獣人族の少年は冷ややかだった。
イシュアーナの救護所で、耳を引っ張られたことを、まだ根に持っているのかも知れない。
「ん? あれって……」
ふと、ロアは視界にある人物を捉えた。
人々が縦横無尽に行き交う城下町の中、彼は道端に置かれたベンチに腰かけている。
金髪に染められた髪、18歳の割には高い背格好。
「イワンさーん!!」
セルドレア学院高等部三年生、イワン。
ロアが手を振って呼ぶと、彼は二人に気付いたらしい。
「お、お前らもしかして、補習の帰りか?」
そういうイワンも、補習はあった筈だが。
この他人事のような物言いから察するに……。
「また、サボりか?」
ルーノが問う。
一応、イワンは目上の者だが、ルーノはため口。
イワンは空を見上げる。陽の光が、彼の金髪を輝かせていた。
「ああ。こんな天気の良い日に教室に籠って、あまつさえ教科書と睨めっこなんざ、嘆かわしいだろ?」
一見すると正論のように聞こえるが、イワンが言うと、どうも説得力に欠ける。
「リオは今も頑張ってるのに……」
「ん、何だロア? あいつ居残りか?」
ため息交じりのロアの言葉を、イワンは聞き逃さなかった。
ロアは頷き、
「きっと今頃、ヴルーム先生に絞られてますよ」と告げる。
「あの様子だと、暫く教室に缶詰だろうな」
ルーノが付け加えた。
「ま、しょうがねーよ。あいつは『バカ』って何回言っても足りないバカだからな」
イワンはベンチから立ち上がりつつ言った。
きっとリオは今、教室でくしゃみを連発していることだろう。
「ロア、昼飯どうすんだ?」
と、ルーノに言われて、ロアは気付いた。昼食をまだ食べていなかった。
気付いた途端に、急にお腹が空いてきた。
ぐるるる……ロアの腹部から、空腹の音が鳴り響く。
「あ~、学院の購買部で何か買ってくれば良かった……」
「購買はやってねーだろ? 今日は休日なんだから」
「あ、そっか……」
イワンに言われて、ロアは気付いた。
今日は休日だ。購買はやっていない。
補習を受けてきたせいだろうか、今日が休日だという感覚が薄れていた。
「ん? そういや今日アルニカは? 補習じゃないのか?」
イワンが、ロアとルーノに問う。
よく三人一緒にいるのを見かけるが、今日は彼女の姿がなかった。
一緒に補習を受けて来たのなら、いつも通り三人で帰ると思ったが。
「ああ、アルニカは成績優秀なので、補習免除らしいですよ?」
ロアが答えた。
「なるほど、流石アルニカだな」
続いてルーノが、
「アイツ今日確か、レストランのバイトが入ってるっつてたぞ?」
「……あ、そうだ」
ふと、ロアはひらめいた。
すると、彼はルーノの耳を借りて、ごにょごにょと何かを話し始める。
「? どうした?」
イワンが問いかけると、
「……名案だな。よし、行こうぜ!!」
ルーノの言葉と共に、二人の後輩は駆け出し始めた。
イワンは戸惑う。
「イワンさんも、ほら早く早く!!」
ロアが振り返り、イワンを手招く。
「? ……どこ行くんだ?」
戸惑いつつ、イワンも駆け出した。
とりあえず、彼らの後を追うことにした。