第74章 ~リオとヴルーム~
アルカドール王国でも名の知れた貴族、セイヴィルト家の第二子、リオ。
大きな瞳とショートヘアが印象的な、アルニカ以上に快活で、底抜けに明るく、クラスのムードメーカー的な存在のリオ。
彼女は別に怠け癖があるとか、面倒くさがりだとか、そういうわけではない。
事実、槍術の腕は男子を打ち負かす程だし、イシュアーナの戦いにも、エンダルティオの一員として参加した。
ただ問題なのは、「好き嫌いが激しすぎる」という点だ。
リオの担任のヴルームは、そのことをよく知っている。
やれば優秀だと言うのに、とにかくリオは好き嫌いの差が激しい。
好きなことと嫌いなことでは、取り組む姿勢にまるで天と地程の差がある。
槍術の成績は毎回ほぼトップなのだが、比べて数学やアスヴァン史の成績はとにかく酷い。
先ほどのように、「ヴァロアスタ王国の王都はどこか?」と問われて、「アルカドール」と答える程だ。
端から聞けば、珍解答どころの話では無い。
ロアとルーノは、学力に問題はなかった。
しかし、リオだけは一対一でじっくり勉強を教える必要があると、ヴルームは判断したのだ。
「だからって、あたし一人だけ居残りって……」
「ぶつくさ言うな。進級出来ずに、来年また中等部二年生やるよりいいだろ?」
確かに、ヴルームの言う事にも一理ある。
「まあ、それはそうかもしんないけど……」
机に頬杖をつき、リオは窓に視線を向けた。
窓からは午後の日の光が差し、リオとヴルームしかいない教室を明るく照らしている。
(アニー達、今何してるのかなあ……)
補習という鎖で縛られた自分と違い、自由な日常を過ごしているであろう友人達に、リオは思いを馳せた。
今日はいい天気だ。買い物をするにも、遊びに行くにも、外で昼寝するにも絶好な天気。
……それなのに自分は今、教室でヴルームと一対一の補習授業。
「はあ~……」
憂鬱な気持ちを噴出するように、リオは大きくため息をついた。
ヴルームはショートヘアの少女に背を向けて、黒板に書き始める。
「少しはやる気出せよ。お前もいずれは、イワンと一緒にセイヴィルトの名前を継ぐことになるんだろ?」
教師の言葉を受けたリオは、その表情に真剣な様子を浮かべた。
(セイヴィルトの名前……かあ)
リオは心の中で呟く。
返事が返って来ない事に何かを感じ、ヴルームは言葉を繋げる。
「どうした?」
「先生。あたしさ、何てゆうか……たまに思うんだよね」
ヴルームは振り向く。
リオは左腕の袖を捲り、肩の刺青を覗かせる。
赤色で描かれた、炎を纏った鳥を描いた刺青、セイヴィルトの家紋だ。
「セイヴィルトなんかじゃなくて、普通の家に生まれたら……炎の魔法も、こんな刺青も授からずに済んだんじゃなかったのかなって」
いつになく、リオの面持ちは真剣だった。
「怖くなることがあるのか? 自分の力が」
「……たまに、少しだけ」
リオは、炎の魔法を扱える自分自身が怖くなることがあった。
他の者が持っていない力を持っている、自分のことが。
もしも、自分自身で炎の魔法を抑えることが出来なくなって、他者を傷つけたりでもしたら――そう考えると、無性に不安になってしまう。
ヴルームはチョークを置いた。
そして、彼はリオの隣の席へと腰掛ける。
「いいかリオ。『大きな力』はな、使う者によって『恐ろしい凶器』にも、『他者を守る武器』にもなる」
「……えっと、つまり?」
リオは聞き返す。
「つまり、お前なら大丈夫ってことだ。お前はちゃんと、力の使い方を分かってる。だから何も心配することは無い」
血筋故に授かった、炎の魔法。
ヴルームの言うように、それはリオの意志によって、「恐ろしい凶器」にも「他者を守る武器」にもなり得るだろう。
魔法に意志は無い。善の為に使うか、または悪の為に使うかは、術者次第だ。
「イシュアーナの戦いで、お前は『魔卿五人衆』の一人に立ち向かったんだろ? 並みの15歳の者が、そんなこと出来るか?」
出来る筈が無い。
一手も武器を交えることなく、倒されてしまうだろう。
リオがヴィアーシェに立ち向かえたのは、彼女の槍術の腕と、炎の魔法があってのことだ。
ヴルームは、自分の教え子に語り続ける。
「リオ、お前は素晴らしい奴だ。ロアやアルニカ、他の友人達の事もいつも思い遣っている。俺は長年教師をやっているが、ここまで友達思いな生徒は他にいなかった」
そんなことは、初めて言われた。
――友達思い、リオ自身には、自分がそのような人間である自覚は無かった。
「またまた~。ヴルーム先生ったら、そんなベタなジョークを……」
「冗談なんかじゃない」
リオを見つめるヴルームの眼差しは、濁りの一つも無い真剣な目だった。
どう見ても、冗談を言っている目ではない。
「もう一度言うが、お前は素晴らしい奴だ。友達思いな上に、『友達を守る力』も持ち合わせている」
リオは、自身の左肩の刺青に視線を向けた。
「だから、お前の炎の魔法の力は、何も恐れることじゃない。その力を授かったことは、お前は誇るべきなんだ」
ヴルームの話を聞いていると、前向きな考え方が出来る気がした。
そうだ。単純なことだった。魔法の力を持っているのなら、『正しく』使えばいいだけのことだ。
これまでのように、大切な友人達を守る為の『武器』として、振るえばいいだけの力だ。
「大体、俺の知ってるリオは、そんな考え込むようなタイプじゃなくて、もっと無駄に明るい奴だったぞ?」
ヴルームの言う通りだ。
「……ありがとう先生、何だかあたし、これで悩み事が一つ片付いた感じがする!!」
明るい表情を浮かべるリオ、彼女の大きな瞳が、きらきらと輝いて見えた。
どうやら、いつも底抜けに明るい、クラスのムードメーカー的な存在の彼女が戻ってきたらしい。
「何だ、お前も悩むことがあったんだな」
「ええっ!? それちょっと聞き捨てならないセリフかも!!」
そうだ。これでこそ、リオだ。
リオの隣の席に腰掛けていたヴルームは、立ち上がって教壇へと歩を進める。
「じゃ、悩み事もきれいさっぱり片付いた事だし、補習の続きやるぞ」
そう。リオを居残らせた理由は、彼女の悩みを片付ける為ではない。
本来の目的は、リオの成績をどうにかする為、一対一で補習授業を行う為だ。
「んな!! ホントに!?」
リオにとっては、死刑宣告だった。
「次のアスヴァン史の試験で80点採れるくらいの学力がつくまで、今日は帰さない。そのつもりでな」
さらに、ヴルームはリオに追い打ちをかける。
80点……リオにとっては、想像すらつかない点数だ。
「ひどいーっ!! ヴルーム先生の鬼!! アクマ!! オニーっ!!」
二人だけの教室に、リオの抗議の罵声が隅々まで響き渡った。