第69章 ~終戦の兆し~
魔族達の王国、モルディーアの中心には、巨大な城がそびえ立っている。
城の玉座の間に、二人の人物がいた。
一人は「魔族」の女性。もう一人は、仮面で顔を隠した、背の低い「魔族」の少年。
「主君よ。戦況はどウやら、我々に不利のよウです」
そう言ったのは「魔族」の女。
その言葉は丁寧な言葉だったが、彼女の口調にはどこか興奮しているような面が現れている。
彼女の右手には、「千里眼の水晶玉」が乗っていた。
そこには、イシュアーナの戦いの様子が映し出されていた。
状況はどこからどう見ても、「魔族」が圧されている。
「だかラ、ボクの言った通りにすれば良かったんだヨ」
次に口を開いたのは、仮面で顔を隠した「魔族」の少年。
ベイルークの塔で、ヴィアーシェと共に、ロア達の前に現れた少年だ。
独特の口調で、彼は言葉を続ける。
「ヴィアーシェやダフィウスなんていウ、『作られたての代用品』に任せないデ、最初からボク達が出ていれバ、『人間』や『獣人族』共に苦汁を嘗めせられる事なんカ……」
《そう言うなクラウン。本来の目的を達成出来ただけで、十分な収穫だ》
実体を持たない声だけの存在は、仮面で顔を覆った「魔族」の少年、「クラウン」に答える。
「……そうかイ、だったらいいんだけド」クラウンは軽く首をかしげる。
「クラウン。もしカしてオマエ……戦いに参加出来なかったことを僻んでいるのカ?」
魔族の女性はやはり興奮したような口調で、クラウンに言葉をかける。
先ほどと打って変わり、女性らしからぬ言葉遣い。
「ザフェーラ、それはキミも同じじゃないのかイ? 他者を痛めつけることだけが生き甲斐の、変態性なキミならネ……」
そのクラウンの言葉に、「魔族」の女性、「ザフェーラ」は表情を怒りに歪める。
「そんなにワタシに嬲り殺されてえカ……? このクソチビ」
「残念だけど、キミ程度の力ではボクを殺すことは出来ないヨ?」
怒気の籠ったザフェーラの言葉にも怯まず、クラウンはすぐさま、言葉を返した。
仮面から覗くクラウンの口元には、笑みすら浮かんでいる。
その笑みが、ザフェーラの癇に障った。
「ならクラウン。テメエのその身で試してみるカ? 血塗れの肉片になってカら後悔しても知らねえぞ?」
《そこまでにしろザフェーラ、クラウン……!!》
言いようの無い威圧感に溢れた声が、モルディーア城の玉座の間に響き渡る。
声だけの存在が、ザフェーラとクラウンを制した。
二人の「魔族」は片膝を折り、恭順の意を示す体制をとる。
《貴様ら二人とも、小競り合いなら他でやれ……!!》
「これはとんだ失礼を。我ガ主君」
ザフェーラが答える。
クラウンは無言のまま、恭順の姿勢をとっていた。
《……ザフェーラ、水晶玉を》
その言葉に、「魔族」の女は手に持った魔法道具、「遠見の水晶玉」を前方に、
まるで目上の者へ献上するかのような仕草で、誰も座っていない玉座の方へと突き出す。
水晶玉には、イシュアーナの戦いの様子が映っていた。
《目的は成就した。もうイシュアーナに用は無い……モルディーア全軍に、撤退命令を下す》
声だけの存在は、ザフェーラの手に乗せられた水晶玉に向けて言い放った。
傍らでリオが見守る中、アルニカはツインダガーを振るい、交戦していた。
その相手はヴィアーシェ。
(やっぱりこの人、ロアと同じくらい……もしかしたらロア以上……!!)
ベイルークの塔での戦いに続き、アルニカがヴィアーシェと戦うのは今回で二度目。
改めて感じる。ヴィアーシェの強さは、生半可な物ではない。
自分の身の丈程もある大剣を使いこなし、攻撃力とスピードを兼ね備えた攻撃を繰り出してくる。
魔族最強の配下、「魔卿五人衆」の一人だということも関係なく、ただひたすらに強い。
そして同時に、アルニカはヴィアーシェに僅かながら畏怖を感じた。
一言も言葉を発せず、少しも表情を変えないヴィアーシェ。
感情を一切欠いたような彼女は、まるで戦う為だけに作られた、人の形をした「物」だった。
ヴィアーシェが振り下ろした大剣を、アルニカは横へ飛び退いて避け、すぐさまツインダガーを構え、地面を蹴る。
このまま攻撃を防ぎ続けていても、じわじわとダメージを与えられ続けるだけだった。
大剣の攻撃は一撃の威力が大きく、アルニカの「エレア・ディーレ」を駆使しても、衝撃全てを受け流すことは出来ない。
だからアルニカは、「守り」から「攻め」に転じることに決めた。
真正面から突っ込むことが危険なのは承知だった。だがしかし、守っているだけでは勝つことは出来ない。
戦いに勝つことに必要なのは、攻めること。
ヴィアーシェの間近まで距離を詰める。すると、彼女の顔が間近に見えた。
石膏で作られた彫像のように白い肌。優雅になびく長髪。そして美しい容姿。
ベイルークの塔の時と変わらず、その表情には何の感情も浮かんでいなかった。
ヴィアーシェが浮かべているのは、何にも染まらない、まるで仮面を被ったような空虚な表情。
接近して来たアルニカに向け、ヴィアーシェの蹴りが放たれた。
近くの相手に、小回りの利かない大剣の攻撃は不向きだと考えたのだろうか。
寸前で気付いたアルニカは、身を横に向けて避ける。
そしてすぐさま右手のダガーを振り上げ、ヴィアーシェに向けて振った。
だが、アルニカの攻撃は当たらなかった。
ヴィアーシェはすぐさま姿勢を低め、ダガーの一振りを避けた。
次の瞬間、ヴィアーシェはアルニカに背を向けた体制で、大剣を振った。
大剣が風を切る音を聞いたと思った時、アルニカの左手に大きな衝撃が走った。
「っ!!」
アルニカの左手に握られていたダガーが彼女の手から離れ、空を舞う。
ヴィアーシェの大剣の一撃で、弾き飛ばされたのだ。
後ろを向きながら繰り出した攻撃にも関わらず、アルニカがダガーを握る手を緩めた一瞬の時を狙っていた。
続けざまに、ヴィアーシェは再びアルニカの胸部に蹴りを放った。
先ほどは避けることが出来た蹴りだが、
今度はヴィアーシェの大剣の衝撃を受けた左手が痛み、避けることに気が回らなかった。
「ぐあっ!!」
ヴィアーシェの蹴りを受け、アルニカは仰向けの体制で地面に倒れた。背中に痛みを感じた。
倒れた拍子に、右手のダガーが手から離れる。
アルニカはすぐさま体を起こし、ダガーを拾おうとした。
「!!……」
しかしその瞬間、彼女の眼前に、ヴィアーシェの大剣の刃が突き付けられた。
ダガーを拾おうとした手が、その刃によって止められた。
「……っ……」
アルニカは息を呑む。
両手のダガーは、今二つともアルニカの手には無い。アルニカは丸腰の状態だ。
突き付けられた大剣の刃を前に、アルニカは何もしない。
否、出来ない。ダガーが二本とも無い以上、ヴィアーシェの大剣を防ぐ術が無いのだから。
その時、
「アニー!!」
アルニカが振り向いた先にいたのは、ヴィアーシェとの戦いで負傷したリオ。
彼女は地面に伏した体制のまま、自分の槍を握っていた。
「使って!!」
リオは、アルニカに向けて槍を放り投げた。
「!!」
驚きつつも、アルニカは両手でリオの槍を受け止める。
ヴィアーシェの大剣を横へ押し退けるように弾き、アルニカは地面を弾くように立ち上がった。
同時にヴィアーシェも大剣を構え直し、再びアルニカへと攻撃を仕掛ける。
ツインダガーと大剣の打ち合いだった戦いは、槍と大剣の打ち合いに変わった。
長い槍を扱うことでリーチの差は解消された。
(リオちゃんは、いつもこんな武器を……!!)
教科書で槍の扱い方は読んだことがあったものの、やはりアルニカにとっては使い慣れない武器。
だが今は戦いの最中。「扱い辛い」などと言っているような状況ではない。
戦いながら、槍の扱い方を模索するしかなかった。
大剣と槍の打ち合いは、数分程続いた。
始めは使い慣れなかったが、元々高い剣術の才能を持つアルニカは不慣れを技術で補っていた。
リオから見ればまだまだだったが、それでもヴィアーシェと渡り合えている。
(アニー、あれだけ扱えるなら、ダガーじゃなくて槍を使えばいいのに……)
戦いを見ていたリオは、心の中で呟く。
戦いが始まってから数分経った頃だった。
ヴィアーシェが突然大剣を降ろし、後方へと飛び退いた。
「!?」
何かをするつもりだろうか? アルニカはそう思い、身構える。
「…………」
だが、ヴィアーシェは何もしなかった。
何もせず、無言のままじっとアルニカと目を合わせていた。
「……何? 私が何か珍しいの?」
槍を構えたまま険阻な表情を浮かべて、アルニカはヴィアーシェに問う。
戦闘中であり、しかも相手は「魔族」。
すなわち敵対する立場にある者だというのに、思わずアルニカは聞いてしまった。
返事は返ってこない。
互いの距離はおよそ五メートル。少なくとも声は届いている筈だった。
「…………」
ヴィアーシェは一度だけ瞬きをした。
大剣を背中に掛ける。彼女は突然踵を返し、アルニカに背中を向けた。
そして、凄まじい速さで走り去って行った。
「え!? ちょ……!!」
アルニカは困惑した。
先頭の最中だった筈なのに、何故退くのか。
そんな彼女を余所に、ヴィアーシェの後ろ姿はみるみる小さくなっていく。
数秒と経たず、その後ろ姿は見えなくなった。
「どうして……?」
ヴィアーシェが走り去った方向を見つめ、アルニカは呟く。
数秒の間呆然としていたが、アルニカは思い出した。
「……そうだ、リオちゃん!!」
アルニカは槍を持ったまま、リオに駆け寄った。