第55章 ~開戦~
「陣形を組め!! 槍隊と剣隊は前に出ろ!! 弓隊は後ろだ!!」
イシュアーナ正門前に集結した「魔族」の軍隊。
そして、バラヌーンの「人間」や「獣人族」の軍。
怒声の如き声を放ち、彼らに命令を飛ばしている者がいた。
その者は、刺々しい装飾の兜を被り、鎧で全身を固めている。それよりも何よりも目を引くのが、その四本の腕。
この者の名は「ドルーグ」、魔族の軍を率いる将軍だ。
ラータ村にてロアとアルニカと交戦し、毒剣によってアルニカを窮地に追いやった。
「……軟弱な『人間』や『獣人族』ごときが、我らに刃向うつもりか」
正門の上の「人間」や「獣人族」の兵士を見つめ、ドルーグは忌々しげに漏らす。
彼らの表情からは少しの恐怖も、迷いも感じなかった。
本気で、「魔族」と戦うつもりなのだ。
「進軍合図だ!! 角笛を吹き鳴らせ!!」
ドルーグのその命令に、数人の「魔族」の兵が角笛を吹いた。
モルディーアの角笛の独特の音色が、辺りに響き渡る。
同時に、「魔族」の兵士達が皆一斉に剣を引き抜いた。
「弓矢隊、構えろ!!」
ヴルームは剣を鞘から引き抜き、アルカドールの兵士達に告げた。
その隣で、ヒュウもイシュアーナの兵士達に命令し、弓を構えさせた。
「進め!! イシュアーナを陥落させよ!!」
魔族の兵の中から、一際大きな声が聞こえた。
進軍の命令、そして開戦の合図。
命令を受けた「魔族」やバラヌーンの兵達が、合唱のように荒げた声を上げる。、
刹那。まるで津波の如く、一斉に正門へと走り寄って来た。
高い門の上からその様子を見ると、まるで無数の黒い虫が迫ってくるかのようだった。
「ついに、開戦の時を迎えたか」
ヴルームは呟く。
犬型獣人族の鼻に、「魔族」特有のにおいが漂ってくる。
人間のものでも、獣人族のものでもない独特のにおいだ。
このにおいを嗅いだのは、まだヴルームが幼かった頃――そう。「第一次アスヴァン大戦」以来のことだった。
彼は、剣の銀色の刃を振り上げる。
振り下ろすと同時に、兵士全員の耳に届き渡る声で叫んだ。
「弓矢隊、放て!!」
アルカドールの兵士達は、門へと迫り来る「魔族」の兵達に向けて一斉に矢を放った。
放たれた無数の矢はまるで雨のように降り注ぎ、数十人の「魔族」の兵を射た。
命中はしている。だが、それでは足りなかった。
矢の雨を逃れた「魔族」の兵は、正門へと迫り続けている。
「こちらも放て!!」
ヒュウの命令を受け、続いて今度はイシュアーナの兵達が矢を放つ。
それでもやはり、「魔族」達の突進を完全に止めるには至らなかった。
「うあああっ!!」
「がああっ……!!」
ヴルームの隣にいた二人のアルカドールの兵士が胸を射られ、絶命した。
魔族も、ヴルーム達に向けて矢を放ってきている。
「……くそっ!!」
胸を射られた二人の兵士を見つめ、ヴルームは悔しげに漏らす。
だが、今は戦うのが優先だ。ヴルームはすぐに、敵の方を向き直った。
「!!」
それと同時に、ヴルームに向けて四本の矢が飛んできた。「数本の矢」ではなく、「四本の矢」だ。
矢が飛ぶ速さは、常人ならば到底反応できるスピードではない。
勿論のこと、自分に向かって飛んでくる矢を数えるなど、不可能だ。
だが、「獣人族」の反射神経と動体視力は「人間」とは比べ物にならない程優れている。
飛んでくる矢を数えることも、十分に可能だ。
「おおおっ!!」
掛け声と共に、ヴルームは剣を一振りする。
そのたった一振りで、彼に向けて飛んできた四本の矢は全て叩き落とされた。
魔族の兵が射られるのと同様に、門の上の兵士達も一人、また一人と射られ、門の上から虚しく落下していく。
アルカドールとイシュアーナの兵士が門の上にいる以上、剣や槍は届かない。
戦況は完全に、弓だけによる遠距離の戦闘だった。
このまま門の上にいれば、近接戦闘になることはないだろう。
誰もが、そう思っていた。
「ヴルーム卿!!」
矢が飛び交う中、不意にヒュウに呼ばれ、ヴルームは彼を振り帰った。
「奴ら、門を破るつもりだ!!」
ヒュウが指差した方向を、ヴルームは目で追う。
彼が指していたのは、イシュアーナ正門の固く閉ざされた入り口。
イシュアーナの外と中を行き出来る唯一の場所だ。
そこに向けて、巨大な「破城鎚」が迫っている。
破城鎚とは、主に城門を突破するのに用いられる攻城兵器だ。
屋根から巨大な円木が吊り下げられていて、これを何度もぶつけることによって城門を破る。
だが、今「魔族」が使おうとしている破城鎚は、ただの破城鎚ではなかった。
吊り下げられているのが丸太ではなく、まるでハンマーのような、巨大な鉄の塊。
遠目で見てもわかる。丸太などとは比べ物にならない程の重量だ。
頑丈なイシュアーナの門でも、あんなものをぶつけられれば、恐らく長くはもたないだろう。
何十人もの「魔族」の兵によって押され、車輪付きの破城鎚はゆっくりと、だが確実に正門へ迫っていた。
猶予はもう、数メートルもない。
「弓隊全員、狙いを向こうへ!! 阻止するんだ!!」
このままでは、門が破られる。危機感に煽られ、ヴルームはすぐさま指示を出した。
だが、その時にはもう遅すぎた。
まず一撃。破城鎚の巨大な鉄塊がイシュアーナの門を打った。
その衝撃がまるで地震のように、門の上にいたヴルームやヒュウ、兵士達に伝わってきた。
(やはり無理か……!! 門を破られずに抑えるのは……!!)
魔族の力は、ヴルームの想像以上だった。
あのような破城鎚を持ち出してくるなど、完全に予想外だ。
このままでは、門がいつ破られてもおかしくはない。
「ヒュウ殿。申し訳ないが、少しの間だけここを離れる」
そう告げて、ヴルームは階段を下り、戦闘区域から離れた。
「始まったようだな」
モルディーア城のバルコニー、手にした水晶玉を見つめながら、黒いローブを纏った「魔族」の男性、ダフィウスは呟く。
彼が手にしているのは、「千里眼の水晶玉」と呼ばれる魔法道具。
読んで字の如く、遠くの様子を見ることの出来る玉だ。
玉には、「魔族」の攻撃を受けているイシュアーナの様子が映っている。
破城鎚も使っているところから見て、門を破るのも時間の問題だろう。
「期は熟したようだ。俺達もそろそろ動くぞ」
ダフィウスは、側に立っていたヴィアーシェにそう告げる。
ヴィアーシェは頷き、手すりに立てかけていた大剣を掴み、背中へと掛けた。
二人の「魔族」は、同時に甲高い指笛を吹き鳴らす。
それから程なく、合図を受けた二匹のガジュロスが飛んできた。
ダフィウスとヴィアーシェはその背中に飛び乗り、ガジュロスと共に空高くへ飛んで行く。