第54章 ~開戦前 #3~
エントランスから外に出て、ロアはリラックスエリアに出た。
リラックスエリアには数個のベンチが置かれていて、
それに腰かけてイシュアーナの近海を眺められるようになっている。
「……きれいだ」
夜の海を見つめて、ロアは呟いた。
夜空に浮かんだ無数の星が水面に反射していて、まるで宝石が浮かんでいるようだった。
自然が作り出したとは思えない程に芸術的で、幻想的な光景だった。
思わず立ち空くして、その光景に見とれていた時、
「ロア?」
後ろからロアを呼んだのは、いつも聞き慣れた少女の声。
振り向くと、オレンジの髪をした少女が立っていた。
「アルニカ……?」
暗がりではっきりと顔は見えなかったが、間違いなくアルニカだった。
どうしてここに? 真っ先にロアの頭に浮かんだのは、その疑問。
「……む~」
ロアがその疑問を発する前に、アルニカが不機嫌そうな表情を浮かべた。
「どうしたの?」
その質問に、アルニカは答えなかった。
相変わらず不機嫌な表情を浮かべて、唸るように「む~」と漏らすだけ。
ロアは知っている。これは、アルニカが不機嫌な時の癖なのだ。
「ねえロア、何で人の裸を見といて『ごめんなさい』の一言が無いの?」
「へ……? あ……!!」
アルニカが不機嫌な理由に、ロアはようやく気付いた。
全ては、あの一件が原因だったのだ。
「い、いや。だってあれはアルニカがあんな大きな悲鳴を上げるから……」
ロアの言い分にも一理はある。隣の部屋にまで聞こえる悲鳴を上げるのだから、それ相応の事態があってのことだと普通は思うだろう。
まさか、あれほどの悲鳴の原因がたった一匹のゴキブリだとは、誰にも予想など出来る筈はない。
ましてや、扉の向こうにバスタオル一枚しか纏っていない少女がいるなど……
「むむっ!?」
ずいっ!! アルニカがその不機嫌な顔をロアへと近づけた。
そして彼女は、上目使いでロアの目を見つめる。
「う……」
何も言われなくとも、彼女の威圧感がのしかかってくる。
「…………ごめんなさい」
弁解するのを諦めざるを得なかったロア。彼は小さく頭を下げ、謝罪した。
「ロア、明日の戦い。どうなるのかな?」
アルニカも、ロアと同じく眠りにつけなかったらしい。
そこでふらりと外に出た時、ロアと会ったということだった。
二人は、リゾートエリアのベンチに並んで腰かけていた。
夜の闇と静寂、そして海に反射された星々の光がロアとアルニカを包んでいた。
「……わからない」
アルニカの問いかけに、ロアはそう一言答えた。
「そうだよね、ごめん。変なこと聞いて」
背中をベンチの背もたれに寄り掛からせて、アルニカは海を見つめる。
アルカドールから滅多に出たことのない彼女は、海というものを見るのは初めてだった。
この世に生を享けて14年。アルニカが初めて見た海の夜景は、本当に美しかった。
先ほどのロアと同じく、思わず見とれてしまいそうになる程に。
「塔で戦った、『ヴィアーシェ』って人のこと覚えてる?」
海を見つめ、アルニカがロアに言う。
ヴィアーシェ、ロアは勿論覚えていた。忘れたくても忘れられない名前だ。
生気を感じさせない程の異様に白い肌。そして腰まで伸びた暗い青色の髪。
自分の身の丈程の大きさの大剣を軽々と使いこなし、自分達を圧倒した彼女。
魔族という種族の強さを、ロア達に思い知らさせたのが彼女だ。
「覚えてるよ。すごく強かった」
ロアは答えた。
「あれほどの強さの『魔族』が、今度は何人来るのかな?」
「不安なの? アルニカ……」
アルニカは小さく頷いた。
ロアと渡り合えるほどに剣の腕があるとは言え、アルニカは14歳の少女だ。
明日の朝には、戦争に参加することになる。そして、魔族と戦わなければならない。
不安な気持ちを抱くのは、当然の事だろう。
「……僕だって不安だよ。でも、今度はあの時とは違う」
「え?」
その言葉に、アルニカは視線をロアに移した。
「今度は、ルーノがいる」
ベイルークの塔では、ルーノは一緒には戦えなかった。
だが今回は違う。今度は彼も、ロアとアルニカと共に魔族と戦う。
「ルーノだけじゃない。ヴルーム先生も、リオも、イワンさんだっている」
ロアの言う通り。今回は二人だけではない。
今度は沢山の仲間がいる。皆、共に戦う頼もしい仲間達だ。
「イワンさんが言ってたよね。くじけそうになった時は、自分の友達のことを思い浮かべろって」
確かに言っていた。その後にイワンが続けた言葉も、アルニカははっきりと覚えている。
あの言葉は、普段のイワンからは想像もつかない言葉だった。
「そして、自分は決して独りじゃないことを思い出せって」
ユリスが、どうしてエンダルティオの団長にイワンを選んだのか。
エンダルティオの少年少女達が、どうしてイワンについてきたのか。
あの時、それらの理由がはっきりとわかった。
「僕たちは、誰も独りなんかじゃないんだ。アルニカだってそうだよ」
「……うん」
ロアの励ましを隣で聞いているだけで、アルニカは自分の内に勇気が湧いてくるのを感じた。
彼の言葉には、不思議な力があった。彼に励まされただけで、希望を持てるような、雲のように心を覆っていた不安を少しずつ消し去っていくような、そんな不思議な力が。
「それじゃあもう休もう。明日に備えて」
ロアはベンチから立ち上がる。アルニカもそれに続いた。
「ありがとうロア。お休み」
「お休み」
二人はそれぞれの部屋へと戻り、床に就いた。
翌日、午前5時30分。朝日が空を照らし始めた頃。
イシュアーナの門の上には鎧や兜で身を固めた兵士達が集結していた。
彼らはエンダルティオではなく、アルカドールとイシュアーナの兵士達だ。
「時が来たな」
「ええ。そのようです」
ヴルームとヒュウ。それぞれの騎士団を率いる立場の獣人族の二人は、門の前の状況を見下ろしていた。
イシュアーナ共和国の正門の前。
無数の『魔族』やバラヌーンの『人間』や『獣人族』の兵が、大地を埋め尽くしていた。
イシュアーナ共和国を滅ぼすという目的の為に、モルディーア王国から送り込まれた軍だ。
彼らの軍旗には、モルディーアの紋章があった。
開戦の時。イシュアーナの命運を分ける戦いが始まる時は、すぐ側にまで迫っていた。