第53章 ~開戦前 #2~
午後七時、ホテルの大食堂でロアとイワンと合流したルーノ。
二人の顔を見るなり、彼は開口一番に言った。
「どうしたんだその顔……?」
ロアとイワンは答えなかった。
二人揃ってテーブルに頬杖を立てて、目に涙を浮かべていた。
その原因は、二人の頬にくっきりと付いた手のひらの跡。大きさからして、少女の手だろう。
「ふん!!」
向かい側に座っていたアルニカが、そっぽを向いた。
……怒ってる。彼女の横顔を見れば、それは明白だった。
ロアとイワンの頬に付いた手のひらの跡、怒っているアルニカ。
この状況が意味することは一つ。アルニカの逆鱗に触れるようなことをロアとイワンがやらかし、その制裁として彼女のビンタを喰らったということ。
「何があったんだよ?」
ルーノがロアに耳打ちすると、「どうか聞いてくれるな」という返事が返ってきた。
「ルーノ、お前にはまだ早い」
次いで、イワンにそう告げられた。
「いてて……」彼は頬をさすりながら、表情をしかめている。
一体二人が何をしたのか、ルーノは余計に気になったが、それ以上の言及はしないことにした。
うっすらと自分に向けられた、アルニカの視線が痛かったからだ。
(……知りたかった)
内心残念に思いつつ、ルーノはロアの隣の椅子に腰かけた。
ホテルの大食堂は、アルカドールの城の玉座の間以上に広かった。
その広さたるや、2500人のエンダルティオの少年少女達を収容できる程。
それでもまだ余裕がある。
数十本のテーブルを並列させてその上にテーブルクロスをしき、一つの大きなテーブルのようになっている。
「ふあ~、お腹空いたな……まだかなあ、ご飯」
アルニカの隣、イワンの真向いの席に腰かけたリオが、欠伸混じりに呟いた。
「なあリオ、お前いまだに授業中居眠りしてんのか?」
「へ? だってしょうがないじゃん。眠くなんだもん」
実兄、イワンの問いかけに、リオは開き直った様子で答える。
「てか、イワン兄だって授業サボってばっかいんでしょ? あたしのこと言えないじゃん?」
「授業出てない分、俺は家でちゃんと勉強してる。落第しかけのお前とは違うんだよ」
「なにおう!? キモロンゲ金髪ピアスのチャラ男のクセに!!」
「言ったな!! この羽っ帰りネボスケ娘!!」
周りの視線も気にせず、イワンとリオはその場に立ち上がって喚き合いを初めてしまった。
ギャーギャーと、端から聞けば訳のわからない言葉を互いにぶつけ合っている。
その様子は微笑ましいと言えば微笑ましい、子供っぽいと言えば子供っぽくも見える。
「イワンさんてさ、精神年齢そんなにリオと変わらないよね」
ロアがルーノに問いかける。
「確かに」頷きながら、ルーノはそう答えた。
「あ、あの……」
囁くような小さな声が、ロアの耳に入った。
声の方を振り向く。その声の主は、ミローイルだった。
彼女は、その両手にパスタの乗った陶器の皿を持っている。
「お料理をお持ちしたのですけれど……」
ミローイルは、視線をロアからイワンとリオに移す。
二人はミローイルに気付かず、依然わめき合いを続けていた。
それから数分。人数分の料理が揃ったのを確認し、ロア達は食事を始めた。
ロア達に出されたパスタには、野菜の他にイシュアーナの特産物のエビや貝が入っていた。
さらに味付けの香辛料までもがイシュアーナ特有の物だったらしく、アルカドールの物とは 違った風味を醸していた。
「オリーブオイルも胡椒もアルカドールのとは違った風味、野菜はテフヌ産、それからかくし味は……」
「さすがアニー、グルメだね」
レストランでバイトをしているアルニカ。
リオの言う通り、舌を使う仕事をしているだけあって、彼女の料理に対する批評は的確なものだった。
「ルーノ。このパスタ、すごくおいしいね……」
「ああ……正直今まで食った物の中で、一番旨いかも……」
ロアとルーノ。彼らは海産物パスタの味に感嘆していた。
「初めての味だけど、めっちゃ旨いな……」
パスタを一口口に運んで、イワンがそう呟いた。
貴族の御曹司のイワン。アルカドールで外食することは幾度もあった。
パスタ専門のレストランにも足を運んだ記憶はあるが、これほど美味なパスタは初めてだった。
「お口に合ったようで、何よりです……」
イワンの側で立っていたミローイルが、小さく頭を下げた。
「ミロル……だったっけ? 君らは一緒に食わないのか?」
周りを見渡すと、席に着いてるのはアルカドールの面々だけ。
イシュアーナの者達は料理や空き皿を運んだり、空になったグラスを預かり、水を注いでいる。
そのイシュアーナの者達の様子はまるで、レストランのウェイターのようだった。
「わたしたちはアルカドールの皆さんが食事を終えた後で頂きます。これはイシュアーナの習わしなのです……」
「へえ……規律を重んじる国なんだな」
イワンが返事を返すと、ミローイルは「ごゆっくり……」と告げ、歩き去って行った。
本当にあのおとなしい女の子が、この国のエンダルティオの団長なのだろうか?
歩き去るミローイルの後ろ姿を見つめながら、イワンは思った。
エンダルティオとは、何千もの少年少女達によって組織された騎士団。
その団長を務めるということは、少年少女達を纏め上げるだけの優れた統率力と、リーダーシップが必要不可欠。
イワンには、物静かで大人しそうなミローイルが、それらを持ち合わせているようには思えなかった。
「……ま、明日になれば分かることか」
「ん、何か言いました? イワンさん」
「いや別に。さっさと食っちまおう」
とりあえず今は、海産物パスタを平らげることに集中することに決めた。
午後11時。夕食を終えたロア達はそれぞれの部屋へと戻り、
明日の早朝の開戦に備えて、気持ち早めに床に就くことにした。
ロア達の部屋。ルーノとイワンはすでに眠りについていたが、ロア一人だけがなかなか寝付けずにいた。
(……やっぱり寝付けないな……)
ロアはベッドの上で体を起こす。
灯りの消されたホテルの部屋は、窓から射す月の光にぼんやりと照らされていた。
両脇では、ルーノとイワンが気持ちよさそうに寝息を立てていた。
どうして今日は寝付けないのだろう? ロアは考える。
単にいつもと寝場所が違うからなのか。
或いは、明日の早朝に開戦する戦いに、少なからずとも恐れを感じているのだろうか。
結局のところ、寝付けない理由はわからなかった。
(ちょっと外の風に当たってこよ)
ロアはベッドから立ち上がって、ルーノとイワンを起こさないよう物音に注意を払い、部屋を後にした。