第49章 ~動き出す運命~
所変わり、アルカドール城中庭、剣術小修練場。
そこにはアルカドール王国の歳若き女王、ユリスの姿があった。
彼女は身に纏った薄紫色のドレスや、その美しい黄金の髪をたなびかせ、剣を振るっている。
ユリスが剣を交えている相手は、純白の毛並を持つ兎型獣人族の少年、イルト。
イルトはユリスの側近であり、最も親しい友人でもある。
幼い頃にユリスの遊び相手として城に住み込み、彼女の親友として10年以上の時を城で過ごしている。
いつもイルトが首にかけている水晶のペンダントは、彼の12歳の誕生日にユリスから贈られた物だ。
イルトは今、その両足に足輪を付けている。石で作られた、見るからに重そうな足輪だ。
この足輪は特に特別な物ではない。一個につき重量が70キログラム程あるだけの、ただの足輪。
両足にこの足輪を付けているので、彼の両足には、合計して140キロの重みがかかっていることになる。
140キロ。兎型獣人族の脚力を封じるには、十分な重さだ。
イルトがその脚力を封じているのは、主に人間のユリスと対等に戦う為。
脚力が封じられていれば跳躍も出来ないし、俊敏な動きも出来なくなる。
勿論の事、ジャンプを駆使して戦う剣術、「イルグ・アーレ」も使えなくなる。
そしてもう一つの理由は、脚力に頼らずに戦う訓練をする為だった。
脚力に頼り切らなければ戦えないようでは、ユリスの側近は務まらないだろう。
(けど、側近など必要なのだろうか?)
ユリスと剣を交えながら、イルトは心の中で呟く。
彼がそう思ったのは、ユリスの強さ故だ。
女王という一国を治める立場故に、幼い頃から剣術の稽古を積んできた彼女は、イルト以上に強かった。
側近などいなくとも、十分に自分の身は守れると感じる。
「っ!!」
気が付いた時、イルトの目前に銀色に輝く刃があった。少しでも顔を動かせば、その刃に顔が触れそうだ。
ユリスがイルトに剣を突きつけたのだ。この状況ではもはや、成す術は無かった。
「……僕の負けだ。降参する」両腕を上げて、イルトは宣言した。
完敗と認めざるを得なかった。脚力を封じた状態でなかったとしても、敵わないかも知れない。
ユリスとイルトは剣を鞘に仕舞い、互いに一礼した。
「また強くなられましたね、ユリス様」
脇で二人の戦いを見ていたロディアスが、ユリスにそう告げた。
「私が剣術を教えていたあの頃とは、まるで別人のようです」
アルカドール王国騎士団団長のロディアスは、ユリスの教育係でもある。
彼もまた長年ユリスに仕え、剣術だけでなく語学や数学、他の学問もユリスに教えてきた。
ユリスにとって最も信頼のおける騎士であり、イルト同様に親友のような存在である。
「いいえ、勝てたのはイルトが本来の力を封じていたからこそ。彼が錘を外して戦えば、私は到底敵わないでしょう」
穏やかな口調で、ユリスは謙遜した。
「だとしても、貴方は強くなられた。それは私が保障いたします」
「それでも、まだ私は未熟です」
ユリスは自分の右手の平を見つめながら続ける。
「一国を治める者として。そして、『あの剣』の継承者としても……」
彼女のその言葉に、ロディアスとイルトは思う所があった。
「ユリス様。貴方が『あの剣』を抜く日が来ないことを祈ります」
「僕も同じく。ユリス」
ロディアスの後に、イルトが続けた。ユリスは二人の方を振り返る。
「……ありがとう」
ユリスが二人に感謝の言葉を告げた、その瞬間だった。
突然、頭に突き刺すような痛みが走り、狩り取られるように意識が遠のいてゆく。
「うっ……!!」
頭を押さえて。ユリスはその場に膝をついた。
「ユリス……!?」
「ユリス様!?」
二人の声が聞こえた気がした。しかし、それに応える余裕など無かった。
頭の中に焼き付けられるように、ある光景が浮かび上がって来る。
――街が、かつては美しかったであろう大きな街が、無残に燃えている。
無数の魔族や人間の兵士達や、魔物が街に火を放ちながら、無力な街の人々を襲っている。
彼らの悲鳴や断末魔の叫びが、四方八方から、まるで合唱のように響いてきた。
女王という立場であるユリスにとって、罪もない人々が襲われているその光景は、地獄さながらだった。
目を覆いたくなったが、目をどれだけ固く閉じても、頭の中に浮かぶ光景は消えてはくれなかった。
最期にユリスが見たのは、その街に面した大きな海だった。
急激に視界が白い光で満たされ、意識が現実の世界へと引き戻される。
「はっ……はっ……!!」
その光景がようやく頭から消えてくれた時、ユリスは息を切らしていた。
彼女の両瞳には、涙が浮かんでいた。
もしも自分の知人が今の光景のような目に遭ったらと思うと、涙が止まらなかった。
「ユリス、大丈夫か……!?」
イルトの声が今度は鮮明に聴こえた。
「何が……『見えた』のです?」
ユリスの背中に手を触れながら、ロディアスが優しく語りかけるように問いかける。
「うっ……う……」
ロディアスの問いかけに、ユリスは答えなかった。彼女は途切れ途切れに涙声を漏らす。
王女と言えど、ユリスは16歳の少女だ。その彼女には、余りに「酷」と言える光景だった。
まるで虫ケラのように人の命が奪われていく、理不尽で、不条理な光景。思い出すと、怒りと悲しみで気が狂いそうになる。
だが、ユリスは直ぐに女王としての使命感を取り戻した。
今の光景を、絶対に現実にしてはならない。
「……広大な海……イシュアーナ共和国……」
囁くように二つの言葉を呟く。ロディアスは聞き取れなかった。
聞き返そうとした瞬間、ユリスが突然ロディアスの方を向き、真剣な眼差しで、
「ロディアス、直ぐにロア達を呼んで来て下さい」
そう告げた。
ロアは度肝を抜かれていた。リオが猛スピードで接近し、槍を振り上げてきたからだ。
槍の届く範囲まで接近するのに要した時間、まばたき一回分。ロアは剣を構える時間すらなかった。
「うわあっ!!」
無意識に、口からそんな叫び声が出た。
腕ではなく、足が先に動いた。ロアは左へと飛び退き、振り下ろされたリオの槍を避ける。
数秒前までロアが立っていた床に、槍頭が突き刺さった。
「やあああっ!!」
覇気に満ち満ちた掛け声と共にリオはすぐさま槍を構え直し、ロアへと攻撃を仕掛ける。
槍頭だけでなく、柄の部分も打撃の武器として使い、流れるように繰り出されるリオの攻撃。
(強いなリオ……反撃する暇がない)
ロアは思う。リオが強いとは聞いていたが、彼女はすでに「強い」という段階を超えていた。
身のこなしに、槍の扱い方、どこを見ても文句のつけようが無い。洗練し尽された彼女の動きは、芸術的ですらあった。
ほぼ毎日のように遅刻を繰り返し、授業ではいつも居眠りをしている普段のリオからは、想像もつかない強さだった。リオが戦う様子を見ていたヴルームは、
「あれで普段の授業を真面目に受けてくれれば、完璧なんだがな……」
リオは真面目にやれば優秀な生徒だ。担任のヴルームはそのことをよく知っている。
だが、如何せん彼女は好き嫌いが激しいのが問題だった。
「でも先生、それだとリオちゃんじゃなくなっちゃいますよ?」
「ふっ、確かにな」
アルニカの言葉に、ヴルームは笑い混じりに答える。
試合開始から十分程経過していた。戦況は、ほぼリオの一方的な攻撃だった。
剣に比べて遥かにリーチの長い槍、さらにリオが用いている手数の多い槍術。
反撃することはおろか、ロアはリオに近づくことすら出来ない。
しかしながら、リオは何度も攻撃を仕掛けているものの、ロアはまだ一撃も喰らっていなかった。
(こんなに攻撃を防がれたのは、初めてだなあ……)
一旦攻撃を止めて、リオは心の中で呟く。
いつもならば、ここまで攻撃を仕掛ける必要もなく、相手を倒せていた筈だ。
流石はロア、と言った所だろうか。
大人顔負けの剣術の才能の持ち主。彼の強さが伊達でそう伝わっている訳ではないようだった。
(あの力を使えば勝てるだろうけど、先生に止められてるし、それにこんな所で小火起こしたくないしね……)
リオは再び槍の柄を握り直し、ロアの方を向く。
ロアもまた、剣を構え直していた。
(リオ……もしかしてアルニカより強いんじゃないか?)
対人戦でここまで苦戦を強いられたのは、あまり覚えがなかった。
覚えがあるとするなら、あの魔族の少女、ヴィアーシェと戦った時くらいだろうか。
(どう戦う? あの槍の攻撃をかいくぐる以外に方法は……)
ロアがそこまで考えた時だった。
修練場の入り口の扉が勢いよく開かれたのだ。
試合中だったロアとリオだけでなく、修練場にいた者全員が扉に視線を向ける。
扉を開けて修練場に足を踏み入れた男性の顔を見て、ヴルームは驚きの表情を浮かべた。
「ロディアス……!? どうした?」
ロディアスだった。アルカドール王国騎士団団長で、副団長のヴルームとは旧知の仲。
「ヴルーム、少しいいか?」
ロディアスはヴルームを自分の元に来させる。
そして、ヴルームに何かを話し始めた。
小声だったので何を話しているのかは聞き取れなかったが、最後の「本当なのか……!?」というヴルームの声だけが聞き取れた。
ロディアスとの話しを終えた後、ヴルームは生徒達の方を向いて、
「すまない。悪いが、今日の授業はここで終わりだ」
突然、授業の中断を宣告した。
「え、何で!?」
リオは驚きを露わにする。
戦いの決着はまだついていないのに、どういうことなのだろうか?
「ロア、アルニカ」
リオの問いに応えずに、ヴルームはロアとアルニカを呼んだ。
「はい?」
アルニカが返事を返した。ヴルームは二人に告げる。
「お前達はこれから直ぐに城に行け。ユリス様がお前達を呼んでいる」