第40章 ~アルカドール王国へ~
目の前のロアに視線を向けたまま、ヴィアーシェは大剣を背中へと掛けた。
どうやら、彼女にはもう戦意はないらしい。
対してロアは剣を握ったまま、その構えを解こうとはしない。
数秒の後、ヴィアーシェは後ろに飛び退き、自らが塔に開けた大穴から飛び降りた。
「……!?」
ロアは驚いた。ここは塔の最上階だ。飛び降りたりしようものなら、死は免れないだろう。まさか、気でもふれたのだろうか。
そのロアの考えは、彼が大穴に駆け寄った瞬間に打ち砕かれた。
「うっ!!」
凄まじい風圧に、ロアは両腕で顔を覆う。
大穴の向こうには、その大きな翼を羽ばたかせながら滞空する怪物がいた。
塔の下の階で遭遇した、黒い体色に三日月のように裂けた口を持つ「魔物」、ガジュロスだ。
裂けた口を開き、何十本もの鋭く尖った歯を露わにしながらロアを威嚇するガジュロス。
その化け物の背中には、ヴィアーシェが乗っていた。
「…………」
彼女は長い髪を風になびかせながら、ガジュロスの背中の上でロアを見下ろしていた。
ロアはヴィアーシェを睨み返す。
アスヴァン大戦を仕掛け、多くの命を奪い去った種族、「魔族」のヴィアーシェ、
その「魔族」の根源を断つ為に立ち上がった「人間」のロア。
文字通り、「敵同士」の二人は無言のまま対峙し合う。
数十秒の後、ヴィアーシェを乗せたガジュロスは、どこかへと飛び去って行った。
開けられた大穴から、ロアは飛び去っていく怪物の後ろ姿を見つめていた。
怪物の後ろ姿が遠くへと消えた後、ロアは剣を鞘に納め、アルニカへと駆け寄る。
「アルニカ、大丈夫?」
ヴィアーシェに右足を切り付けられたアルニカは、その傷口を押さえながら地面に座り込んでいた。
「うん。痛みもひいてきたし……」
そう言い、アルニカは立ち上がろうとする。
「痛っ……」
途端に、右足の傷に再び痛みが走った。
その痛みを堪え、アルニカは立ち上がる。傷口を見ると、出血は止まっているようだった。
後ろから扉を開く音が響く、ロアとアルニカは、扉の方を振り返った。
二人の兎型獣人族が走り寄って来る。
一人はイルト。そしてもう一人、青い毛並をした兎型獣人族。
「あ……!?」
ロアが声を上げる。その青い毛並の兎型獣人族は、ロアとアルニカがよく知る、彼だった。グールから自分達を庇い、川に落ち、急流に飲み込まれたと思っていた、彼だった。
「ル……!!」
アルニカがそう漏らす。
次の瞬間、ロアとアルニカは同時に、その兎型獣人族の少年の名前を呼んだ。
『ルーノ!!』
「よう、久しぶりだな」ルーノは右手を上げて、ロアとアルニカに応えた。
彼が生きていてくれたことが、嬉しくてたまらなかった。
ロアとアルニカは、ルーノへと駆け寄る。
「助からなかったとばかり思ってた……!!」
ロアが言う。
「……オイ、勝手に殺すな」
笑い混じりに、ルーノはそう答えた。
彼は続ける。
「大体な、このオレがあれくらいでくたばるとでも……んぐ!?」
ルーノがそこまで言いかけた瞬間、後ろからアルニカが抱きついてきた。
まるで兎のぬいぐるみを抱っこするかのように、彼女はルーノの小柄な体を持ち上げる。
少女のアルニカでも持ち上げられる程、ルーノの体は軽かった。
「よかった、ホントに無事でよかったよルーノお!!」
耳元に聞こえるアルニカの声。
彼女の両腕は、ルーノの腹部に食い込んでいた。
「ちょ、アルニカ、やめろ!! 苦し……!!」
手足をばたつかせるが、アルニカは彼を離さない。
嬉しさのあまり、目の前のルーノの状態が見えていないのだろうか。
このままでは、今度こそルーノは天に召されることになってしまうのでは、ロアは思った。
「アルニカ。嬉しい気持ちはわかるが、喜びに浸るのはもう少し先に延ばしてくれないか?」
ロアと同じことを思っていたのか、側にいたイルトがアルニカに言った。
「あ、すみません。イルトさん」
そう答えて、アルニカはようやくルーノを解放した。
ルーノは腹部を抑えてむせながら、
「今度こそ死ぬかと思ったぞ……!!」そう漏らす。
「三人とも。これからの事を話すから聞いてくれ」
そう言ったのはイルト、ロア達は彼に視線を向ける。
「これから一度、僕達はアルカドール王国に戻る」
イルトは三人にそう告げる。
どうやら、彼は今回の事をユリスに報告しなければならないらしい。
魔族が村を襲撃したこと、このベイルークの塔に「魔物」がいたこと。そして、あの仮面で顔を隠した人物のことも。
三人は反対しなかった、この塔にはもう用はない。
さらに、アルニカはヴィアーシェの剣で傷をつけられている。
ドルーグの時のように、毒が仕込まれている可能性も否定は出来なかった。
しかし、一つだけ気になることがあった。
「でもイルト、ここからアルカドール王国へはすごく遠いよ?」
ロアがそう問う。確かに、アルカドール王国からここに来るまでは二日の時間を要した。
「心配はない」
イルトはそう答えて、手の平サイズの丸い鏡を取り出した。
「『転位の鏡』、これを使う」
転位の鏡とは、アスヴァンに数ある魔法道具の一種だ。
使い方は簡単。一人が鏡を持ち、一人で使う場合は自分一人を、多人数で使う場合はその全員を映す。
そして鏡を持った者が行きたい場所の地名を念じ、鏡を割ればいい。
割った瞬間に、鏡に映っていた者全員が念じた場所へと転位される。
便利な道具だが、貴重な物であるために入手は簡単ではない。
加えて一度きりの使い捨てであり、さらに鏡を持つものが一度行ったことのある場所でなければ、行くことは出来ない。
イルトによれば、彼はラータ村へ来る前にこの鏡をユリスから渡されたらしい。
「それじゃあ始めよう。皆、この鏡に映るように」
ロア、アルニカ、ルーノにそう告げて、イルトは「アルカドール王国」という地名を念じた。