第34章 ~ライラの助け~
「オマエを見てるとよ、その頃のオレを思い出すんだよ」
ルーノがダルネスに語っていた間、ダルネスは何も言わなかった。
ダルネスがどう思っているのかはわからない。
しかしながら、黙って聞いてくれていることはルーノにとっては好都合。
別に、ルーノはダルネスの心を動かそうなどと考えた訳ではないし、そんなつもりもない。
時間を稼げたお蔭で、マンドレイク玉の音を響かされた耳が、ようやく聴こえるようになってきた。
「下らねえ話はそれで終わりか?」
長らく黙っていたダルネスが、口を開いた。
「だったらそろそろ、俺の質問に答えてもらおうか」
地面にうつ伏せに伏しているルーノを見つめながら、
「仲間になるのか、あるいはここで死ぬか……」
そう言い、ダルネスは剣を握り直す。
長々とルーノの話を聞かされて、苛立っているようにも見えた。
「(チッ、もう少し黙ってオレの話聞いてろよ……!!)」
耳は完全に回復してはいないし、頭がグラグラしてまだ立つことも出来そうにない。
この状態では、ルーノは抵抗することなど出来なかった。
どうにか話を引き延ばせないか、とルーノは言葉を探すが、
「答えろ」
彼の思考を遮る言葉を、ダルネスが言った。
たった三文字だけの言葉に、凄まじい程の殺気が感じられた。
これ以上余計な事を言えば、すぐにでも殺されそうな雰囲気だ。
時間を稼ぐのは、もう諦めることにした。
「……クソくらえだ」
その一言で、ルーノはダルネスの誘いを跳ねのけた。
「オマエみたいなゲス野郎と組まなくたって、オレにはもう友達が出来たんだよ」
もしもルーノが八年前のまま何も変わっていなかったとしたら、ダルネスの誘いに乗っていたかも知れない。
だが、あの頃のルーノはもういない。彼は変わった、今の彼には、大切な友人が出来た。
「……そうか」
ルーノの言葉を聞いたダルネスは、大きなため息を漏らす。
理解が出来なかった。助けるチャンスを与えたにも関わらず、目の前の少年は死を選んだ。
ダルネスにしてみれば、ルーノの思考は全く以て意味不明。
それから数秒、ルーノに向けて銀色に鈍く輝く刃を振り上げる。
「だったら、ここで死ね」
仲間にならないと言うならば、敵と見るしかない。
殺すには惜しい相手だったが、ルーノは自分と同等か、それ以上に強い。
生かしておけば、いずれダルネスにとって邪魔者となるだろう。
「くっ……!!」
ルーノは必死に立ち上がろうとしていた。ここで死ぬわけにはいかなかった。
ロアとアルニカと合流しなければならない、そして彼らを守らなければ……
しかしそんなルーノの思いも虚しく、マンドレイク玉によるダメージが彼を立ち上がらせることを許さなかった。
ルーノは風を切り裂くような音を聞いた。ダルネスが剣を振り下ろす音だろう。
「!!」反射的に目を瞑る、両腕で顔を覆う。
「…………?」
数秒が経つ、ルーノは痛みを感じなかった。
風切り音が聞こえたのは確かだ。ということは、ダルネスの剣が振り下ろされたのは間違い無い。
だったらどうして生きている? もしや、痛みを感じる間もなく逝ってしまったのだろうか?
しかし、一撃で殺すよりも、あのダルネスならばじわじわと痛めつけるような殺し方を選びそうに感じるが……
恐る恐る目を開く。そして、目の前にいたダルネスの様子を見て、ルーノは驚愕した。
「!?」
ダルネスの背中に、一本の矢が突き刺さっていた。
「ぐ……!!」
彼は地面に膝をつき、呻くような声を漏らしている。
ルーノは後ろに視線を向ける。その方向、洞窟の入り口の近くには、ずっと岩の上にいたと思っていたノイと、そしてライラがいた。
「オマエら、何でここに……!!」という言葉が出かけたが、その言葉を発することは中止を余儀なくされた。
彼女の、ライラの手に大きなボウガンが握られていたから。
背中に矢が刺さったダルネス、大きなボウガンを手にしたライラ、ルーノはようやく理解した。
そう、先ほど聞こえた風切り音は、ダルネスが剣を振り下ろしたことによるものではなく、ライラが放った矢が風を斬る音だったのだ。
「にいちゃん!!」
地面に倒れ伏しているルーノを見つけたノイが、彼に駆け寄る。
そして、ルーノを助け起こす。
「ノイ……オマエがライラを連れてきたのか……?」
何も言わずに、ノイは頷いた。
ライラはボウガンに新しい矢をかけながら、背中に矢が刺さったダルネスへと歩み寄る。
ダルネスの側まで寄ると、ボウガンの先を彼の頭へと向けた。
彼女は、あの男の頭に矢を射るつもりなのだろう。
「ねえちゃん……!!」
ライラの方へ行こうとしたノイを、ルーノは彼の腕を掴んで止めた。
「やめろ。オレ達が口を出す問題じゃない」
ダルネスを見つめるライラの目には、凄まじいまでの怒りが溢れていた。
自分の目の前にいる男は、有無を言わさずに眉間に矢を射こんでもおかしくない相手。
何年も前の話でも、その顔は忘れていなかった。
幼かったライラの目の前で、彼女の両親を殺した――この男。
蝶のブローチが入った箱を踏み躙りながら、返り血の散った顔で笑みを浮かべていた――この男。
ダルネス盗賊団がルナフ村を荒し始めてから、一体どれだけの人間が傷つけられたのだろうか。
財産を奪われた者、畑を台無しにされた者、子供を殺された親もいる。
そしてライラは――両親を殺された。
ライラの頭に、あの頃の記憶が蘇る。
母と過ごした日々の記憶だ。
ライラの母は優しかった。誰よりも自分の事を気にかけてくれて、誰よりも自分の事を想ってくれた。
その優しい母の命を……目の前のこの男は奪ったのだ!!
理由もなく、ただそこにいたというだけで、まるで虫ケラのように!!
「う……うう……!! うわあああぁああああああぁああああああッ!!!!」
爆発した怒りが、凄まじい叫び声となってライラの口から漏れ出した。
だが、彼女はボウガンの引き金を引くことはなかった。
引き金から指を外すと、ライラはボウガンを無造作に投げ捨てた。
投げ捨てると、彼女は足を踏み込んで、力の限りに右手の拳を握りしめる。
次の瞬間、ダルネスの顔面を全身の力を込めて殴り飛ばした。
「ごほッ!!!!」
骨のきしんだような音と共に、ダルネスは地面に伏した。
女性のパンチとは思えない程の力が籠っていた。いや、そのパンチに籠っていたのは、力だけではなかった。
恨み、憎しみ、そして――凄まじいまでの怒り。
「はあ……はあ……はあ……!!」
ライラは荒い息を漏らす。
そして、目の前に倒れ伏した両親の仇の男に、
「ここから去れ……!! もう二度と、この村に現れるな……!!」
そう言った。
「……!?」
驚いたのはダルネスだ。
今なら自分を殺せる筈なのに、見逃そうというのだろうか。
ダルネスの方も、ライラを見てすぐにわかっていた。この女は、いつか自分が殺した女の娘だと。
ここで殺せるにも関わらず、両親を殺した相手を見逃すなど、寛容過ぎるどころではないだろう。
「いいのか……後悔するぞ……?」
背中の矢を引き抜くと、ダルネスはフラフラと立ち上がった。
「とっとと消えろ!! 次にあたしの前に現れたら、その眉間に矢を射こんでやるぞ!!!!」
「くっ!!」
そのライラの権幕に圧されて、ダルネスは洞窟から走り去って行った。
男の後ろ姿を見届けた瞬間、ライラは急に全身から力が抜け落ち、その場にしゃがみ込んだ。
「ねえちゃん!!」
ノイはルーノに肩を貸して、彼と共にライラへと歩み寄る。
歩み寄って初めて、ノイとルーノはライラの両目に涙が溜まっていることに気付いた。
「……いいのか? アイツ……親の仇なんだろ?」
ルーノがそう問う。
どうして、あの時ボウガンを捨てたのか。
親の仇を討つことが出来たのに、どうして見逃したのだろうか。
「……なんていうかさ」
ライラは、先ほどダルネスを殴り飛ばした右手の甲を見る、赤くなっていた。
「あの男を殺したって、残るのは虚しさだけだと思うし……」
「……」ノイとルーノは、黙って聞いていた。
「それにさ、お母さんもお父さんも、きっとあたしに復讐なんか望んでないと思ったんだ」
ダルネスにボウガンを向けた時、ライラはこの男を殺してやりたいと思った。
しかし、同時に気付いた。この男を殺しても、両親が戻ってくることはないと。
そして、両親はそんなことを望んではいないと。
「……何だか、これで一つ終わった気がするよ……」
清々しげに、ライラはそう呟いた。
そして彼女は立ち上がり、
「ノイ、ルーノ、家に戻ろう」
「うん、ねえちゃん」
ノイはルーノに肩を貸しながら、ライラの後ろ姿に続き、ダルネス盗賊団が根城にしていた洞窟を後にした。