第33章 ~記憶~
「……何?」
ダルネスはそう答える。
ルーノは、彼の表情に動揺が浮かんだのを見逃さなかった。
「その様子だと、ひょっとして図星か?」
このような状況の中にも関わらず、ルーノは笑みを浮かべながら問う。
数秒の沈黙の後、
「……黙れ!!」
ダルネスが、初めて感情の籠った声を発した。
その声と共に、彼はルーノの腹部に、二度目の蹴りを入れた。
「ぐッ!!」
ルーノの口の中に、酸っぱい味が広がる。
収まりかけていた痛みが蹴りによって再びぶり返し、ルーノは腹部を抑えて、うつ伏せの体制で咳き込む。
ダルネスがそのルーノの背中をさらに踏みつけようとした時だった。
「何で……ごほッ!! 分かったのか……教えてやろうか?」
その咳混じりのルーノの言葉が、ダルネスの足を止めた。
ダルネスからの返事は無かった。ルーノは腹部の痛みを堪えながら言う。
「オマエのその考え方な……ガキだった頃のオレとそっくりなんだよ」
「セルドレア学院」アルカドール王国の中でも一際大きな教育施設だ。
初等部、中等部、そして高等部が存在し、ここに入学した生徒は計12年間の間、ここで学ぶことになる。
人間に獣人族、孤児院出身の者から貴族の子まで、ここに通う者達の種族や身分は様々だ。
ルーノがこの学院に入学したのは、八年前。彼が六歳の頃。
その年の入学者は、ほぼ九割以上が人間の子供だったらしく、獣人族は非常に少なかった。
入学当初にルーノが所属していたクラスには20人ほどの子供が所属していたが、そのクラスには、ルーノを含めて獣人族は三人だけで、残りは全員人間の子供だった。
幼い人間の子供たちにとって、獣人族は好奇心の対象でしかなかった。
ルーノ以外の二人の獣人族の子供は、周りから好奇心の目で見つめられることに耐えられず、不登校に。
出来ることならば、ルーノも学校には行きたくなかったが、彼の父はそれを許さなかった。
クラスに一人だけの獣人族となったルーノは、クラスの中では浮いた存在だった。
皆が誰かと話している時も、一人ぽつんと教室の隅の席で椅子にふんぞり返り、昼食の時も、教室では食べずに、一人中庭のベンチに寝転がりながらサンドイッチをかじっていた。
「(ま、こういうのも悪くないかもな)」
いつの日からか、ルーノはそう思うようになっていた。
友達と呼べる人間は一人もいなかったが、別に欲しいとも思わなかった。
よくよく考えて見れば、周りから向けられてくる視線も所詮は気にしなければいいだけの話だと。
誰からも必要とされていないが、同時にこちらも誰も必要としていない。
つまりは、おあいこだった。
入学してから三ヶ月が過ぎた頃、事件が起こった。
ルーノの前の席の少年のノートや教科書が盗まれ、ぼろぼろに切り刻まれた状態で発見された。
そして、それらが発見された場所に、兎型獣人族の足跡が残っていたのだ。
それに加えて、被害に遭った少年は日ごろからルーノにからんでいることが事が多かったという。
これらを根拠に、クラスの大半の少年がルーノを取り囲み、彼に詰め寄っていた。
「(誰だよ、オレのせいにされんだろ……)」
そんな状況でも、ルーノにあせるような様子は無かった。
無実であることは自分がよくわかっていたが、彼はそれを言おうとはしなかった。
言ったところで、信じてもらえる筈もないだろうから。
「お前だろ!!」「お前しかいないんだよ!!」
少年達がそう詰め寄っても、ルーノは認めなかった。
それ以前に、彼は少年達を相手にすらしていなかっただろう。
少年達の言葉など全て聞き流し、欠伸も漏らしていた。
ルーノのそんな態度に苛立ち、彼に詰め寄っていた少年の一人がルーノの胸ぐらを掴んで、彼を無理やり椅子から立たせた。
「お前がやったんだろ!? この兎野郎!!」
そして彼は、ルーノをそう糾弾する。
周りの少年達も、ルーノに疑いの視線を向けていた。
「(こいつら……)」
しかしながら、何人もの人間に疑いの視線を向けられていてもなお、ルーノはなお平常心を保っていた。
「(単にオレを犯人にしたいだけじゃねえのか?)」
そう心の中で呟く。
「どうなんだよ!!」そのすぐ後。ルーノの態度に怒りが限界に達し、少年はルーノの頬に向けてパンチを放った。
「!!……っ」
痛みと共に、顔が横を向く。
頬に手を当てると、殴られた部分が熱を持っていた。
「(証拠もねえクセに殴るとか、ケンカ売ってやがんのか、コイツ……)」
声には出さずに、心の中でそう呟き、ルーノは先ほど自分を殴った少年の方に向き直る。
彼の目には、怒りが浮かんでいた。
そのルーノの目は、他の少年達を恐怖させるほどの威圧感があった。
「な、何だよ……!! お前が悪いんだぞ……」
ルーノは少年に歩み寄る。その分だけ、少年は後ずさる。
「お前が、やったって言わないから……!!」
最早、少年の言葉など耳には入っていなかった。
ルーノは、頬を殴られたことのお返しのつもりで、無言のまま少年の胸あたりに蹴りを入れた。
「ぶッ!!」
予想だにしない出来事が起きた。
蹴りを受けた少年は、後ろにいた少年達や、周りの机や椅子を蹴散らしながら、床に倒れ込んだ。
そして彼は、床の上で泡を吹きながら気を失った。
「(……!?)」
誰よりも驚いたのは、蹴りを放ったルーノ自身だった。
先ほど自分が受けたパンチ程の痛みを与えれば十分だと思っていた。
こんなにも吹っ飛び、気絶する程の力を込めたつもりは無かったのだ。
「ば……バケモンだ……!!」
周りにいた少年達のうちの誰か一人が、そう呟いた。
「化け物」、その言葉で、ルーノは理解した。
そう。自分は彼らとは違うのだ。彼らは「人間」で、そして自分は「獣人族」。
外見が違えば、力の強さも彼らとはまるで違うのだ。
ここにいる「獣人族」は、自分一人だけ。他は全員「人間」。
少なくとも自分は、このクラスにいる少年少女、誰よりも強いだろう。
それならば、今回のように自分に噛み付いてくる者は全員ねじ伏せてしまえばいい。
自分が持つ強さを以てすれば、負けることなどないのだから。
ルーノはその結論に達した。
そして――その考え方は、今のダルネスと全く同じ考え方だった。