第1章 ~朝~
さあ、目を閉じて。
夜の終わりを告げる鳥達の声に、耳を傾けよう。
月に取って代わり、太陽が世界を照らす。
この“朝”から、全ては始まる――。
「んんっ、ん……」
窓から差し込む朝日が、少年の顔に光の道を作り出していた。
ベッドに横たわる彼はゆっくりと目を開き、気だるい様子で身を起こす。
(……九時か、寝過ごした)
寝癖のついた茶髪を掻きながら、寝ぼけた表情で時計に目を向ける。
15歳という年齢の割には、幼さが垣間見えるその容姿。可愛らしいが、同時に芯の強さも垣間見える。
――少年の名は、『ロア』。
ロアは布団を払い、ベッドから出る。木目の剥き出しになった床に歩を進め、洗面所へ向かう。
部屋の壁には幾つもの剣が掛けられていて、どれも手入れが行き届き、その刃は眩い銀色の光を帯びていた。
(今日は、ユリスに会いに行く日か)
髪を整えて口をすすぎ、そして朝食のパンをナイフでカットしながら、ロアは心中で呟く。
その内容は、本日の予定だ。
今日は、ロアと他に二人、計三人が呼び出しを受けている日。その主は、ロアの友人にしてこのアルカドール王国現君主、ユリス女王だ。
国を治める立場に居る彼女からの、直々の招集。恐らくは、何か重要な用があるのだろう、ロアはそう思っていた。
朝食を済ませると、ロアは着替えに取り掛かる。寝間着を脱いで気に入りの服装に着替える、両腕と右足にベルトを締め、満足げに「よし」と呟く。
すると、玄関から扉をノックする音が聞こえた。
訪問者が誰なのか、ロアには容易に想像が付く。玄関に向かって扉を開くと、そこには見知った少女の姿があった。
「おはよう、ロア」
少女はロアに挨拶する。彼女の肩まで伸びたオレンジ色の髪、それを横に流す髪留めが煌めいていた。
「おはようアルニカ、丁度準備終わった所だよ」
「本当? じゃ、行こっか」
ロアが頷くと、少女はくるりと踵を返して歩を進め始める。扉を閉めて、ロアはその背中に続いた。
この少女の名は、『アルニカ』。
ロアの幼馴染みで、快活で礼儀正しい女の子だ。その性格に加えて容姿も綺麗で、さらに学校の成績も優秀。非の打ち所が無い、と言っても恐らく過言ではないだろう。
「それでさ、酷いんだよリオ。自分の寝言を僕のせいにして、お蔭で僕は大恥かいて、しかも授業の後ヴルーム先生に呼びつけられて……」
「あはは、リオちゃんらしいね」
他愛もない話をアルニカとしながら、ロアは彼女と共にアルカドール王国の広場を歩いていく。
その日の天気は快晴で気候も暖かく、周囲には日傘を指して歩く者の姿もあった。
広場付近の建設途中の家の側では、人間ともう一人――巨大な体格を持つ者が居て、二人で何かを打ち合わせている。その人間離れした体格の存在は、衣服から覗いた部分が毛並みに覆われ、尻尾まである。一目見ただけで、人間ではないと分かるだろう。
――『獣人族』。
様々な動物の姿とその能力を有する、人間とは異なる種族だ。
見た目は動物でも、獣人族は人間と同じ『人』として扱われる。人数を数える時でも人間と同様『~人』を用い、選挙に参加する権利も、職業を選択する権利も認められている。
姿形はかけ離れているものの、人間と何ら変わらない対等な存在であり、差別行為は禁じられているのだ。
少し見ていると、建設途中の家の側に居た二人の内、獣人族の方が建材と思われる石材を纏めて持ち上げ、歩を進める。人間がそれに続く。他の場所を見れば、広場中央の噴水の側で人間と獣人族の子供達が歓声を上げ、じゃれていた。
「さて、確かこの辺だよね?」
ロアが確認すると、アルニカは頷いた。
待ち合わせている者が、もう一人居るのだ。そしてその者とは、この広場で会う約束になっていた。
彼は既に来ているだろうか。ロアはそう思って、周囲に視線を泳がせてみる。
「ん? ロア、あそこ」
と、アルニカが指した場所をロアは目で追う。
数人の人だかりが出来ていて、その真ん中に一人の少年が立っている。
青い毛並みや長い耳を風に揺らし、綿毛のように丸くてふわふわした尻尾を持つ彼――兎型獣人族だ。
人々の中心に居る兎型獣人族の少年が、数歩の助走をつけて後方に飛ぶ。そして、その小さな体を空中で数度回転させ、着地した。見事な運動能力に、周囲の人々から歓声が上がる。
「ったく、オレは見せもんじゃねえぞっての……」
賞賛の声や拍手を受けながら、少年は満更でもない様子で呟く。
その彼に、ロアは声を掛けた。
「おーい、ルーノ!」
ロアの声に反応し、兎型獣人族の少年が振り返る。
視線が合わさった瞬間、彼はびくりと体を震わせた。
「うげっ、ロア、アルニカも……」
こうして三人目、アルニカと同じくロアの幼馴染にして兎型獣人族の少年、『ルーノ』が仲間に加わった。
ルーノは先んじて歩きながら、愚痴り始める。
「オマエらの事待ってる間、暇になって体動かしてたんだよ。そしたらいつの間にか、周りに人が集まってて……」
「仕方ないよ、普通の人から見たら凄いから。ルーノの運動神経」
ロアが言うと、ルーノは手を頭の後ろで組んだ。
ルーノは15歳だがその背は小さく、耳の長さを含めてもロアやアルニカの胸の辺りまでしかない。
「全然、兎型獣人族なら普通だぜ? あれくらい」
自身の優れた能力を誇示する事もなく、ルーノは応じた。
「今日も綺麗な毛並みだねルーノ、毛布にしちゃいたいかも」
アルニカがルーノに言う。
他の獣人族が聞けば震え上がりそうな冗談だ。やれやれ、とでも言いたげにルーノはため息をつく。
「アルニカ、その冗談はあんま余所で言うなよ。変な誤解されっから」
「はは、分かってる分かってる」
ニコニコとした笑みを湛えながら、アルニカは応じる。二人のそんなやり取りを見て、ロアは微笑んだ。
それから、三人は言葉を交わしつつアルカドール王国の街を歩き続けた。数分後、ロア達の前方に城が見えてくる。
「なあ、二人とも」
と、不意にルーノに呼び止められ、ロアは振り返った。
「何? ルーノ」
ロアが訊くと、ルーノは街の時計塔の大時計を指差した。
「約束の時間まで、まだ結構時間があると思うんだけどよ……」
ロアとアルニカも、大時計に視線を向ける。たしかに、まだ数十分程余裕があった。当初の予定では数分前に着く予定だったが、どうやら思いのほか早く着いてしまったらしい。
ルーノが続ける。
「どうする? 確か今日は約束の時間までは城には入れないって言ってたよな、ユリス」
そう。三人が把握する限り、今日城では大きな会議が行われていて、それが終了するまでは城に立ち入る事は出来ない。
「あと30分はあるな……どうするアルニカ?」
ロアが訊くと、アルニカはしばらく考え込むような仕草を取る。
数秒後、彼女は何か思い浮かんだような面持ちを浮かべた。
「あのさ、私ここから近くにおいしいコーヒーとか飲めるお店知ってるんだけど、そこで時間潰すっていうのはどう?」