第20章 ~決着~
戦闘開始から、およそ20分ほど経過していた。
ロアとアルニカの表情に疲れが浮かんできているのに対し、四本もの腕を激しく動かしているにも関わらず、ドルーグには全く疲れた様子がない。
そのスタミナといいあの四本の腕といい、「魔族」という種族はロア達「人間」よりも高い身体能力を持っているようだった。
だが、ロアとアルニカもドルーグに劣ってはいなかった。アルニカが先ほど受けた手傷以外、二人はまだ攻撃を受けてはいない。
「うるさいハエが……!!」
アルニカのツインダガーによる手数の多い攻撃が目障りに感じたドルーグは、全身の力を込め、まずロアに向けて蹴りを放った。
「うっ!!」
ドルーグの蹴りは彼の腹部を狙っていたが、ロアはそれを右腕で防御し、直撃は避けた。
しかし、直撃を避けたと言えど、大人の蹴りだ。ロアの体制を崩させ、地面に尻餅をつかせるには十分だった。
「く……!!」
ロアは右手首を負傷した。蹴りを受けた部位が、あざになっている。
「死ね、小娘!!」
標的をアルニカへと絞り、ドルーグは彼女へと攻撃をかけてきた。
学校で剣術の訓練は受けていたとはいえ、四本の腕による攻撃をさばくのは容易ではなかった。
さらに、少女であるアルニカに対してドルーグは大人の男、一撃の重さはかなりのものだ。
もしアルニカが攻撃を「受ける」のではなく「受け流す」技術を学んでいなかったら、その四本の剣の餌食となっていただろう。
いや、それ以前にその四本の腕の攻撃に目を追いつかせることすら出来ない。
「(どうすれば……!!)」
攻撃を受けながら、心の中で呟く。
アルニカが使っているのはツインダガー、二本の短剣だ。
軽くて扱いやすい分、リーチは短い。反撃するには、敵の懐へと潜り込むしかない。つまり、ドルーグの攻撃をかいくぐる必要がある。
だが、それは言うほど簡単なことではなかった。
「(ガキの娘の割に中々剣術に長けているな……こいつもアルカドールの者か)」
攻撃を防いでいるだけとはいえ、人間の、それもこんな少女に手こずらされるとは思わなかった。
無駄な動きはなく、ツインダガーの扱い方も上手い。きっと、相当な練習を積んだのだろう。
「……だが!!」
次の瞬間、ドルーグの攻撃が激しさを増した。より一層素早く、より一層重く。
「!?」
アルニカは驚く。ここにきて攻撃の激しさが増すとは思っていなかった。
多少剣が扱えるといえども、所詮相手は人間の少女。力で突き崩せば、倒すことなど容易い。ドルーグはそう考えたのだ。
本気を出したドルーグには、アルニカは太刀打ち出来なかった。
数分間はドルーグの攻撃を防いでいたものの、彼女の細い手首にはすぐに限界が訪れた。
「ぐあっ!!」
ドルーグの剣の一振りで、アルニカは右手のダガーを弾き飛ばされた。弾かれたダガーは宙を舞い、虚しく地面へと落ちる。
アルニカは、左手に持っていたもう一本のダガーを利き手である右手へと持ち替える。
そして、ドルーグの追撃に備えようとした、その瞬間だった。
「――――ッ!!」
途端に、アルニカは自分の体が重くなったのを感じた。まるで、巨大な岩盤でも背負ったように。
そして今度、彼女は自分の体がどんどん熱くなっていくのを感じる。まるで、体の中で炎が燃えているかのような感覚だった。
「うっ……!!」
耐え切れず、アルニカは膝を付き、そして地面へと崩れ落ちる。
「うっ……!! はあ……はあ……」
倒れ込んだ瞬間、アルニカの体を猛烈な苦しみが襲ってきた。体中が熱く、まるで空気に酸素がないように呼吸が苦しい。
「(一体、何が……?)」
苦しみで意識を失いそうになる中、アルニカは心の中で呟く。
そして思い出した。先ほど、ドルーグの剣で肩を傷つけられたことを。
「まさ……か……」
荒い呼吸と共に、そう漏らす。
アルニカの頭には、一つの言葉がよぎっていた。その言葉は、「毒」。
そう、剣で傷つけられた傷は浅かったものの、問題はその剣に毒が仕込まれていたことだった。
「フン、ようやく効いてきたようだな……」
アルニカの耳が、かすかにその声を聞いた。
彼女の口からは返事はない。返事の代わりに、喘ぐような荒い呼吸を吐くだけだった。
地面に倒れ伏している今、ドルーグにとってアルニカは、ただの無力な人間だ。
「終わりだ、小娘」
武器を持つどころか、立つことすら出来ない今のアルニカを殺すことなど、ドルーグには造作もないこと。
ドルーグは、彼女に向けて剣を振り上げる。朦朧とする意識の中、アルニカはそれを感じていた。
「ぐッ!?」
途端に、ドルーグの左肩を凄まじい痛みが突き抜けた。
剣を振り下ろすのを止め、ドルーグはゆっくりと視線を左に向ける。
「な……ッ……!?」
ドルーグは驚愕した。
彼の左肩には、一本の剣が突き刺さり、そこから血液が滲んでいた。それも、鎧の隙間を正確に狙っている。
視線を後ろに向ける。そこには一人の少年。茶髪の、ロアがいた。
「まさか僕の存在、忘れてたわけじゃないよな?」
「……!! 貴様……!!」
アルニカに止めをさすことに気を取られていて、ドルーグは彼の存在を忘れていた。
ロアという少年の存在に。
間一髪の所で、ロアはドルーグに向けて矢のように剣を投げ、その左肩に突き刺したのだ。
ロアは立ち上がり、先ほど弾かれたアルニカのダガーを拾う。そして、ドルーグへと走り寄る。
「チイ!!」
ドルーグはすぐさま右の二本の腕で剣を振るうが、所詮は二本だけの剣、ロアは容易く避けた。
剣を避けると、その隙を突き、ロアはドルーグの腕のうち一本に狙いを定めて、アルニカのダガーで切り付ける。
「ぐわああッ!!」
ドルーグの叫び声、
魔族の将の手のひらに切り込みが入り、血液と一緒に彼が握っていた剣が上空へと弾かれ、地面へと落ちる。
「ウぐウウウ……ッ!!」
ドルーグが左肩と手のひらの痛みに悶えている間に、ロアはアルニカを背負い、ドルーグから離れた場所まで走る。彼女を優しく地面へと寝かせる。
その表情からは、苦しみが溢れていた。
「はあ、はあ……!!」
アルニカの顔は赤く、呼吸が荒い。ロアは片膝を立てて、彼女の額に手を当てる。
「すごい熱だ……!!」
ロアはそう呟く。
しかし、アルニカに構う余裕はなかった。ドルーグが再び、ロアへと歩み寄って来ていたからだ。
「……殺す!!」
そう叫ぶように言うと、ドルーグは走り寄ってきた。ロアはまたアルニカのダガーを手に取ると、立ち上がる。
今、アルニカは戦えない。せめて彼女だけでも、守らなければ。
ロアがそう思った瞬間、彼の前に一人の獣人族が割って入った。
「!!」
後ろ姿だけで分かる。灰色の毛並に、尻尾、耳。
「ガルーフ……!?」
ロアはそう呟く。
と、次にもう一人、白い毛並をした兎の獣人族も現れ、彼もガルーフの隣に並ぶ。その白い獣人族には、ロアは見覚えは無かった。
「君は……?」
「……アルカドール王国のイルト」
ロアに背中を向けたまま、兎型獣人族の少年は名乗る。
彼が名乗った名前は、この村で合流する予定だった人物の名前だった。
「……!! じゃあ、君が……!?」
後ろ姿のまま、イルトは小さく頷いて、
「アルカドール王国現君主、ユリス女王から命を受けている。君たちを守る」
イルトの両腕についた金色の腕輪が、日の光を受けて煌めく。
「……チッ、邪魔が入るか……!!」
左肩に刺さったロアの剣を引き抜いて、その様子を見ていたドルーグが言う。
傷を負った上に、相手は三人。しかも内二人は獣人族だ。勝てる見込みが薄いことは、十分に分かった。
「やると言うのなら相手になるぞ?」
腰に下げられたサーベルの柄を握り、ガルーフがドルーグを激しい形相でにらみつけて言った。
淡々とした口調だったが、ガルーフは怒りを抱いていた。
あのドルーグこそが、この村を襲撃した者たちの首領だからだ。
「……お前ら!! 引き上げだ!!」
ドルーグが、自分の配下の魔族の兵達に命令を飛ばし、村の門へと向かう。
命令を受けた兵たちは、破壊や殺戮行為を止めると、ドルーグに続き、村の門へと一斉に走っていく。
どうにか、この場をおさめることに成功したようだ。
「アルニカ!! しっかりしてアルニカ!!」
高熱にうなされているアルニカに、ロアが言う。
しかし、答える筈もない。彼女は喘ぐような呼吸をしているだけだった。
「どうした? 彼女に何があった?」
イルトがロアに問う。
「ドルーグの……!! あいつの剣で傷をつけられたんだ、その剣には、毒が……!!」
ロアは地面に落ちているドルーグの剣を差す。その剣は、彼がドルーグの手から弾き飛ばした剣だった。
「……毒だと!?」
側にいたガルーフがロアにそう返す。
彼は地面に落ちたその剣に歩み寄ると、剣を手に取り、銀色の剣身部分を鼻で嗅ぐ。
「……ナジメ草か!!」
ガルーフはそう言った。そして彼は憎々しげに、剣を地面へと投げ捨てる。「ナジメ草」とは猛毒を含む植物で、ほんの少し摂取しただけでも人を死に至らしめる植物。煎じればほぼ無味無臭、そして無色透明になる。
人間の鼻で嗅ぎ分けることは不可能だが、ガルーフは狼型獣人族。その嗅覚は人間の数万倍だ。
「ナジメ草……!?」
イルトがそう返した。
どうやら彼は、その毒草の名前に憶えがある様子だ。イルトは続ける。
「まずい、数時間で人を殺せる毒草だ……!!」
「どうすれば!?」
ロアがイルトに問う。
「『テリの花』の花弁を煎じて飲めば、ナジメ草の毒を中和できる。だけど、この辺でテリの花が自生している場所は……僕にはわからない」
「ガーナ湖のほとりだ。そこに生えている」
ガルーフの言葉に、ロアとイルトは彼に視線を向ける。
「三日前、カーラと一緒にガーナ湖に魚を釣りに行った。その時、確かに生えていたのを見た」
「それじゃあ、すぐにそこへ行って……!!」
ロアが言う、いつになく彼は焦っている様子だった。アルニカの命の危機だ。焦って当然だろう。
「うん、それしかないな」
イルトが頷いて、ロアに同意する。ガルーフも頷き、
「人間の足では時間が掛かり過ぎる、俺が連れて行こう」
ガルーフはそう名乗り出た。
確かに、狼型獣人族のガルーフは脚力こそ兎型獣人族に劣るが、それでも人間よりは遥かに足は速い。
さらに、スタミナならば兎型獣人族を凌ぐだろう。
「わかった。ガルーフ、アルニカを頼むよ」
ロアの言葉にガルーフは頷く。
「だが、大丈夫か?」
そう言ったのはイルト、彼は続ける。
「じきに日が沈む。この辺りは日が落ちると獣が出るぞ?」
「……心配いらない、大丈夫だ」
ガルーフは即答する。
彼はアルニカを背負う。彼女の喘ぐような呼吸が、ガルーフの耳に聞こえてくる。
「ガルー……フ……さ…………ん……」
荒い呼吸に混じって、アルニカは確かにそう言った。ガルーフは彼女の顔を見つめる。顔は赤く、汗をかいている。
そんな彼女の顔を見て、彼は言った。
「必ず助ける。それまで死ぬんじゃないぞ」