第150章 ~モロク、永遠に~
「こりゃひでえ……随分とやられちまったな」
至る所で建物が崩落し、火の手や煙が上がるヴァロアスタ王国。
ルーノはその様子を見下ろしながら、表情をしかめる。そう、彼は今空を飛んでいるのだ。最も彼自身が飛んでいるのではなく、蝙蝠型獣人族のバドが空に浮かび、その腕に抱えられているという形でだが。
バドは煙草を落とさないよう注意しつつ、口を開く。
「建て直すには、それなりの時間が要るだろうぜ。んん?」
ルーノの視界に、ある物が映る。
「おいあれ……塔が倒れてるぞ!?」
無残に倒壊した塔、その傍らには更に、ルーノとバドが探していた者の姿があった。
「おいあれ、ミレンダとロアじゃねえか、んん?」
ルーノは目を凝らす。バドの言った通り、ロアとミレンダに違いなかった。
二人とも無事だったらしい。ルーノは安堵する。
「よし……バド、あそこだ」
「おうよ」
バドが翼を羽ばたかせて、二人の元へと急接近していく。
それは、突然の襲撃だった。
崩落した塔の陰から魔物が現れ、アルニカ達に襲い掛かった。全身黒く染まった、ミミズとも大蛇とも思える巨大な首、そして翼を持つ不気味な生物、ガジュロス。
耳を突き刺す咆哮に一行が怯んだ瞬間、ガジュロスは凄まじい速さでアルニカ達に迫る。
生きているものならば例外なく貪り食い、その餌食とする魔物。だが襲われたのは最も先頭に居たニーナでも、その後ろに居たイルトでもなく、ウォーロックでもない。
最後尾に立っていた、アルニカだった。
「! きゃっ!?」
魔物が口を開いて襲い掛かってくる、それを察知したと思った瞬間、アルニカは自身が暴力的に捕らえられるのが分かった。ガジュロスがその翼の先にある強靭な手で、アルニカを掴んだのだ。
「アルニカ!」
ニーナの声が聞こえた気がしたが、返事など出来る筈も無かった。
ガジュロスが飛び上がり、みるみるうちに地面が遠ざかっていく。このままでは連れ去られる――痛みの中でそう察知したものの、今のアルニカにはダガーを抜く事すら出来ない。
次の瞬間、ガジュロスの指がアルニカの腹部を強く圧迫し始めた。
「うぐっ……!」
苦い液体がこみ上げる。息が出来なくなり、猛烈な苦しみに視界が潤む。
次の瞬間――端の方から視界が黒く染まり始め、やがてアルニカは気を失った。気絶間際に、遠ざかっていくヴァロアスタ王国を見た気がした。
ロアはただ、立ち尽くしている事しか出来なかった。彼の視線の先には、瓦礫の下敷きとなり、僅かも動かない熊型獣人族の男、モロクの姿がある。
――彼は死んだ。自分を庇って。
その真実だけが、ロアの心の中を反響していた。
「仲間の死は、これが初めて?」
ミレンダに問われるが、ロアは答えない。すると、肩に手が置かれる感触。それは間違いなく、ミレンダの手だ。
「おじ様も言っていたでしょう? 戦い続けるという事は、犠牲を払う事。そしてそれを厭わない事……きっとこれからも坊やは、何度もこういう経験を重ねる事になるのかも知れない」
ロアの頭の中に、仲間達の顔が浮かぶ。
アルニカ、ルーノ、ユリス、イワン、リオ、ヴルーム、カリス……イシュアーナ共和国で出会った者達や、そしてヴァロアスタの者達も。
これから先、この中の誰かが命を落とすかも知れない。誰かが、モロクと同じように。
考えただけで、心臓が凍り付くような気持ちになる。
「っ……!」
ぽん、と何かが肩に触れる感触。
それがミレンダの片手だと気づくのに、一瞬の時も要しなかった。
「しっかりなさい。坊やは仮にも、おじ様を認めさせたんだから」
そう発するミレンダの視線は、ロアには向けられていなかった。彼女が見ていたのは、目の前で瓦礫の下敷きとなり、息絶えているモロクだ。
ロアはふと、モロクがミレンダの育ての親だという話を思い出した。父親同然の男が死んだ、だがミレンダは取り乱す事も、涙を流す事すらも無い。けれど、その面持ちには悲しみが滲んでいるのが分かる。叫びだしそうな気持を、必死の思いで押しとどめているのだ。
「ミレンダ……」
誰よりも悲しいのは、ミレンダなのだ。
彼女が感情を押し殺しているのに、何故自分が暗い顔など出来ようか。ロアは微かに潤んでいた瞳を拭って。何も言わずに握った拳を額に当てて、少し頭を下げる。
アルカドールにおける、死者への哀悼と尊敬、そして感謝の意味を持つ仕草だ。
初めて経験する、仲間の死。当然の事ながら、命が軽い筈など無い。戦いの末に命を落とした男に、ロアは思いを馳せた。
「覚えておきなさいロア、ずっとね……」
ロアは、ただ頷く事しか出来なかった。
ミレンダが初めて自分の事を『坊や』ではなく『ロア』と呼んだ事にも、何も反応出来なかった。
「おいお前ら、無事か!?」
バドの腕からするりと抜け出して、ルーノは地面へと降り立った。
彼の前には、ニーナ、イルト、ウォーロック。彼らはほぼ同時にルーノを振り返って、そして発したのはニーナだった。
「ルーノ……!」
猫型獣人族の少女の面持ちは、仲間の無事を喜ぶ物とは程遠い物だった。何か不穏を感じさせる、含みのある表情だ。
――何かがあったに違いない。場の空気から、ルーノは瞬時にそれを悟った。
「どうしたってんだ?」
問い返しつつ、ルーノはふとある事に気付いた。この場に居るであろう、『彼女』の姿がないのだ。
その事を質問する前に、ルーノと同じ兎型獣人族の少年、イルトが発した。
「アルニカが……魔族に連れ去られた」