第145章 ~モロクの戦い~
「ミレンダ!!」
ロアが声を掛けると、ミレンダは銃に弾を込め直しながら彼を振り返った。
「お帰り坊や、遅かったわね」
まるで、門限に遅れた子供を迎えるような言い方である。ロアは構わずに、彼女に尋ねた。
「モロクは?」
ミレンダは、弾を込め直した銃のシリンダーを二丁同時に収納した。
そして彼女は視線を横へ逸らす。その方向をロアは追う、思わず彼は息を呑んだ。
(凄い……)
モロクとゴライアが肉弾戦を繰り広げていた。
熊型獣人族と、ゴリラ型獣人族。二人の大柄な獣人族の、武器も小細工も無い戦い。まるで巨大な二つの山が衝突し合うような迫力があり、彼らが拳を振るう度に、地鳴りが轟くような衝撃が周囲に走っている。
「結構長い間やり合ってるわ、勝負がつく気配は今の所無しね」
「加勢しなくていいの?」
他人事のように言ったミレンダ、ロアはすかさず彼女へ尋ねた。
「あんな戦い、アタシ達に入り込む余地なんて無いでしょ?」
即答しつつ、ミレンダは煙草を銜えて火を付けた。
灰色の煙を吐くと、彼女は言葉を続ける。
「それにおじ様、加勢なんてしても喜ばないと思うわよ」
「どういう事?」
ロアが尋ねると、ミレンダはモロクの方を向く。彼は、ゴライアの拳を受けていた。
「一対一の勝負に水を差されると凄い怒るから。おじ様」
モロクの事を良く知っているような言い方だった。まるで彼女自身、過去にモロクの勝負に水を差した事が原因で怒られた事がある――そう言っているかのようにも思えた。
訊かずには、居られなかった。
「どうしてそんなに分かるの? モロクの事」
「ああ、そう言えばまだ言ってなかったわね」
ミレンダは煙草を捨て、踏み消した。
「アタシの育ての親なのよ。モロクのおじ様」
「えっ……」
ロアは驚く。
ミレンダはそんな彼を意に介さずに、続ける。
「アタシの本当の父親は酷い男でね、毎日毎日妻と娘に暴力を振るった。けれどある日、夫の暴力に耐えかねた妻が、眠っていた夫を斧で殺して……自分も首を吊ったの」
「っ……」
予期せずに語られた、ミレンダの過去。
ロアはただ、彼女と目を合わせる事しか出来ない。返す言葉など見付からなかった。
「で、娘……つまりアタシは独りぼっちになった。けど、モロクのおじ様が引き取ってくれて、孤児院送りは免れたって訳よ」
どこか物憂い雰囲気を帯びていたミレンダの表情が、切り替わるように真剣な物に変わる。
「さあ坊や、お話はここまで。アタシ達が今しなくちゃいけない事、分かってるわね?」
「……うん」
ゴライアの配下――猿型獣人族達が、周囲に現れていた。
今、ロアとミレンダがすべき事。それは、モロクとゴライアの戦いに水を差させないよう、猿型獣人族達を撃退し続ける事である。
「そんな物か、この老いぼれ!!」
絶え間なく繰り出される、ゴライアの攻撃。
モロクはただ、ひたすらにそれを防ぐのみだ。反撃する事が出来ない訳では無かった、しかし今、モロクはゴライアの力を見定める事に専念しているのだ。
(明らかに常軌を逸した力だ、魔族の施しでも受けているな)
ゴリラ型獣人族は、生まれながらにして強靭な腕力を備えている。だが、ゴライアのそれは明らかに尋常な物では無かった。他に何か、ゴライアの強さを引き上げている何かがある――モロクの頭に浮かんだのは、「魔族の力」だった。
バラヌーンの国家に属するゴライアならば、魔族の忌むべき力を授かっていても不思議では無いだろう。
(この嫌な感じ……恐らく間違い無かろう)
アスヴァン大戦を経験したモロクは、魔族の力が有する嫌な雰囲気を覚えていたのだ。
「ぐっ!!」
ゴライアの勢いを載せた一撃が、モロクの体制を微かに崩す。
「どうした、ふらついてるぞ!!」
更に追撃が繰り出される。
ゴライアが、モロクの襟元と片腕を掴んだ。そして懐に潜り込み、モロクをその背に担ぎ上げる。
直後――モロクの体は、背負い投げの体制で宙に放り出された。
「があっ!!」
モロクの巨体が叩き付けられ、地面が揺れる。
しかしモロクの表情には、痛みに苛まれている雰囲気は浮かんでいない。彼は抵抗せずに敢えて投げ飛ばされる事で、受け身を取っていたのだ。
「もう終わりかジジイ、思った程でも無かったようだな」
ゴライアが迫って来るのを、モロクは感じ取る。
彼は立ち上がった。ゴライアは、側まで歩み寄って来ていた。
「案ずるな若造。まだまだ、これからだ」
モロクの言葉は、決して強がりから出た言葉ではない。
ゴライアはそれを感じ取ったのか、モロクに向けて攻撃を、今度はモロクの腹部を狙ったパンチを繰り出した。
「ぬんッ!!」
今度は、黙って受けるような事はしなかった。
ゴライアの一撃、並みの者であれば即死する程の威力を伴うパンチは、モロクの片手によってその威力を殺された。モロクは受け止めたのだ。
それだけでは無かった。モロクのもう片方の手が、握り拳を作る。
「最も、そろそろ終わりにしようと思っているがな」
先程の言葉に繋ぐ形で、モロクは言う。
ほぼ同時だった。モロクの握り拳が、ゴライアの腹部に突き入れられたのだ。
「ぐッ!?」
隙だらけの腹部を的確に狙った、強烈な一撃。
恐らくゴライアには、自分がパンチを受けたという事すら分からなかっただろう。モロクのパンチは、それ程の速度を帯びていた。
ゴライアの巨体が、まるで引っ張られるように後方へ飛び行く。地面を派手に抉り、大きな砂埃を周囲に舞わせながら――ゴライアは地に伏した。
「ふー……」
モロクは息を吐き、砂埃が晴れるのを待った。この程度の一撃で倒れる筈が無い、長年の時を生きたモロクの勘が、彼にそう訴えていた。
その勘は的中していた。砂埃の中に、ゆらりと巨大な影が浮かび上がる。
「まさか俺様が吹っ飛ばされるとは。大した強さだな、ジジイ」
モロクは、構えを取り直した。
「ククク……いつ以来か、この俺様と拳で張り合える奴と出会ったのは」
ゴライアの口元には、笑みが浮かんでいた。
笑っている。モロクの渾身の一撃をまともに受けた直後であるにも関わらず、だ。
「感謝するぞジジイ、久々に戦う事を楽しめそうだ……」
ゴライアは、拳をボキリと鳴らす。今から本気を出す、そう合図しているかのようにも思えた。
「先程の貴様の言葉を借りるぞ」
「何?」
モロクが問い返すと、ゴライアは言った。
「そろそろ終わりにしよう、だったか? 俺様もそう思い始めた所だ」
砂埃の中からゴライアが歩み出てくる。彼はゆっくりと、だが確実にモロクに向かって歩み出てくる。
「俺様の本気を、俺様が授かった魔族の力を見せてやろう」
「!!」
やはり、モロクの予感は的中していたのだ。
このゴライアと言う男は魔族の力を得ていた、けれど今までは、本気では無かったのだ。さしずめ、準備運動とでも言った所だったのだろう。
「後悔するが良い、老いぼれの分際で俺様を本気にさせた事をな!!」
身構える。モロクにはそれ以外の手立ては思い浮かばなかった。