第139章 ~戦慄の嘲笑~
ヴァロアスタの戦火を抜け、聖堂へ向かっていくのは思っていた以上に大変な事だった。
何処を見渡そうとも入ってくるのは戦場と化した街、死力を尽くして応戦するヴァロアスタの兵士や、エンダルティオの少年少女達。そして時に、戦いの火の粉はロアにまで降りかかってくる。
出来うる限り戦闘は避け、進むにあたって邪魔になる魔族の兵のみを倒し、ロアは駆ける。
どうしてなのかは分からない。けれど、ロアはどうしても見過ごす事が出来なかった。
(どういう意味だ、一体……!!)
バルダスが「暴君」と蔑むように呼んでいた、あのメリアナという女。
そして、バルダスが魔物へと変貌を遂げる以前、彼は確かにロアとミレンダへ命を乞う様な事を言っていた事。
如何なる手段を用いたかは全く予想が付かない。しかし、あの女がバルダスを魔物へと変えた――そう考えれば納得が行くのだ。
暴君(変貌する前のバルダスは女王様と呼んでいた)と呼ばれていた事、さらにユリスを思わせる高貴な雰囲気。恐らく彼女は何処かの国を治める立場にあるに違いない。
(……!!)
だからこそ、見過ごしてはおけない。
もしもロアの考えが正しいのならば、メリアナは自分の国民を魔物に変えて自分やミレンダに差し向けた事になるからだ。
(そんな事が、赦されるものか!!)
ほんの僅か顔を合わせたに過ぎないメリアナに、ロアは敵意を新たにする。
そして彼は走り続けた。女が向かったというヴァロアスタの聖堂へと。
どれ位の時が過ぎたのか、ようやく聖堂が視界に入ってくる。だが、その入り口付近に数十人の者が倒れ伏していた。
「!!」
すぐさま駆け寄る――倒れ伏しているのは全員、ロアとそう歳は離れていないであろうヴァロアスタ王国のエンダルティオの少年少女達だった。
しかし、彼らが纏っている鎧は無残に砕かれ、地面は彼らの体から流れた血液で赤く染まっている。
手近に倒れていた少年の側で膝を折り、ロアは生死を確認してみる。
(駄目か……!!)
彼は既に、息をしていなかった。
致命傷となったのは、彼の腹部に大きく刻まれた傷だろう。
(……剣じゃない。一体何を使えば、こんな傷が……!?)
少年の腹部は鎧ごと大きく裂かれており、即死だっただろう。
しかし、どこか妙だった。その傷は剣にしては太すぎるし、何より鎧を容易く打ち砕いているのだ。
このような傷を与える武器は、ロアが知っている限りでは思い当たらなった。
その後、ロアは他の少年少女達にも駆け寄り、生死を確認する。しかし――調べた者は皆、既に命を失っていた。
「うっ……」
だが、唯一人だけ――その少女は生き残っていた。彼女が弱々しく発した声を、ロアは確かに聞き届ける。
「!!」
彼女の様子は、他の者と同様だった。
鎧ごと腹部を大きく裂かれ、辛うじて命を繋ぎとめている状態だ。
「大丈夫?」
語り掛けるが、返事は無い。ただ、苦しげに呻くだけだ。
ロアは彼女の背中に手を回して助け起こし、聖堂の壁に寄り掛からせる。鎧を纏っている故、重かった。
「ぐっ……はあ、はあ……薬を……」
「薬?」
と、ロアは彼女の腰のポーチに、何か液体の入った瓶があるのを見つける。
「これだね?」
瓶を取り出してロアが問うと、少女は頷いた。
栓を開けて、ロアは中身の液体を少女の傷口にゆっくりと注ぎ掛ける。
「うっ……!!」
ジュウウウ……と水が蒸発するような音を立て、液体が傷口に染み込んでいく。
少女は表情を強張らせるが、それも数秒。
「うっ、はああ……」
彼女の表情から苦しげな様子は消え去り、顔色も良くなっていく。出血も止まり始めていた。
「大丈夫?」
先程と同じ言葉で再度話し掛けてみる。ロアとしっかり視線を合わせ、少女は頷いた。
「うん……ありがとう」
一先ず彼女は一命を取り留めた様子だった、ロアは安堵する。
そして彼は尋ねてみる、誰が彼女を瀕死の状態へ追い込んだのかを。
「何があったの?」
「……仲間達と一緒に聖堂の入口を守っていたら、知らない女が来た。黒いドレスで、多分どこかの国の権力者だと思う」
それだけで、ロアは確信する。メリアナだ。
「その女は?」
「っ……止められなかった。皆そいつに倒されて、あの女は聖堂に……!!」
ロアは聖堂の入口に視線を移す。メリアナが聖堂に向かった、というのは本当のようだ。
「立てる?」
「っ、何とか……」
少女に肩を貸して、地面から腰を上げさせる。
「何処か安全な場所は?」
「私は大丈夫、薬のお蔭で傷も大分塞がったし、近くに救護所があるから……君はどうするの?」
ヴァロアスタの薬の効能に関心しつつ、ロアは即答する。
「メリアナを止めに行く」
「!! 行っちゃ駄目、君も殺される!!」
途端、少女が声を荒げた。
「あの女は、人間じゃない……魔物だもの……!!」
どういう意味なのか、問うている暇は無かった。
「分かってる。だけど、こんな恐ろしい事をする奴を放ってはおけないんだ」
メリアナという女が恐ろしい力を有している事を、嫌でも知る事になったロア。しかし彼の意志は曲がらない。
否、彼の意志は寧ろ、確固たる物へと変じていた。あの女を止めなければ、この少年少女達のような被害者が増え続けるからだ。
「……分かった」
少女が傷を抑えつつゆっくりと歩いて行くのを見て、ロアは聖堂に踏み入る。
「君、待って」
不意に呼び止められ、ロアは振り返る。
と同時に、液体の入った小瓶が投げ渡された。投げたのは、ロアが救ったエンダルティオの少女である。
「一回分しかないけれど……危なくなったら使って」
ロアは頷き、彼女への感謝を表すべく笑みを浮かべた。
すると少女は、
「幸運を」
そう言い残して歩き去っていく少女を見届け、ロアは聖堂に踏み入った。
入口を潜り抜け、天井の高い部屋に出る。部屋の奥中央にある祭壇に、その後ろ姿があった。
「どんな鼠が来たのかと思えば」
漆黒のドレスを纏ったその姿、吐き捨てる様な口調。間違える筈等無かった。
振り向くと同時に、その鋭い瞳がロアを睨んで来る。
「その黄色い魔石の付いた剣……アルカドールの下民か」
「……君に訊きたい事がある」
怯む事も無く、ロアは発する。
「君と一緒に居たバルダスという男が居ただろう、彼が急に魔物に変じて僕達に襲い掛かって来た。あれは……君の仕業なのか?」
「……くっ、ふふふふふふっ……!!」
突然、メリアナは笑い始める。聖堂内に加虐的な笑みが響き渡る。
「そうだと言ったらどうする? 自分の国民をどう使おうが……勝手だろう?」
「!!」
やはりロアの思っていた通りだった。この女が、あの男を魔物に変えさせたのだ。
「手応えの無い屑ばかりで退屈していた所だ……」
その言葉を発した時には、もうメリアナの顔に笑みは無かった。
「お前は……楽しませてくれるのか?」
次の瞬間、それが起きた。
メリアナの右腕が木の根のように幾つにも裂け、肥大化して太くなり――紫色に変じていく。
(あれは……!?)
正しくそれは同じだった、バルダスが魔物へと変貌していくあの様子と。
しかしメリアナは彼とは違って腕のみが変貌しており、完全に魔物へと変じる様子は無い。
メリアナの身長の何倍もの長さへと変じた彼女の右腕は、まるで紫色の鞭の様であり――そこには幾つもの棘の様な物体が生えていた。
「はは、あはははははは!!」
自分の身を変貌させながら、邪悪な笑みを浮かべる女。言い表せない程に悍ましい光景だった。
その次の瞬間、ロアは自分目掛けて女の腕が振るわれたのを感じ取る。
「!!」
その光景に気を取られており、反応するのが一瞬遅れた。
衣服が破れ、ロアの腹部に浅く傷が刻まれる。
「ぐっ!!」
ロアは確信する。
エンダルティオの少年少女達に致命傷を負わせたのは、メリアナのあの腕だ。彼女の腕が変貌し、棘付の紫色の鞭によって繰り出された攻撃が、彼らをあんな状態へ追い込んだのだ。
「つまらない……所詮はこんな物か」
メリアナがそう言っている間も、鞭に変貌した彼女の右腕は蛇のように蠢いている。
腹部の傷を抑え、ロアは彼女に向き直る。
「安心しろ、お前も直ぐにあの世へ送ってやる」
女が歩み寄り、腕の鞭を振り上げて来る。
ロアの脳裏に、聖堂の入口付近の凄惨な様子が思い出される。このままでは自分も、彼らのような目に遭う。
身構えた時、
「ん……?」
鞭を降ろし、メリアナが突如何かに気付いたような声を発する。
彼女の視線はロアをすり抜け、彼の後ろを見ていた。
「……?」
ロアも恐る恐る、後方に視線を見る――聖堂内に一人の人物が入ってくる。
入口の光の逆光で顔が見えないが、その者が近付く度に顔が見え始める。
「え……」
やがて、その者の顔が見えた時、ロアは思わず目を疑った。
長く伸ばした金髪に、薄紫色のドレス、首に着けられた宝石のチョーカー、そして、優しく澄んだその瞳。
紛れも無く、彼女だったのだ。
「ユリス……?」
ロアの言葉に応じるよりも先に、彼女――ユリスはメリアナに視線を向け、
「……メリアナ」
そう呼ぶと、ユリスはロアがこれまで見た事も無いような、険阻な面持ちを浮かべた。