第137章 ~変貌~
手の内が分からない相手と戦う際、不用意に仕掛ける事は危険だとロアは知っていた。
だから彼は今、バルダスの攻撃を防ぎ続け、この鎧男が如何なる攻撃手段を用いるのかを見定めている。
繰り出されるクレイモアの攻撃を、ロアはひたすらに受け流していた。
(……!? まるで使いこなせていない……)
まず最初に感じた事――それは、「違和感」だった。
バルダスの攻撃を数度受け流しただけでも、彼がクレイモアを使いこなせていない事が明白だったのだから。
クレイモアという巨大な剣の重量を制御出来ておらず、それを持つ両腕は震え、剣を振っているというよりも剣に振り回されているという感じだった。
さらに、鎧越しに発せられるその声。
「うあ、あ、あああああああああ……!!」
ロアが何よりも尋常ならざるものを感じたのは、クレイモアを振るたびにバルダスが発するその声だ。奇声ともとれるが、何かに脅えているようにも思えるその声。何にしても、この状況で発する理由など無いであろう声なのだ。
何が何だか分からなかった。一体、この男は――。
(気味が悪い……!!)
ミレンダと同意見になった。この男からは、嫌な予感がする。
武器を使いこなせていない以上、ロアには最早、敵ではなかった。
「はあっ!!」
クレイモアを避けるとほぼ同時に、ロアは魔法の光を宿らせた剣を振るい、バルダスの片腕を切断した。魔法の力の前では、ただの鎧など紙切れに等しかったのだ。
「うが……!! ああああああああああ!!」
苦痛の声と共に、男が地面に倒れ込む。
ガシャガシャと鎧を鳴らしながら、地面をのたうち回る。
「何コイツ……? 全然相手にならないじゃない」
全く、ミレンダと同意見だった。
「……だけど手間が省けた。ミレンダ、モロクは……?」
「相手の親玉と戦ってるわ。おじ様とあそこまで渡り合うなんて、あのボス猿……かなりの腕ね」
ミレンダは、新しい煙草に火を付けた。
「分かった、とりあえずモロクの所に……」
「うがああああああああああああああ!!」
突然の絶叫に、ロアとミレンダはほぼ同時に振り向く。
その先には地面に倒れ込んだバルダスが居た、先程ロアに切断された腕の断面から、何本もの紫の触手が生え、それらが蛇のように絡み合っていく。
「な、何よあれ……!?」
ミレンダに応じる余裕など、無かった。
まるで糸に釣られた人形のような動作で立ち上がったかと思うと、その腕を起点として鎧にヒビが入り、そして鎧が砕ける。その下から、巨大な紫色の物体が現れた。
ブヨブヨしていそうな気味の悪い軟体質、それが男の全身から湧き出るように吹き出し、人間の面影を残す部分を次第に浸食していく。
「!!」
ロアは、ユリスから贈られた水晶が紫色の光を放っている事に気付く。先程までは、透明のままだった。
(じゃあ、あれは……!?)
その時、紫の軟体質に浸食されていく中、バルダスがロアの目を見つめて、言った。
「た……助けてくれ……俺はまだ死にたくない、妻と、子供が……!!」
そこには、一人の人間として純粋に他者を想う、人間としての感情があった。
「!? どういう……!!」
聞き返す間もなく、紫の軟体質が男の顔まで浸食し、彼を覆い包んだ。
「うぐうっ!! あ、あ……」
その断末魔を境に――バルダスという男の意識は、消滅した。
代わりに、紫色の体色を持つ魔物が姿を現す。
人間が魔物に変わる瞬間を目の当たりにし、ロアは鳥肌が立つ感覚を覚える。自分と同じ人間が化け物へと変貌する瞬間、それは余りにも恐ろしく、そして悍ましかった。
(だ、誰があんな事を……!?)
こんな事が、自然に起きる筈が無かった。誰かがあの男を化け物に変えるよう仕組んだのだ。
真っ先にロアの頭に、バルダスと共にいたあの女の顔が思い浮かぶ。
ユリスと似た雰囲気を持っていたが、どこか邪悪で高飛車な印象があった、「メリアナ」と呼ばれていた女の顔が。
(もしかして……)
あの女が、この男を化け物に変えるよう仕組んだのだろうか。
「坊や、考えてる暇は無いわ」
ミレンダは煙草を吐き捨てて踏み消し、銃に弾丸を込め直す。
その視線の先で、紫色の体色を持つ化け物――先程まで人間だった魔物が蠢き、今にも襲い掛かってくる様子だった。
「っ……!!」
剣を構え直し、ロアは備える。
地下空洞内で、ルーノとバドは蜘蛛型の魔物、ジェブロスと交戦していた。
巨大な八本の脚が蠢き、ルーノとバドを貫かんと振り下ろされる。
「うっ!!」
ルーノは魔法の力を宿らせた剣を振り、ジェブロスの脚に切りかかる。しかし、刃が微かに食い込むに留まるだけで、効果は薄かった。
(魔法も効かねえのかよ……!!)
次の瞬間、ルーノに向けて脚が振り下ろされる。避けたと思った瞬間、続けざまに別の脚がルーノを襲う。
「っと……!!」
上からの攻撃は脚力を活かして避け、足を水平に振る攻撃は姿勢を低めたり、前転で避ける。
兎型獣人族の身軽さと、背が低い事が幸いしていた。
(ラチがあかねえ……!!)
一先ず、ルーノはジェブロスの攻撃が届かない場所へと移る。
「くっそ固いぜこの化け物。銃弾も通しやしねえ、んん?」
「っと、みてえだな……」
いつの間にか隣に居たバドに、ルーノは応じる。
「俺達の攻撃が通らない以上、このままじゃ奴の好き放題だぜ、んん?」
「言われなくたって、んな事分かってる……」
自身の青い毛並みに付着した土埃を払いつつ、ルーノは応じた。
そして彼は、考えを巡らせる。どうすれば良いのか、この魔物を撃退する手段は無いか、と。
(俺の剣も、バドの銃も通用しねえ。だったら……ん? いや待て……)
ふと、ルーノは思い出す。
「……!! 方法があるかも知れねえ」
「ホントか、んん?」
バドに頷き、ルーノは自身の考えを説明しようとする。
その次の瞬間、ジェブロスの腹部が、膨らみ始めた。
「や、ちょっと待て」
何かを感じたルーノは、バドを制する。
刹那、ジェブロスの腹部が裂けるように開き、そこから大量の子供――ジェブロスを小さくしたような子蜘蛛が沢山現れ、一斉にルーノとバドの方向へと向かってきた。
「!? うおわああああああっ!?」
ガサガサガサガサ、気味の悪い音と共に迫り来る子蜘蛛に、ルーノは生理的な恐怖感を覚えた。
隣で、バドが子蜘蛛に向けて銃を撃つ。しかし、一発で蹴散らせるのは僅か数体。
(おいおいおいおい……!!)
子蜘蛛と言えど、噛まれればただでは済まないだろう。
その次の瞬間、ルーノは自分の胴に何かが巻き付く感覚を覚える。ほぼ同時に、自分の体が浮くのが分かった。
「あんな数とまともに戦うのは賢くねえぜ、んん?」
「っと、バド……?」
バドが、ルーノを抱えて飛び上がったのだ。
「まあ、どう戦えばいいか見当も付かねえがよ。んん?」
「……だろうな」
子蜘蛛を放ってくるなど想定外だった、ジェブロスへの対抗策を見出したと思った途端、新たな障害に直面してしまう。
「つーかさっきから思ってたんだがよ、何か臭わねえか、んん?」
空いた手を鼻に当てつつ、バドが言った。
「臭う?」
鼻を使ってみると、確かに何かの臭気が漂っていた。
(この臭い、どこかで……まさか?)
臭いの原因を思い出したルーノ、同時に彼は対抗策を見出した。
ルーノは鼓膜を開き、音を頼りにジェブロス、さらに子蜘蛛の位置を探る。
(……よし、かなり離れたな)
ルーノは鼓膜を閉じ直し、バドに抱えられたまま辺りを見回す。
そして、見つけた。
「!! バド、降ろしてくれ」
「んっ?」
バドは特に何も問い返す事なく、ルーノを降ろす。
降ろされたルーノは、地下空洞の隅に置かれた大きな数個の樽に駆け寄る。
「んっ……!! これだな」
この樽が臭いの元だと確認し、ルーノは鼻を抑える。
「何だよそれ? んん?」
問うてきたバドに、ルーノは微かに笑みを浮かべる。樽をぽんぽんと叩きつつ、
「良い物さ、とってもな」