第131章 ~ジェブロス~
仕掛けて来たのは、ゴライアではなく彼が率いる猿型獣人族達だった。
両手に持つ短剣をまるで踊るような仕草で振り回しつつ、彼らはロア達へと迫り来る。
「キキキキッ、ボスの命令だ……死んでもらうぜ!!」
ロア達は円形に立ち、他の誰かへと背中を任せる。
ゴライア率いる猿型獣人族達を迎え撃つ、五人の円形――それを構成する一人、ロアは剣を構える。
自身の右隣にアルニカ、左隣にモロクが立っているのが見えた。
「死角からの奇襲に注意しろ小童、猿型獣人族の身軽さは並外れているぞ」
「分かってる……」
ロアはモロクに返しつつも、周囲への警戒を怠らない。
モロクの言った通り、猿型獣人族の持つ身体能力は奇襲に適している。
ジャンプ力や走力に加え、彼らは壁をよじ登る事も得意とする種族。
さらにこの場には、木や民家――猿型獣人族達が用いるに適した物は、無数にある。
「あいつは……仕掛けて来ないのかな?」
アルニカに問われ、ロアは彼女の視線の先を見やる。
猿型獣人族を率いるリーダー、ゴリラ型獣人族のゴライアが葉巻に火を付け、立っていた。
今の所、襲い掛かってくる様子は無い。
「高みの見物……でもするつもりかな」
「猿型獣人族は勿論、奴の動きにも注意したまえよ、君達」
ニーナに忠告され、ロアとアルニカは頷く。
ゴライアはバラヌーン、つまり魔族の手先だ。
どんな手で攻撃を仕掛けて来るか、どんな戦法を用いるのか――手の内が全く読めない以上、油断は禁物である。
「後ロハ、ワタシ二任セロ」
「うん。頼んだよ、ウォーロック」
ロアは周囲に気を払いつつ、ウォーロックに返した。
その次の瞬間――猿型獣人族が一斉に、ロア達へと切り掛かって来た。
「どうすりゃいい!?」
地下へと続く空洞――停止した昇降機の上で、ルーノは切迫しつつ言う。
その視線の先には、巨大な蜘蛛の魔物が居る。
「そうだな……とりあえず、近付いて来たらその剣を喰らわせてやれ。んん?」
「それまではどうすんだよ!?」
ルーノが問い返すと、バドは化け物を見上げたまま銃を構えた。
その口に銜えられた煙草から、緩やかに煙が昇っている。
「決まってんだろ、何の為の銃だと思ってんだ……」
バドは、銃口をジェブロスへ向ける、そして。
「んん!?」
その、彼の独特の語尾と共に――バドは引き金を引いた。
火花で薄暗い空洞内が一瞬明るく照らされる、一瞬にも満たない時の後、バドの放った銃弾はジェブロスに着弾した。
固い木の実を勢いよく潰すような音と共に、ジェブロスの外殻が少しだけ陥没する。
しかし、弾丸は蜘蛛型の魔物を撃ち抜く事は無く、弾かれた。
「ジュルルルル……!!」
ジェブロスの六つの赤い目が、バドとルーノを見下ろしている。
その顎がウネウネと蠢き、不気味だった。
「チッ、なんて固い体してやがんだ、んん?」
バドは次の弾丸を装填し、銃口を再び化け物へ向ける。
その瞬間だった、ジェブロスの口から白い糸が伸び、バドの右腕に絡み付いた。
「!?」
右腕を捕らえられた、バドがそれを理解した瞬間、ジェブロスはその巨体を大きく横へ振る。
その勢いが糸を通じて、バドにも伝わった。
まるで振り子のように、彼の体が横に引かれる。
「うおあっ!?」
右腕に絡んだ糸を振りほどこうとするものの、バドにその猶予は与えられなかった。
バドの背中が、昇降機の柵に打ち付けられる。
「んぐッ!!」
その衝撃で、彼の銃がその手を離れ――昇降機と周囲の岩肌の隙間から落下していく。
(しまっ……!!)
落としてしまった銃を惜しんでいる余裕など、与えられなかった。
バドの右腕には、まだジェブロスの糸が絡み付いている。
このままでは、彼はさらに痛手を負う可能性があるのだ。
「無理やり縛られて喜ぶ趣味はねえんだよ、んん……!!」
軽口を叩きつつも、バドは必死に腕に絡んだ糸をほどこうとする。
しかし、どれ程力を込めて引き千切ろうとしても、ジェブロスの糸はびくともしない。
「バド!!」
ルーノは剣を振り上げて、バドへと走り寄る。
兎型獣人族の脚力を発揮して大きく跳躍し、バドの右腕を捕らえている糸へ剣を振り上げる。
「レーデアル・エルダ!!」
ルーノの持つ剣が、黄色い光を纏う。
彼は勢い付いたまま、バドを捕らえているジェブロスの糸を両断した。
糸から解放されたバドは、後方へよろける。彼は腕に絡み付いた糸を、憎々しげに取り払った。
「大丈夫か?」
ルーノは、バドに歩み寄る。
「どうってこたねえ、だが銃を落としちまったな、んん?」
バドは立ち上がる。
視線をジェブロスへと向けると、怪物は身を縮めるようにしていた。
その体がまるで、風船のように膨らみ始めているのが分かる、何かを吐き出そうとしている――。
「……まずいな、飛ぶぞ」
「は!?」
返事をする事も無く、バドはルーノの小さな体を軽々と片腕で抱え上げた。
バドの意図が分からず、ルーノは困惑する。
「ちょ、おい!?」
バドの腕の中で、ルーノは足をばたつかせる。
「喋んな、舌噛むぞ。んん?」
そう言い放ったと思った瞬間、バドはルーノをその腕に抱えたまま昇降機の柵へと走り寄る。
そして彼は軽々と柵を飛び越え、柵と周囲の岩肌の隙間の部分へと飛び込む。
詰まる所、彼は昇降機から自ら飛び降りたのだ。ルーノもろとも。
直後、ジェブロスは吐き出した。何本もの毒針を。
毒針が雨のように降り注ぎ、バドとルーノが立っていた昇降機に突き刺さる、毒針は鉄に突き刺さる程の硬度だった。
もしも昇降機に立ったままで居ようものなら、あの毒針の餌食となっていただろう。
「う、うおわああああああああ!?」
悲鳴にも似た、ルーノの叫び声が空洞を反響する。
危機は脱したと言えども、現在も十分に危機的な状況だった。
薄暗い空洞を落ちて行くのは、ルーノにはとてつもない恐怖感があった。
「あんま喚くな、うっとうしいぜ。んん?」
ルーノの体を抱えたまま、バドも共に落ちて行っている。
しかし彼はルーノと違い、冷静さを保っていた。
「喚くなってオマエ……!!」
凄まじい風圧が、ルーノの毛並や長い耳を揺さぶる。
「心配するこたあねえよ。俺達蝙蝠型獣人族の目は、暗い中でもよく見えるんだからよ」
バドは続ける。
「それにお前さん、俺の背中の翼が見かけ倒しとでも思ってんのか、んん?」
「……!!」
改めて、ルーノは思い出す。バドが何の獣人族なのかを。
彼はそう、蝙蝠型獣人族だ。
「さて、じゃあ少しの間黙ってろよ。んん?」
「……分かったよ」
バドの腕に抱えられたまま、ルーノは頷く。
その次の瞬間、バドは翼を広げた。その瞬間に降下する速度が落ち、ルーノの目にも地面が見えてくる。
蝙蝠型獣人族の飛行能力を発揮し、バドはふわりと地面へ着地する。
地下には別の明かりが灯されており、ルーノの目にも周囲の状況を確認する事が出来た。
「っと……」
ルーノは、バドの腕の中から抜け出す。
ふと、地下洞窟の片隅に落ちていた銃が目に留まった、バドが落とした物である。
銃を拾い上げて、ルーノはバドへ手渡した。
「ホラよ」
「ん、悪いな」
バドは銃を受け取ると、砂埃を払い落した。
「!!」
はっとしたように、ルーノは視線を上げる。
「どうした?」
「……追って来てるみてえだ、あの化け物」
ルーノの耳は、その音を捉えていた。
八本の脚を持つ蜘蛛型の魔物、ジェブロスの独特の足音が近づいて来る音を。