第123章 ~裏切り~
ヴァロアスタ王国団長のニーナ、そして副団長のドゥネス。
本当ならば、互いに同じ国に仕える騎士であった二人。
しかし。今の彼らには、信頼も、僅かな仲間意識も存在しない。
あるのは――敵意のみ。
(始末する……今この場でな)
ドゥネスは、紫色を持つ魔力の力を纏う長剣を片手に、ニーナへと走り寄る。
そして、ニーナの体を切り裂かんと、長剣を横に振り抜いた。
「!!」
しかし、剣はニーナの小さな身に命中する事無く、空気のみを裂く。
直後、ドゥネスは自身の真上に視線を上げた。
同時に、紫色の光を纏ったレイピアの一振りが、ドゥネスの顔面へ迫り来る。
「っ!!」
直後、二つの金属の刃が打ち付け合い、紫の光が迸るように散る。
それと同時に、ニーナはドゥネスの後方へ着地した。
ドゥネスは後ろを向く。
「君に私は捕らえられんよ」
男の後方に着地したニーナは、挑戦的に紡いだ。
ドゥネスは、自らの長剣の刃を指でなぞる。
「どうかな?」
そう呟くと、ドゥネスは地面を蹴り、ニーナとの間合いを詰める。
対するニーナも、自身に迫るドゥネスに向かい、走る。
互いの間合いに入る直前――ニーナは猫型獣人族の脚力を発揮し、跳び上がった。
自身よりも遥かに身長の高いドゥネスの身長をも軽く超え、ニーナは再びドゥネスの後方へ回り込む。
「!!」
二度目となるニーナの跳躍に、ドゥネスはより機敏に反応する事が出来た。
彼がすかさず後方を振り返ると、ニーナのレイピアの一振りが迫り来る。
「そんな単調な戦い方が、通用するとでも思っているのか?」
レイピアを受け止めたドゥネスは、間近でニーナに問う。
ニーナの面持ちは毅然としていて、僅かな恐れや恐怖も浮かんでいない。
「喋っている余裕があるのかね?」
同時に、ニーナは長剣を弾き返す。
ドゥネスを押し返すと、彼女は小さく何度も跳躍し始めた。
彼女の耳や毛並や尻尾が、跳躍と連動するように揺れる。
「!!」
ニーナの動作は、ドゥネスにとって見慣れた物。
故に、次にニーナが行う動作も――ドゥネスには容易に想像が付く。
ドゥネスの予想は的中した。
ニーナは利き足を一歩後ろに下げ、ドゥネスに向かって低空に跳んだ。
途中で一度地面に足を付いて宙返りし、高い位置からドゥネスに向かって斬り込む。
小さな体格を補う為、跳躍によって高さを得ているのだ。
(やはり、見事な太刀筋だ。騎士団の団長を努めるだけの腕はあるという事だな)
ニーナと剣を交えるドゥネスは、彼女の攻撃を受けつつ思う。
副団長たる彼は、長い間ニーナの剣捌きを見ている。
故に、彼はしっているのだ。
ニーナが、猫型獣人族だけが扱える高等剣術、「サルグ・アレーラ」の使い手だという事も、彼女の戦い方も。
(素早く激しい跳躍や回転を繰り返しつつも、構えは全く崩れていない)
猫型獣人族のみが扱える高等剣術、サルグ・アレーラ。
ルーノやイルトといった兎型獣人族が用いる「イルグ・アーレ」の発展型とも言われ、習得難易度は極めて高い。
まず、この剣術を扱う大前提は猫型獣人族であること。
猫型獣人族にしか持ち得ない能力、強靭な脚力と平衡感覚が無ければ、この剣術は到底扱えないのだ。
だが、猫型獣人族が誰しもこの剣術を扱いこなせる訳では無い。
サルグ・アレーラを扱うには、脚力や平衡感覚の他にも重要な事がある。
「これで精いっぱいかね? まるで手応えを感じないよ」
一時、ドゥネスの長剣とニーナのレイピアの応酬が止む。
互いに正面を向き、空気を挟み対峙する状況となった。
「まだほんの小手調べ……」
囁くような小さな声で発し、ドゥネスは長剣を自身の前に掲げる。
途端――長剣の銀の刃に、紫色の竜巻が渦巻き始めた。
「!!」
余裕を湛えていたニーナの表情が、険阻な物へと変化する。
ドゥネスが長剣に渦巻かせる物体の正体を、彼女は知っているから。
闇の魔力だ。
「思う存分、味わうが良い!!」
ニーナに向かってぶつけるように発し――ドゥネスは剣を振り下ろした。
同時に、長剣に纏っていた紫の竜巻が剣を離れ、一直線にニーナへ向けて飛んで行く。
魔力を放ち、ドゥネスはニーナに叩きつけるつもりなのだ。
「っ!!」
いずれドゥネスは、魔力を使った攻撃を仕掛けてくる。
戦いが始まった時から、ニーナはそう予期していた。
戦況は、彼女が読んでいた通りに運んでいく。
まるで鳥のように飛び来る魔力の塊――触れれば、ニーナの小さな体など簡単に押し潰されてしまうだろう。
(やはり、使って来たか……!!)
ニーナは冷静だった。
かなりの速度で迫り来る魔力の塊を、彼女は生まれ持っての身体能力を駆使し、避ける事を試みる。
地面を蹴って走り出し、塊が飛んでくる延長線上から外れる。
そのすぐ後――彼女の背中を、ドゥネスが放った邪悪な力が通過して行った。
「逃がさぬ……!!」
避けられても、ドゥネスは全く動じる様子を見せなかった。
彼は、長剣で直ぐに新しい魔力の塊を作り出す。
すぐさま、ニーナに向けて放つ。
しかし、どれだけ放とうとも、猫型獣人族の少女に着弾する事は無かった。
(ちっ、チョロチョロと……!!)
苛立ちを覚えつつも、ドゥネスは冷静だった。
一時でも冷静さを欠こうものなら、自分はこの勝負に負けると理解しているのだ。
相手は少女といえども、騎士団団長。
ニーナ=シャルトーンなのだ。
(どうやら……この魔力の塊以外には、遠距離を攻撃する手段は無いようだね)
対するニーナ、彼女もまた冷静さを保っていた。
素早い動作で魔力の塊を避けつつも、ドゥネスの攻撃手段を分析している。
(ならばもう、好き放題にさせておく必要は無い。勝負を付けるとしようか……!!)
これ以上、受けの立場でいる必要は無い。
そう判断したニーナは、勝負を決する為に攻めへと転じる事に決めた。
それまで横に向かって走り、ドゥネスの狙いから外れるように動きを取っていたニーナ。
直角に曲がったと思った瞬間――ニーナは開いていたドゥネスとの距離を詰めるように、男に向かって駆ける。
「!!」
目に見えてだじろぐドゥネス。
恐らく彼は、ニーナは自分の出方を伺っていると思い込んでいたのだろう。
急転する状況に、彼は戸惑っているのだ。
「真正面から突っ込んで来るとは……冷静を欠いたか!!」
ニーナが追い迫って行く中、ドゥネスはそう放つ。
しかし、どう平静を装っていても、狼狽えている事が見え見えである。
彼は剣を振り上げ、魔力の塊を作り出し始める。
しかし今度は、これまでの物とは違った。
(!! 大きい……!!)
ニーナは一時、足を止めた。
彼女は、紫色の光を纏うレイピアを構え直す。
ドゥネスが作り出した魔力の塊は、これまでとは比べ物にならない大きさの物だった。
城の廊下の両端の壁、床と天井に触れる程に巨大な物だ。
(しかし、始めからこの大きさの物を出さなかったのは、やはり魔力に限りがあるから……!!)
ニーナは分析する。
そう、最初から巨大な塊を放っていれば、すぐにでも勝負は決していたかも知れない。
にも関わらずドゥネスがそうしなかったのは、彼が扱う魔力に限度があるから。
「これは避けられまい、シャルトーン!!」
ドゥネスが剣を振り下ろす――巨大な魔力の塊が、唸るような音を周囲に発しながら、ニーナへと迫り始めた。
進行する塊によって、周囲が滅茶苦茶に破壊され始める。
柱が砕け、飾ってあった像を粉々にし、轟音と共に、廊下の壁の一方が爆散する。
直後――魔力の塊が、爆発した。
目も眩むような光の後、何もかも破壊し尽くすような爆風。
砕け散る石の破片が、ドゥネスの足元まで飛んで来る。
「……片付いたか」
ドゥネスは漏らす。
これ程の爆発からは、いくらニーナでも逃げられはしない。彼はそう思った。
彼の読みは当たっていた。
ニーナと言えども、爆発を避ける事は不可能だったのである。
そう――「避ける」、事は。
「!?」
突然、ドゥネスは後ろから気配を感じた。
振り返った瞬間、一瞬紫色の物が見えたような気がする。
直後、彼の腹部に固い物がめり込み、ドゥネスは後ろ、瓦礫が散乱する地面に腰を付かされる。
「うぐッ!?」
無意識に腹部に手を当てようとした瞬間――ドゥネスの目の前に、紫色の光があった。
否、よく見れば分かる。
それは、紫色の光を纏ったレイピアの刃。
ニーナ=シャルトーンの、武器だ。
「君の言う通り、確かに『避ける』事は出来なかったね」
そして、レイピアの主――ニーナ。
まるで何事も無かったかのように、彼はドゥネスの前に立っていた。
「けれど、『防ぐ』ことなら簡単だった」
ニーナは、レイピアにはめ込まれた魔石に視線を向ける。
ドゥネスも彼女の視線を追い――気付いた。
「まさか、魔法の壁で……!? しかし、あれを防ぐなど……!!」
魔力の塊が迫って来る中、ニーナは避けようとは考えなかった。
汽車での強盗との一戦のように、魔法の壁で防ぐことに早々に決めたのだ。
けれども、ドゥネスが放ったのは強大な威力を持つ魔力。
防ぐには、それ相応の堅牢さを備えた魔力の壁でなくてはならなかった筈。
「防御魔法は私の得意分野だよ。忘れていたのかね?」
ニーナはレイピアの切っ先をドゥネスに向けたまま、言い詰める。
もう、勝負は決していた。
地面に尻を付かされたドゥネスには、成す術が無い。
「……フッ」
にも関わらず、ドゥネスは口元に不敵な笑みを浮かべる。
僅かに、その視線が横に向く。
「……?」
気になったニーナは、ドゥネスから注意を逸らさないようにしつつ、彼の視線を追う。
ドゥネスの魔力によって瓦礫が散乱する廊下、砂煙が充満するその場所の傍ら。
砕けた柱の側に――居た。
「!! オスディン……国王陛下……!?」
ニーナにとって、主であり、父同然の存在でもある男性。
ヴァロアスタ王国国王、オスディン。
彼の姿を見て、ニーナが驚きを露わにしたのには理由がある。
オスディンは――ニーナに向けていた。
銀色に鈍く輝く、冷たい銃口を。
「陛下、何故……!?」
ニーナは理解出来ない。
どうして、オスディンが自分に銃を向けているのか。
父親のように思っていた彼が、何故自分を殺そうとしているのか。
ニーナはすぐに防御魔法を張ろうと考えたものの、ドゥネスの動きが気にかかり、出来ない。
「……」
オスディンから返事は無い。
彼の瞳は、ニーナを軽蔑するような――冷酷な眼差しだった。
その目はニーナが知る優しい瞳では無く、虫けらを見るかのような冷たい眼差しである。
「お答え下さい、陛下!!」
ニーナの悲痛な叫び声が、崩壊した廊下に木霊する。
直後――オスディンが持つ銃が、火を吹いた。
同時に、ニーナの体から赤い血が散る。
「……っ!!」
ニーナには、声を上げる猶予すらも与えられなかった。
彼女に出来た事は、自身の愛用するレイピアを放さないようにする事のみ。
まるで糸に引かれるように、ニーナの小さな体が後方へ飛ぶ。
血痕を床に残し、ニーナは崩壊した壁の向こうへと落下していった。
その瞳には、悲しさが溢れている。
自分が父のように思っていたオスディンに、何故撃たれなければならないのか。
ニーナには、全く理解出来なかった。
「ドゥネス」
煙を吹く銃を降ろしつつ、オスディンは先ほどまでニーナに追い詰められていた男、ドゥネスへと紡ぐ。
「止めを刺してこい、あの猫娘に」
そう命じる、ヴァロアスタ国王の声は――誰もが恐怖を覚えるような、冷酷な声だった。
ドゥネスは醜悪に笑みを浮かべたまま、応じる。
「御意に……国王陛下」