第121章 ~モロクの家~
バドやミレンダ、そしてニーナと別れたロア達。
彼らは、ヴァロアスタ王国内のある家屋内の扉を開けていた。
「さあ、入るがよい」
ロア、アルニカ、ルーノは、その声に応じ――扉の向こう、居間へと踏み入ろうとする。
声を発した人物は、少年達を招き入れた。
その人物は、熊型獣人族のモロクである。
バーを後にしたロア達は、恐らく偶然にもモロクと遭遇した。
モロクはロア達を、「あんなタバコ臭い場所にいて不快だったろう、茶でも飲もう」とロア達を誘ったのである。
正直な話、ロア達の意志に関係なく、モロクの独断に近い物であったが。
「あのオッサン、オレ達の話なんざまともに聞きやしねえ……」
頭の後ろで手を組み、ルーノがぼそりと呟く。
「確かに……」
アルニカは同意する。
彼女はモロクという者を一時は見直した物の、まだ完全に信頼した訳では無かった。
「……」
ロアは何も言わずに、居間へと続くドアを開ける。
モロクが独りで暮らす家に入ったロア達。
彼らがまず目に止めたのは、テーブルや椅子がとてつもなく大きい事。
普段、ロア達が使っている物と比べても、大きさの差は歴然である。
「で、でけえな……家具が」
「熊型獣人族の体格に合わせて作られてるんだよ」
驚くルーノに、ロアが解説した。
モロク=ガザンは獣人族であり、種別は熊。
熊型獣人族の最も大きな特徴は、巨大な体格である。
一般的な大きさの家具では、日常生活に不便なのだ。
ロア達が気が付いてみれば、今し方彼らがくぐった扉もかなり大きな物である。
「まあ……そこに座れ。茶を淹れよう」
モロクは、椅子を指す。
といっても、その椅子は人間の来客に備えて作られたサイズの物だった。
普通の大きさの椅子であるにも関わらず、周囲の大きな家具の所為か、ロア達には小さく見える。
ロア達はモロクに促されるまま、椅子に腰かけた。
「ん……なあ、あれ何だ?」
ルーノが指す先を、ロア達は視線で追う。
その先には、数個のピンで壁に留められた一枚の画用紙。
黄土色の色鉛筆で、くしゃくしゃに殴り書かれたような絵だった。
「泥団子の絵……かな? ロア、何だと思う?」
「……さあ?」
ロアは首を傾げた。
すると、厳つさを帯びた声がロア達の後方から発せられる。
「それはジェイクが描いた、ワシの似顔絵だ」
突然のモロクの声に、ロア達は仰天する。
三人が振り返ると、木製のトレイを両手に持ったモロクが、ロア達を見下ろしていた。
「あ、そうだったんですか……」
泥団子の絵、などと言ってしまったアルニカ。
故意でなかったにせよ、彼女はジェイクの描いた似顔絵を侮辱してしまった。
といっても、黄土色を楕円形に塗り重ねたその絵は、常人が見れば確かに「泥団子」そのものではあるが。
「……フン」
鼻で息を吹きつつ、モロクはトレイをテーブルの上に下ろし、ロア達と同じテーブルの前に腰かけた。
トレイの上には陶器製のピッチャー、さらに陶器製のカップが四つ、乗せられている。
その内の一つはやけに大きくて、モロク用の物である事は容易に想像が出来た。
「口では馬鹿な息子と言いつつも、息子の……ジェイクの事を忘れられなくての」
モロクはカップにハーブティーを注ぎ入れ、始めにロアへと手渡した。
「あいつが描いてくれた似顔絵も、ワシはあそこから取り外せない。外せば、ジェイクが居たという証を捨て去ってしまう気になっての」
続いてモロクは二つ目のカップを手に取り、ハーブティーを注ぎ、ルーノに手渡す。
次にアルニカ。
そして最後に自身のカップに注ぎ、ロア達に告げた。
「まあ飲んでみるがいい、テフヌ産の上物の茶だ」
モロクに促されるまま、ロア達はカップに注がれた液体を一口、口に含む。
「!! ……すごくおいしい」
感想を述べたのは、アルニカである。
続いロア、そしてルーノも、
「本当だ」
「結構、良い葉っぱ使ってんな……」
モロクはロア達の言葉に応じる様子も無く、自らの淹れたハーブティーをすする。
そして、自身の客人――三人の少年少女に向かって、紡いだ。
「ヌシらに、もう一つ訊きたい事がある」
ロアが応じた。
「何?」
モロクはカップを置き、その目線でロアを見下ろす。
大柄な体格を持つモロク、座高の差はロア達とは比べようも無かった。
「ユリス女王とヌシらは、親しい仲なのか? そうでも無ければ、ヌシのような小童に世界の担い手など任せぬと思うてな。それに、親しくも無い相手からいきなり世界を任されても、そうそう応じる物ではないだろう?」
熊型獣人族の男性が提示した疑問は、的を射た物である。
ロア達三人は一度顔を見合わせ、応じた。
「ユリスは大事な友達。それに……」
ロアは一度、言葉を止めた。
茶髪の少年はアルニカと目を合わせ、彼女が「大丈夫だよ」、と小さく頷いたのを確認した。
ルーノが「おい、ロア……」と呟いた物の、ロアは意に介さない。
「ユリスには……アルカドール王国には、返し切れない恩があるから」
「恩?」
モロクが問い返す。
ロアは、
「僕とアルニカは……孤児院出身なんだ」
微かに、モロクの表情に驚きが浮かんだ。
ルーノとアルニカは何も言わずに、隣でロアの言葉を聞いている。
「親の居ない僕達は、国に育てて貰ったような物だから」
自分が発した言葉を引き金に、ふとロアの脳裏に、一人の女性の姿が浮かんだ。
その人は、ロアにとっては特に縁も無い女性。
けれど、恐らくロアが一生忘れる事の無い女性である。
まだロアが幼き頃――孤児だった彼を優しく抱きしめ、励ましてくれた彼女。
ロアよりも随分と年上で、大人の女性だった。
数年が経過した今でも、ロアははっきりと覚えている。
目も覚めるように煌びやかで、神々しかった金色の髪の毛。
この世の物とは思えない程に整った、彼女の顔。
抱きしめられた時に感じた彼女の温もりや、優しさ。
孤児だったロアが、「母親」という存在を感じ取る切っ掛けになった女性である。
(けど……もうあの人には……)
心中で、ロアが悲痛気味に漏らした時。
「成程、国への恩義を感じている……か、納得のいく理由だ」
モロクはもう一口、ハーブティーを口へ運ぶ。
「私達は……あなたを信用しても大丈夫なんですか?」
問うたのは、アルニカである。
今、ヴァロアスタでは陰謀が起こりつつある。
ヴァロアスタ国内に、魔族と通じている者が居る可能性が高い。
ニーナはロア達に、そう言っていた。
「確かに……」
ルーノが呟く。
「ワシを信用するか、しないか……それはヌシらに任せる。先にも言ったが、言葉など所詮は言葉。どうとでも取り繕える物だからの」
信用してくれとも、信用するなとも言わないモロク。
彼はあくまでも、答えをロア達自身に委ねていた。
「僕は信じるよ」
ロアは断じた。
彼は、モロクの厳つい両目を真っ直ぐに見つめている。
「体は無駄に大きくて表情は固い、だけど悪人では無い。ニーナもそう言ってたから」
「……」
一時、モロクは無言だった。
カップを空にした後、大柄な体格の熊型獣人族は発する。
「シャルトーンか……あ奴にはワシも一目置いておる」
「アイツに? 何でだよ?」
問い返したのはルーノ。
話題に上ったニーナ=シャルトーンに、何発も蹴りを入れられ――そして魔法の修行を受けた兎型獣人族の少年。
モロクは、彼に視線を向けた。
「17歳の若さ、さらに小娘でありながら騎士団団長、さらにオスディン国王の信頼まで勝ち得ている」
ロア達を見下ろしつつ、モロクは言葉を繋ぐ。
「それに、あ奴の頭のキレは並大抵では無い」
モロクは窓に視線を向ける。
機械的な趣に溢れるヴァロアスタ王国の街並みを、青い空が覆っていた。
「もしかすれば……この国で起ころうとしている陰謀に関して、シャルトーンは既に何かを掴んでいるかも知れんの」