第112章 ~ルーノとニーナ~
「ガキの頃……オレが学校の初等部に入学した頃な、オレのクラスには獣人族がオレを入れて三人しか居なかったんだよ」
青色の空を見上げながら、青い毛並の獣人族の少年は語る。
いつか、ルーノ=ロビットの幼少期――彼が六歳の頃の話をしたことを覚えているだろうか?
ルーノが入学した年は人間の子供が少なく、ルーノが所属する事になったクラスには彼の言う通り、獣人族の子供が三人しか居なかった。
幼い子供たちにとっては、獣人族が持つ身体的な特徴、自分達には無い長い耳や尻尾は、好奇心の対象でしかなかったのだ。
「けど、オレ以外の二人は入学して暫くしない内に不登校になっちまった。多分、周りのガキからの視線に耐えられずにな」
子供とは、何よりも素直で純粋で――そして時に、残酷な生き物である。
ルーノのクラスに居た人間の子供達は、まだ肉体的にも精神的にも幼かった。
だから彼らは、自身の好奇的な視線が獣人族の子供の心にどれほど突き刺さっているのかなど、考える事も無かったのだ。
「で、結局クラスにはオレ一人しか獣人族が居なくなってた。……めっちゃ浮いてたと思うぜ? あの頃のオレは」
「友人は作らなかったのかね?」
ニーナが訊くと、ルーノは彼女と視線を合わせて頷いた。
「友達って言えるようなヤツは一人も居なかった。別に欲しいとも思わなかったしな」
クラスにただ一人だけのルーノは、常に一人でいるようになっていた。
毎日一人で登校し、誰とも言葉を交わさず、昼食も毎日一人で食べていた。
彼は常に、人の輪の外に居たのだ。
けれど、別にルーノはそれが嫌では無かった。
友達が欲しいと感じた事は無かったし、人の輪に混じりたいとも思わなかった。
元がマイペースな性格のルーノには、友達と言う物は別に必要では無かったのだ。
出来ないのなら作る必要は無い、当時の彼にとって友人とは、その程度の存在だったのである。
「まあ、オレは周りのガキから結構煙たがられてたらしくてな、たまにオレの陰口を言ってるヤツとか、オレに絡んで来るヤツもいたよ」
「……」
ニーナは何も言わずに、少年の話に耳を傾けていた。
「で、入学してから三ヶ月ぐらいの頃……事件が起きた。オレの前の席のガキの教科書やノートが盗まれて……切り刻まれた状態で見つかったんだよ」
「!!」
ニーナはルーノを見つめる。
青い毛並の兎型獣人族の少年は、視線を猫型獣人族の少女と合わせた。
「そんで、その教科書やノートが見つかった場所には、兎型獣人族の足跡があったんだ」
そこまでルーノが語ると、ニーナが「まさか……」と呟いたが、ルーノは「まあ、最後まで聞けよ」と遮った。
当時の事を思い出しつつ、ルーノは言葉を続ける。
「当然オレはクラス殆どのガキ共に取り囲まれて……鬱陶しくなるほどに詰め寄られた。オマエがやったんだろ、ってな」
ニーナは何も返さず、次の言葉を待つ。
「そんな事やってないってのはオレ自身が一番良く分かってた。けど信じてもらえる訳なんてねえから、ガキ共の言葉を適当に聞き流してたんだ」
その時のルーノがどのような態度で居たのか、ニーナには薄々想像できた。
この兎型獣人族の少年ならば、相当相手の怒りを買いそうな振る舞いだったのだろう、彼女は心中で呟く。
「そしたっけガキの一人がキレてな、オレを椅子から無理やり立たせて……殴った」
理不尽な暴力、とも言えるだろう。
いくらルーノの態度に怒りが沸いたと言えども、いきなり殴るなどと言う行為は、邪道と言わざるを得ない。
しかし、ルーノを殴った少年は幼かった。
そしてその幼さは――ルーノも同じだった。
「流石にオレも我慢できなくなって、仕返しのつもりでそのガキの胸に蹴り入れたんだ」
兎型獣人族である自分自身の強さを、ルーノはまだ知らなかった。
自身が如何ほどの脚力を有しているのか。
例え仕返しのつもりだったとしても、自身の蹴りがどれだけの威力を持つのかを。
「そしたっけそのガキ、机とか椅子とか蹴散らして派手に吹っ飛んだんだ。ケガはそんな重くなかったみてえだけどな」
「……なるほどね、兎型獣人族の脚力か」
ルーノは続ける。
「で、それ以来……オレがクラスで何て呼ばれるようになったと思う?」
ニーナは首を傾げた。
「……『化け物』だよ」
人間の子供達にとって、ルーノが持つ外見や身体能力は理解し難かった。
自分達には無い長い耳や尻尾、青色の毛並み。
さらに、蹴りの一撃で自分よりも大きい少年を蹴り飛ばす脚力。
何も知らない子供達には、ルーノは正しく「化け物」だったのだ。
「で、それから……誰もオレには寄り付かなくなったよ」
その件以降、クラスの子供達は誰一人として、ルーノには寄り付かなくなった。
嫌がらせをしてくることも無くなれば、絡んで来る事も無くなったのだ。
以前にも増して、兎型獣人族の少年は孤独になっていたのだ。
「まあ、うるせえ奴らが居なくなってオレはすっきりしたけどな」
けれども、一人でいる方が性に合っていたルーノにとっては喜ぶべき事だった。
やがてルーノは、クラス内で孤高な位置を確たるものとしていった。
誰と言葉を交わす事も無く、昼食も一人、クラスの外――中庭のベンチで、サンドイッチをかじっていた。
「多分ずっと、卒業するまでこのままだろうと思ってた」
ルーノはごろんとベンチに仰向けになった。
「学校が終わって放課後、オレはこんな風にベンチで空見てたんだよ」
兎型獣人族の少年は再び、青空を見上げる。
二羽の大きな番の鳥が、空を飛んでいくのが見えた。
「そしたっけ、声かけられたんだ。『一緒に帰らない?』ってな」
その時、ルーノはそれが自身に対して発せられた言葉だと理解するのに一時要した。
別の誰かに向けられた言葉だと思っていた彼は返事をせず、やはりベンチに仰向けになったまま、空を眺めていた。
すると、ルーノに向かって言葉が重ねられた。
最初は少年の声だったが、今度は少女の声で、「ねえ、ルーノ君」と。
自身の名前を呼ばれた事で、ルーノはようやく気付いた。
先程からの言葉が、自身に対して発せられている物だと言う事に。
ベンチの上で身を翻すと、茶髪の少年とオレンジの髪の少女が、ルーノを見つめていたのだ。
「で、そん時オレに声を掛けてたヤツが……ロアとアルニカだったんだよ」
「……それが、あの二人と初めて逢った経緯、という訳かね?」
頷きつつ、ルーノはニーナに「ああ」と返した。
修練場に風が吹き、ルーノの長い耳を緩く揺さぶる。
「最初、最もな事を言ってオレを油断させて、何かオレにする気なんだと思った」
幼かったルーノでも、自身に声を掛けた二人のクラスメイト――ロアとアルニカが疑わしい事は分かった。
何故なら、ルーノにとってはクラスメイト全員が敵のような立ち位置に居たから。
しかし、そう思っていてもルーノは、ロアとアルニカの誘いに応じた。
――今度は一体、何をする気なんだ? その時のルーノは思った。
どこか目立たない場所に誘い込んで、クラス中の人間の少年達で袋叩きにする気なのか。
或いは、もっともらしい事を言って油断させ、後ろから自分に殴りかかる気なのか。
別にルーノには、どちらでも良かった。
「……けど、あの二人は違ったんだよ」
しかし――ロアとアルニカは、ルーノに何もしなかった。
それどころか、普通の友達同士のように接してくれたのだ。
三人で帰路に付き、「ルーノ君だったっけ? ルーノって呼んでもいい?」「その耳、どれくらい聞こえるの?」「きれいな毛並してるね」と、話しかけてくれたのだ。
初めてルーノは、普通にクラスメートの子と話した気がした。
「ロアとアルニカに逢って初めてオレは、友達っつうものの良さを知った気がした」
以後、ロアとアルニカだけは普通にルーノと接し、彼と良き関係を築いていった。
それまで一匹狼のようだったルーノは初めて、友達という物が出来た。
一人では決して得られない暖かさや安らぎを、ロアとアルニカに出逢った事で知ることが出来たのだ。
さらに、彼ら二人と仲を築いたことにより、リオやカリスとも仲を築けた。
ロア、アルニカ、リオ、カリス。
彼らはクラスの中で数少なく、兎型獣人族のルーノを嫌わなかったのだ。
勿論、教科書とノートが破られた一件の時も、彼らはルーノに詰め寄らなかった。
「なるほど、確かにあの二人が居なければ、今の君は無かった……と言うのは間違いでは無さそうだね」
ニーナが返す、彼女は続けた。
「だとしたら、君が二人と一緒に旅に出た理由も想像が付くよ」
「……大きいカリがあったからな、あの二人には」
ロアとアルニカに逢わなければ、ルーノは独りのままだったのかも知れない。
彼らが兎型獣人族の少年に教えてくれたものは、何にも替え難い物だった。
「友達の為に自らも棘の道を行く事にした、確かに筋は通る理由だな」
紫色の毛並を持つ猫型獣人族の少女が、ルーノに言った。
小さく息を吐くと、彼女は続ける。
「筋は通っているが……命知らず、自虐的とも言える」
「……何だよ?」
自らの目をじっと見つめるニーナに、ルーノは強めの口調で尋ねた。
「青いな、その毛並のように」
「!!」
未熟、まだ成長の途中、ニーナが口にした「青い」という言葉の意味だった。
口元で微かに、猫型獣人族の少女は笑みを漏らした。
「な、何だよ!?」
ルーノの耳に、ニーナが漏らす笑い声が届いた。
彼女の笑顔は初めて見たが、無垢で可愛らしい物があった。
ヴァロアスタ王国騎士団団長と言う大きな立場にありながらも、17歳と言う年齢相応な一面もあると感じさせた。
「けれど、そういう青さ……私は嫌いでは無いよ」
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