第108章 ~置き土産~
「『ジェド』……!?」
ヴルームは、鎖鎌少年が名乗った名前を繰り返す。
ジェドは鉄球を地面から引き抜く。
轟音と共に地面が抉れ上がり、砂煙と石片が周囲に撒き散る。
「それが、今の俺の名だ……」
口布越しに、ジェドはくぐもった声を発する。
ヴルームは無言だった。
眼前に居るジェドが、自身のかつての親友だった少年とは思えなかったのだ。
彼が知っている少年と鎖鎌少年の姿は似ても似つかない。
信じ難いが、ヴルームは信じるしかなかった。
自身の親友しか知り得ない事を、ジェドは知っていたのだから。
それが、確たる証拠だった。
(『ジェド』……『影』という意味だな……)
心中で、ヴルームは呟いた。
彼の言った通り、「ジェド」とはアスヴァンの言葉で「影」を意味する。
「……何故、お前が魔族についている!?」
夜闇に包まれた中庭に、ヴルームの声が響いた。
「…………」
かつてヴルームの親友だった少年は、返事を返さない。
共に剣術の稽古に励み、切磋琢磨し合った少年が魔族に付き、バラヌーンの一員となっている――。
その事実が、犬型獣人族の男性には余りに耐え難かった。
「理想を忘れたのか、レイン……!?」
剣を握るヴルームの手に、力が込められる。
「……餓鬼の頃の未熟な理想など、とうの昔に捨てた」
ジェドは一度、視線を下に降ろす。
そして視線を上げ、再びヴルームの顔を真っ直ぐに見つめた。
(……!!)
ヴルームは、背筋が凍りつくような感覚を覚えた。
その原因――それは、かつての親友が自身を見つめる、その眼差し。
ジェドの瞳は冷たく、そして鋭く、ヴルーム程の者をも怯ませる威圧感を含んでいた。
「俺の名は『ジェド』だ。もしも次に『レイン』と呼んだら……本力でお前を葬り去る」
冗談で言っているのではない事は、鎖鎌少年が放つ威圧感が証明していた。
「……!!」
ヴルームは言葉を濁す。
最早、目の前にいる鎖鎌少年は彼の知っている「レイン」では無かった。
「……時間だ。命拾いしたな、ヴルーム」
そう宣告すると、ジェドは鎖鎌を収めた。
鎖鎌少年は踵を返し、その場を去ろうとする。
が、彼はもう一度ヴルームを振り、言い残した。
「よく考えろ、お前が仕えている『アンダルセア王族』が……どんなヤツらなのか」
ヴルームは怪訝な表情を浮かべた。ジェドが口にした『アンダルセア王族』とは、代々アルカドール王国を治めている王族である。
即ち現君主のユリスや、彼女の実母で前女王のメイリーアの事を指す。
(……)
ジェドは、鎖鎌を握る手に力を込めた。
鎌の柄を握り潰してしまうのではないかと思う程、力が込められている。
そして暗闇の彼方を見つめる彼の瞳は、今までにも増して冷酷で、冷たかった。
「……王族とお前と、一体どういう関係がある?」
ヴルームが問いかけると、ジェドは後ろ姿を見せつつ、犬型獣人族の男性に応じた。
「俺はアルカドールの王族が憎い、それだけで十分だ……」
背筋が凍りつきそうな程の、憎しみに満ちた声。
ジェドは脳裏に、一人の女性の姿を思い浮かべていた。
金色の長く神々しい髪を持ち、澄んだ瞳を持つ美しい女性。
ジェドの憎悪の対象であり、憎しみを向けるべき女性だ。
(あの女はもう居ない……だが、あの女が産み落とした、奴の姿形を受け継いだ女が居る……)
暗闇に包まれた中庭で、鎖鎌少年は城の寝室の方へと視線を向ける。
彼が見ているのは、ユリスが居る部屋だ。
ジェドは今一度、ヴルームの方を向く。
「これを覚えておけ……お前が王族に仕えるのなら、お前も俺の獲物だ……!!」
狂気すら感じさせる言葉の後。ジェドはその場を去って行く。
暗闇の中に消えていく鎖鎌少年の後ろ姿を、ヴルームは見つめていた。
(レイン、何故……!?)
ヴルームは引き留めようとも、追おうともしなかった。
彼はただ――昔の面影を欠片も残さない親友の後ろ姿を、見つめるだけである。
「チッ、時間カ……」
アルカドールの城の城門前、ガジュロスの背中に乗った魔族の女、ザフェーラ。
彼女は視線を夜空に向けつつ、呟いた。
「何か言ったか?」
険阻な声を発したのは、ロディアス。
アルカドール王国騎士団団長の男性に向き直ると、ザフェーラはポケットを探る。
彼女はポケットから、水晶玉を取り出した。
透き通った透明で、手で握れる位の小さな水晶玉である。
無言のまま、ザフェーラは水晶玉をロディアスへと投げ渡した。
「!?」
ロディアスは、投げ渡された水晶玉を剣を持った方では無い手で掴みとる。
彼は手の平に水晶玉を乗せ、それを見つめた。
隣に居た金髪のエンダルティオ団長少年、イワンも覗き込む。
「『言伝の水晶玉』……!?」
言ったのはイワン。
ザフェーラがロディアスに投げ渡したのは、魔法道具だった。
言伝の水晶玉、自身の声――メッセージを記録させ、他の者に伝えることが可能な魔法道具である。
「ソイツに記録されているのは、我らガ主君のお言葉だ」
ロディアスとイワンは、ザフェーラに視線を向けた。
色の抜け落ちたような白髪を風に靡かせつつ、魔族の女は二人の人間を見下ろしている。
「キサマらの大切な女王様へ、それを渡せ。……もしもジェドが、あの小娘を始末してしまっていなければな」
ロディアスは、ザフェーラを睨みつけた。
ユリスに使える彼は、魔族の女が放った言葉に怒りを覚えたのだ。
「何だ、わざわざこれを渡す為だけに来たってのか?」
ザフェーラに向けて、イワンが挑戦的に言葉を紡いだ。
「てっきり俺達を滅ぼしに来たんだと思ってたぜ?」
金髪少年は続ける。
「魔族の、婆さんよ」
イワンが挑戦的な態度を取っているのには、理由があった。
相手が魔族だという事は勿論だが、それ以上にザフェーラがした事。
自身の後輩達を妙な魔法で操り、自分達を襲わせたザフェーラ。
彼らを纏める立場にいる者として、イワンは許し難かったのだ。
「バア……サン……だと……!?」
整った顔を醜悪に歪ませ、ザフェーラはイワンを睨みつけ返した。
イワンは左手に剣を握りしめて、彼女を睨みつけ返す。
「やんのか? 俺はいくらでも相手になるぞ?」
真剣な面持ちのイワン。対しザフェーラは、鼻で笑みを零した。
「何が可笑しい?」
イワンが問うと、
「下等種族風情が……ワタシ達に相対できるとでも思ってんのカ?」
人間や獣人族を卑下する意味を込め、ザフェーラは「下等種族」という言葉を用いた。
彼女はまるで虫ケラを見るかのような視線で、ロディアスとイワンを見つめる。
「よく覚えておけ、キサマ等など、ワタシ達『魔族』にとっては虫ケラにも満たない存在だという事をな」
ザフェーラは一度、視線をロディアスとイワンから外した。
(主君の命さえ無ければ……こんなゴミ共直ぐに捻り潰してやるものを)
再び、醜悪な面持ちを持つ魔族の女はロディアスとイワンを視線に映す。
そして、吐き捨てるかのように言った。
「ワタシ達に嬲り殺されるまで精々、下等種族共で楽しむが良い……!!」
同時に、ザフェーラが乗っているガジュロスがその漆黒の翼を広げた。
甲高い鳴き声をアルカドールの街に響かせつつ、不気味な風貌を持つ魔物は天に舞い上がる。
程なく、ザフェーラを背中に乗せたガジュロスは飛び去って行った。
「上等だ、心を持たぬ下賤な種族め……!!」
ガジュロスの飛び去った方を見つめつつ、ロディアスが呟く。
その隣で、イワンは剣を納めていた。