第103章 ~殺意の眼差し~
それは、突然の出来事だった。
アルカドール城の寝室の中で、夜の静寂を打ち破るかのように、窓が砕ける音が鳴り響いたのだ。
「!?」
ユリスの警護の為に寝室に居たリオは、まず驚き――そして、槍を構えた。
割れた窓からの侵入者、顔の下半分を口布で覆い、無骨な鎖鎌を手にした少年の姿を視界に捉えたから。
リオがどう見ても、彼はユリスを殺害する為に送られた刺客に他ならなかった。
(魔族の回し者……!?)
槍を構えつつ、リオは鎖鎌少年に険阻な視線を向ける。
しかし、鎖鎌少年――ジェドは、リオを見ていなかった。
彼はその鋭い瞳で、リオの後ろのベッドの上に居る少女を見つめていた。
アルカドール王国現君主、ユリス女王である。
窓ガラスが砕ける際の音で、彼女は目を覚ましていたのだ。
「…………」
無言のまま、ジェドはユリスを睨みつけた。
ただ睨みつけていたわけでは無い。
まるで自身が持つ怒りや憎しみを、全て相手にぶつけるかのような、恐ろしく冷酷な瞳だった。
「!!」
鎖鎌を持つ少年と、ユリスの目が合う――途端、ユリスは驚愕したように表情を染めた。
目線を合わせただけで、彼女には伝わって来たのだ。
少年が、自身に対してどれ程の憎しみと怒りを抱いているのかが。
ベッドの上で、ユリスは少年の殺意が自身の身を包み込むような感覚を覚えた。
「……殺す……!!」
突き刺すような視線でユリスを捉え、まるで独り言のように、ジェドは呟く。
彼はその手に持った鎖鎌を、がちゃりと鳴らした。
だが、彼の目の前に一人の少女が立ちはだかる。
「いきなり現れて、女王様に何言ってんの?」
槍を持つショートヘア少女は、ジェドの威圧感を物ともしない。
寧ろ、彼女はジェドに敵意を向け返していた。
ジェドがユリスに向かって放った「殺す」という言葉が、彼女に火を付けたのだ。
目の前の少年が何処の誰なのかは、リオには分からない。
しかし、ユリスに敵意を向けている時点で、リオにとっては敵対する立場に在る人間だった。
「……」
ジェドは、リオへ視線を向けた。
リオは、ジェドとユリスの間の位置に立っている。
「その女を……渡せ」
「『嫌だ』って言ったら?」
ジェドの言葉に、リオは即座に返事を返した。
すると、冷酷な瞳を持つ少年は再び、鎖鎌を鳴らした。
「お前から、始末する」
相対するリオは、槍を握る手に力を込める。
「やってみなよ、始末されるのはどっちかな?」
リオが返すとほぼ同時に――ジェドは、寝室の床を蹴り、リオへと迫る。
鎖鎌使いのジェド、槍使いのリオ。
アルカドール城の夜闇に包まれた寝室で、二人の戦いが始まった。
二人の武器が打ち付け合う度に、小さな火花が暗闇に迸る。
槍と鎖鎌の応酬が繰り広げられる中、部屋と廊下を繋ぐドアが勢いよく開かれた。
現れたのは、空色の毛並を持つ犬型獣人族の男性、ヴルームである。
窓が破られる音を聞きつけ、急行したのだ。
「……!!」
寝室の状況にヴルームは一瞬、困惑する。
しかし、少し部屋の状況を確認すれば、彼には直ぐに状況が呑み込めた。
割れた窓に、リオと交戦している見知らぬ少年。
(侵入者か……!!)
鎖鎌少年と戦うリオに加勢したかったものの、ヴルームはまず、ベッドの上のユリスに駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
煌びやかな金髪を持つ少女は、ヴルームの言葉に答えなかった。
彼女は、ユリスはまるで怯えるかのような面持ちと共に、両肩を抱いていた。
ヴルームの見た所、ユリスは傷を負ってはいない。
しかし、彼女は正常な状態では無かった。
「ユリス様?」
「っ……!!」
震えるような声と共に、ユリスは小さく息を吐く。
彼女の澄んだ瞳が、ヴルームを映した。
「何があったのです?」
宥めるかのような仕草でユリスの肩に手を触れつつ、ヴルームは問う。
「憎しみ……殺意……」
女王の瞳に浮かんだ涙が、月光を受けて煌めいた。
呟くかのような小さな、覇気に欠けた声で、ユリスはヴルームに答える。
「彼が……私に向けていました」
ユリスは、リオに向けて鎖鎌を振るう少年――ジェドを見つめる。
(この部屋の中じゃ炎は思い切り使えない、それに女王様を巻き込んじゃうかも……!!)
ジェドの鎖鎌による攻撃を防ぎつつ、リオは思考を巡らせていた。
鎖鎌の刃と、柄尻から伸びた鎖の先に付いた棘付の鉄球。
これまで、リオが相手にしたことの無い武器だった。
(とにかく、場所を移さないと……!!)
ジェドの狙いは自身では無く、ユリス。
それを察知していたリオは、攻撃を受けつつもジェドをユリスから離れた場所へ誘導していた。
この寝室内では炎を存分に使うことは出来ないし、ユリスに気を遣わなければならない為、リオは全力で戦うことが出来ない。
ジェドは、鎖鎌の鉄球をリオの顔面目がけ、薙ぎ払うかのように横に振った。
「っ!!」
寸前で反応できた事が幸いし、リオはその場で膝を曲げ、姿勢を下げる。
彼女の頭上を、振られた鉄球が通過した。
その風圧で、リオの紫がかったピンクのショートヘア―が靡く。
(……避けただと?)
振った鉄球を自身の手に受け止め、ジェドは心中で呟く。
彼は、リオなど単なる普通の少女であり、戦闘能力は大したものでは無いと考えていた。
しかし――そうではなかった。
次の瞬間にもう一つ、ジェドにとって予期せぬ攻撃を、リオが繰り出す。
「そんなゴツッこい鉄球、もし当たったらどうすんの!?」
リオが持つ槍に、炎が瞬いていたのだ。
勿論の事、部屋の中の物に火が点かないよう、燭台に灯す程度の大きさに調節している。
(こいつ……?)
瞬間、リオはジェド目がけて炎を纏った槍を振りかざす。
「だああっ!!」
掛け声と共に、下から上に。まるで振り上げるように。
炎の燃焼音と槍を振る風切り音、そしてオレンジの光が発せられた。
「!!」
ジェドはすぐさま、身を後ろへ引く。
槍の射程から外れ、槍を振り上げる攻撃は回避した。
しかし、うねるように迸るオレンジの炎は、完全に避けることは出来なかった。
リオの炎が僅かにジェドの髪――鳥の巣のように不規則に跳ねた灰色の髪に触れ、軽く焦げる。
(今!!)
隙が出来たのを見計らい、リオはさらに攻撃を重ねた。
炎の攻撃で怯んだジェド目がけ、彼女は槍の柄を使い、突きを繰り出す。
全身の力を込め、鎖鎌少年を前方へと押し出す形になった。
「ぐっ!!」
突きは的確に、鎖鎌少年の腹部を捉えた。
ジェドの体が、真後ろへ引かれるように飛び――そして、割れた窓ガラスから、外へ飛び出した。
リオも槍を握り直して、窓へ駆け寄る。
彼女は狙っていたのだ。ジェドをユリスから引き離し、かつ自身が思い切り炎の魔法を振るう事が出来る状況を。
(これで一気に追い詰める……!!)
窓に駆け寄ったリオは、そのまま窓枠を飛び越えてジェドを追って行った。
少女と言えどもエンダルティオ所属、その運動神経は中々の物である。
「リオ、あまり深追いはするな!!」
ヴルームがリオに忠告するが、返事は返って来なかった。