第100章 ~MY LIFE BELONGS TO ME~
兎型獣人族の少年、イルトは夜闇に包まれたアルカドール王国の街を駆ける。
積もりたての新雪のような純白の毛並を靡かせ、長い耳を揺らしながら。
彼の両腕に嵌めた金色の腕輪と、胸元の水晶のペンダントが月の光に煌めく。
イルトが追っているのは先程現れ、途端に逃亡した魔族の少年、クラウン。
しかし――イルトの視界から突然、クラウンの姿が消えた。
「……!!」
兎型獣人族の少年は両足に力を込め、前方に大きく跳躍する。
すると、イルトの視界に開けた場所が映った。
建物の並ぶ街から抜けたその場所は、アルカドール王国の広場。
昼間には人々の憩いの場となり、子供達の遊び場となる場所である。
「……」
無言のまま、イルトは辺りを見回す。
広場中央の噴水の水が落ちる音だけが、辺りに広がっていた。
ベンチには誰も座っておらず、月に照らされ、人気の無い広場はどこかもの悲しげにも思えた。
「!!」
そして、イルトは気付いた。
噴水の上に整然と立ち、仮面越しにイルトを見つめる、その少年の存在に。
「あの数を相手にしている二人を残して来るとはネ……」
噴水の上からイルトの姿を見下ろし――魔族の少年、クラウンは言葉を紡ぐ。
月の光を受け、白い毛並の兎型獣人族の少年の毛並が淡く光を帯びていた。
「余程あの二人を信頼しているのかイ? イルト……」
数秒、クラウンと視線を合わせた後、イルトは口を開く。
「君は誰だ、魔族は何を企んでいる?」
「フッ、ボクの質問には答えてはくれないのかイ……まあいいサ、教えてあげるヨ」
俯くように視線を下に向けた後、クラウンは言葉を続けた。
「ボク達は、このアスヴァンから下等種族共を排除するつもりサ。人間や獣人族、竜族をネ」
「……」
イルトは無言だった。
しかし、その表情が微かに険阻な面持ちを帯びる。
「けド、バラヌーンのように魔族に下った者は例外、そしてイルト……」
クラウンは、その片手でイルトを指差した。
「キミのように、下等種族の域を逸した力を持つ者もネ」
「……!!」
常に無表情だった筈のイルトの表情に、微かに動揺の色が。
それを見逃さずに、クラウンは言葉を続ける。
「ベイルークの塔で一目見た時から分かったヨ。キミのその腕輪……とても強い魔封じの力が込められてル」
イルトの両腕に嵌められた金色の腕輪を指差しつつ、クラウンは言う。
「そんな枷同然な物を態々付けている理由は一つ……キミは生まれつキ、とても強い魔力を持っていタ。魔封じの道具に頼らなければ抑え込めない程の、魔力をネ」
兎型獣人族の少年は、何も言葉を返さなかった。
彼の瞳は、自らの両手首に嵌められた腕輪を見つめている。
「ボクは知ってるヨ? 余りにも強すぎる魔力を抱えて生を享けた存在ガ、どんな扱いを受ける事になるのカ……」
まるで嘲笑するかのように、クラウンはイルトに言葉を浴びせる。
イルトの脳裏にある光景が蘇った。彼にとって最も思い出したくないであろう光景が。
白い毛並の兎型獣人族の少年――イルトは、生来非常に強い魔力を有していた。
彼が幼き頃、彼と共に遊んでいた子供が突然、目に見えぬ力で飛ばされるように吹き飛び――重傷を負った。
それを止めようとした大人達も同じように。魔力の力場による現象だった。
イルトが非常に強い魔力を有していると知れ渡った途端、周囲の人々は、彼を化け物扱いした。
何も知らない、幼いイルトを。何の罪もない少年を。
周囲の目に耐えかねたイルトの両親は、彼を虐待するようになった。
そして遂に、猛烈な虐待の果てに、イルトの両親は、幼い彼を家から追い出したのだ。
鞭で全身を叩き、殴り、蹴り――彼の純白の毛並みは、赤く染まっていた。
その時、イルトの母親が彼に向けて叫んだ言葉は、未だにイルトの耳から消えていなかった。
“お前なんか生まれて来なければ、私はこんな堅苦しい想いをせずに済んだ!! あんな恐ろしい力……!! お前は化け物だ!!”
望まずに与えられた力の所為で、イルトは周囲から迫害を受け、幼くして家を追い出されたのだ。
彼が何かをしたわけでは無いのに、理不尽で不条理な運命を背負わされたのである。
「…………」
「いい表情だねイルト、キミのそんな顔……見て見たかったヨ」
無言のまま、イルトは視線をクラウンと合わせる。
噴水の上で、クラウンは右手を差し出した。
まるで、友に手を差し伸べるかのように。
「ボク達の所においでよイルト」
「……」
イルトは答えない。
「キミは他の下等種族共とは違ウ。大きな力を与えられた、『選ばれた存在』なんだヨ。その力、もっと活かしたいとは思わないかイ?」
夜闇の静寂の中、クラウンはイルトに語りかける。
「ボク達魔族はキミの力を大きく評価するヨ。その力をもっと高める方法も知っていル」
イルトは、視線を外した。
その仕草は、彼の意志は揺れているようにも見える。
一気に丸め込むチャンスだ、クラウンはそう思い、さらにイルトを誘惑する言葉を紡ぐ。
「ボクの手を取りなよイルト……下等種族共と傷の舐め合いをしているよリ、もっとキミに相応しい人生があるヨ……」
白い毛並の兎型獣人族の少年はやはり、無言だった。
「さア、ボク達と一緒にキミに理不尽な運命を課したこの世界を、他の下等種族共を断罪しよウ、キミだけに与えられた権利ダ」
「……」
イルトは思い出していた。
両親から迫害され、周囲の者達から疎まれていた、幼き頃の自身。
自分に理不尽な運命を課した世界を憎んでいた。他人も全て、敵だった。
全てに復讐したいと思っていた。自分の苦しさを思い知らせてやりたいとも願っていた。
冷静沈着な面持ちで隠していても、今もまだ――イルトの心には大きな傷が残っている。
そして長らく無言だったイルトは、口を開いた。
彼は見出したのだ。自らの正しい答えを。
「くだらん」
その一言で、たった四文字で――イルトは、クラウンの誘いを跳ね退けた。
彼は再びクラウンと視線を合わせ、
「そんな甘言で、僕を丸め込めるとでも思ったのか?」
クラウンの表情から、笑みが消えた。
「……イルト、キミは満足するのかイ? 今のままの下衆な人生デ」
挑戦的な眼差しと共に、イルトは答えた。
「僕の人生は僕の物だ。どう生きるかは……僕が決める」
イルトは右手を固く握った。
まるで、自分の意思を確固たるものだとするように。
「僕の何を知っているかは知らないが、君に指図される義理は無い」
確固たる意思の下。イルトはクラウンの誘いを一蹴した。
彼が見出した答えは、始めから決まっていたのかも知れない。
どんな誘惑や甘言を受けようとも、イルトは自らが進む道を曲げるつもりは無かったのだ。
「……大きな原石を持っているの二、それを磨く意思が無イ。残念だねエ」
クラウンは、噴水の上で両手を広げた。
まるで、天を仰ぐかのような仕草である。
途端、クラウンの後ろに無数の紫色の玉が現れ、虚空を埋め尽くす。
グレープフルーツ程の大きさの玉。
玉からは羽が生え、大きく裂けた口が現れ――まるで小さな蝙蝠のような、魔物の姿となった。
『ゲゲゲゲゲゲ……!!』
クラウンが呼び出した、或いは作り出したのかも分からない魔物達は、一斉に不気味な笑い声を発し始めた。
イルトは剣を抜き、構える。
「自己紹介が遅れたネ、ボクはクラウン。魔卿五人衆の一人にして、『傀儡の創造者』……『クラウン=イザミュエル』」
クラウンの背後で、魔物達は不気味に笑い続ける。
「キミの愚かさに免じて少しだけ遊んであげるヨ……イルト」