第98章 ~仲間同士の戦い~
「今日も、何事も無さそうですね」
アルカドール王国正門前、数人のエンダルティオの少年少女が警護に当たっていた。
内の一人、銀淵の眼鏡が印象的な少年――カリスは、夜闇に佇む正門を見上げつつ呟く。
彼はエンダルティオの一員であり、リオと同じ槍使いだ。
「つーか、こんな警護必要なのか? もう何日も何事もねえままだし」
エンダルティオの少年が呟いた。
彼を叱咤するかのように、もう一人のエンダルティオの少年が言う。
「女王様への暗殺未遂が起こったの覚えてるだろ? もしもの場合に備えて、ちゃんと警護しないと」
「まあ、それは分かってっけど」
「怠けてると、イワンさんに叱られるわよ?」
夜闇に浮かぶ月の下、数人の少年少女達は正門の前に佇み、言葉を交わしていた。
カリスのような中等部の少年も居れば、高等部の少年少女、それに獣人族の者の姿も。
何事も起こらず、暇を持て余すような仕草をしている者も見受けられ、携帯食を頬張っている者や、髪をかき上げている少女も居る。
しかし、それでも皆エンダルティオとしての使命感は持っていて、周囲――特に眼前の正門に気を払っている。
少年少女達が手にする武器の刃に、月の光が反射していた。
「痛っ……!!」
突然、エンダルティオの少女の一人が、顔を顰めつつ呟いた。
彼女は右手首を抑え、手の甲を見つめている。
「どうしました?」
カリスが少女に駆け寄る。
少女の手の甲に、大きな傷跡が出来ていた。
他の少年少女達も駆け寄り、彼女の手の甲の傷に視線を向ける。
「こんな傷、いつ出来たんだ……!?」
「わかんない、痛いと思った時にはもう……!!」
傷が出来た時、少女は手の甲に傷を作るような事はしていなかった。
一体何時、何故こんな傷が……とカリスは思う。
「消毒しといた方がいいんじゃねえか?」
少年の一人が少女に告げた。
手の甲に傷を負った少女は、ポケットから消毒薬を取り出しつつ応じる。
「うん、そうする……」
その時だった。
「痛てっ!!」
「うっ!!」
周囲に居た少年少女達が、次々と痛々しげな声を漏らし始めたのだ。
気が付けば、腕や足――体の何処かの部位に、少女の負った物と同じ傷が刻まれている。
「……!?」
状況を理解出来ずに、カリスは困惑する。
少年少女達が傷を負っている原因が、彼には理解出来なかった。
矢が飛んできた訳でも無いし、剣で切り付けられた訳でも無いのだ。傷を負うような原因が、そもそも存在しない。
「ぐっ!!」
そして、その原因不明の傷は遂にカリスにも及び、エンダルティオの少年少女達全員に刻まれた。
(一体、何が……!?)
自らの右腕に刻まれた傷を押さえつつ、カリスは周囲を見回す。
数分前までの静寂な雰囲気は、跡形も無くなっていた。
「何だよこの傷……!?」
「いって……!!」
周囲は、エンダルティオの少年少女達が漏らす痛々しい声で包まれている。
途端、カリスを含む少年少女達の意識が急に遠のいた。
まるで刈り取られるように意識が遠のき――やがて、少年少女達の視界から、光が消え去った。
(……っ……)
少年少女達は皆、成す術も無くその場に倒れ伏した。
まるで、糸を切られた操り人形のように。
倒れ伏した少年少女の前の空間が、人型に歪んだ。
数秒の後、歪みは確たる人間を形作り、そこから一人の女が現れる。
顔の半分を隠す程長く伸ばされた白髪を持つ、美しくも醜悪な雰囲気を醸す魔族の女。
魔卿五人衆の、ザフェーラである。
「クク……他愛の無いヤツらだ」
彼女の手には、真新しい血の付着したナイフが握られていた。
ザフェーラはその血を舐め、醜悪な笑みを浮かべつつ――眼前に倒れ伏す少年少女達を見下ろす。
そして彼女はナイフを眼前に掲げ――呪文を呟く。
「クレサリアス・ドルーヌス……」“従順な人形達よ、我に服従せよ”
夜闇の中。ザフェーラの手に握られたナイフの刃が、赤色に怪しく光った。
城門前では、人間のイワン、ロディアス。そして、兎型獣人族のイルトの三人が立っていた。
「んっ……!!」
イワンは両腕を伸ばして身を反らせた。続いて彼は、ごきりと肩を鳴らす。
彼の右肩に彫られた刺青が覗いた。
警護開始から、どれだけ経ったのか――三人には分からない。
けれども、相当な時間が経過している事は間違い無かった。
(こうじっとしてると、肩がこってくんな……)
ロディアスとイルトは、無言のまま周囲に気を配っていた。
「!?」
不意に、イルトが顔を上げつつ剣を握った。
何かに気付いたかのような仕草である。
「どうした、イルト?」
ロディアスの呼びかけに、イルトは応じなかった。
応じずに、白い毛並の兎型獣人族の少年は、視線を眼前の暗闇に集中させていた。
イワンとロディアスは、イルトの視線を追う。
「!!」
そして、彼らも気付いた。イルトが身構えた原因に。
暗闇の中、イワン達三人へと歩み寄って来る一人の人影。
その人影は、イワン達も知っている人物だった。
「……!? カリス……?」
銀淵眼鏡の知的少年、カリスだった。
友人である事を知り、イワンは安堵する。ロディアスとイルトも、剣の構えを解いた。
「どうした? 持ち場からは離れんなっつったろ?」
イワンが呼びかける。カリスは答えなかった。
声は十分に届く距離だった。イワンの声が聞こえていないという事は、考え難い。
ふと、イワンは気付いた。カリスの様子に、何処か違和感がある。重心が安定しないように歩き方がふら付いていた。
(……どうしたんだ?)
エンダルティオ団長のイワンは、カリスへと歩み寄った。
「どうしたカリス、具合でも悪いのか?」
間近まで歩み寄り、イワンはカリスの背中に片手を置いた。
彼は後輩の顔色を伺おうと、視線をカリスの顔へと近づける。
その瞬間だった。
「っ!?」
カリスが、イワンに向けて槍を振ったのだ。
寸前で反応出来た事が幸いし、イワンはその場で姿勢を低め、間一髪で避ける。
「!?」
傍らで見ていたロディアスとイルトは、驚愕を露わにする。
エンダルティオ団員のカリスが、エンダルティオ団長であるイワンに槍を振るなど、正気の沙汰では無かった。
「……ああああっ!!!!」
人間の声帯から外れたような叫び声を上げつつ、カリスはイワンに向けて立て続けに槍を振る。
イワンは剣を抜こうとはせずに、身のこなしを駆使して避けていた。
「止せカリス、どうした!?」
槍の攻撃を避けつつ、イワンはカリスに呼びかける。
だが、カリスは返事を返さない。
「あああああ!!」
彼はただ、叫び声と共にイワンに向けて槍を振り続けるだけである。
「イルト、行くぞ!!」
「……」イルトは無言のまま、頷く。
カリスが何故イワンに襲い掛かっているのか、ロディアスとイルトには見当も付かない。
だが、このまま見過ごしているという選択肢は、存在しなかった。
ロディアスは剣を鞘から引き抜き、イルトも剣を抜こうとする。
そして、イワンとカリスの下へ走り寄ろうとした時。
イルトの長い耳が、複数人の足音を捉えた。それも、すぐ側である。
「!!」
兎型獣人族のイルトが捉えた、複数人の足音――。
発している主は、エンダルティオの少年少女達であった。
「!? 君達、何故……!!」
ロディアスとイルトに歩み寄っているのは皆、国の警護に当たっている筈の少年少女達だった。
どうして持ち場から離れたのか、ロディアスは問い正そうとする。
が、それは叶わなかった。
「……駄目だロディアス、構えろ」
イルトはロディアスに諭し、自らも剣を構える。
刹那の沈黙――エンダルティオの少年少女達は剣や槍を振りかざした。
そして一斉に地面を蹴り、ロディアスとイルトに襲い掛かる。
カリスを初めとする、アルカドール王国エンダルティオの少年少女達。
彼らを纏める立場にいるイワン。アルカドール王国騎士団団長のロディアス。そして、ユリスに仕える兎型獣人族のイルト。
本来は国の為に身命を捧げ、同じ志を持ち、共に戦う「仲間」である筈の者達。
夜闇に浮かぶ月の下、アルカドール王国城門前――。
仲間同士の戦いが今、始まった。