Episode26;消耗戦
§南米連邦・ブラジル マナウス州 TP本部 2369年5月
一週間に一回の時空を超えての会議が始まっていた。八世紀と十五世紀、十九世紀と二十四世紀を結ぶ。リアルタイムでこんな事ができるのもタキオン通信技術の進歩のおかげだった。
処理情報が大き過ぎ、電脳では過負荷となるので画像は擬似窓に映し出す。世紀間のリアルタイム通信では3Dは不可能。平面画像と歪な音声で我慢しなくてはならない。
擬似窓に映し出される顔は皆、疲労が色濃い。時折色が飛ぶ八世紀ではミシェルが、十五世紀ではアチソンが代表する。どちらも数週間不眠不休で、医療班が支給する薬剤投与で生きているようなものだ。このままでは生身は持たない。ジョーが交代要員を送ると申し入れるが二人ともあと一週間と断った。
「なんなら会議など止めてもいいよ。情報は出来るだけ素早く送るようにしているし、報告は緊急時を除いて定時でなくても構わないから」
ジョーが二人に言う。
「いいえ。業務手順は守らせて。一旦ラクをし出したら切りがなくなるから」
ミシェルが掠れた声を出す。目の下の隈が病み上がりのようで痛々しい。
「デスクワークは常駐隊に任せているから大丈夫だ。それよりこうしてリアルタイムで顔を突き合わす方が大事だと思うがな」
アチソンも似たり寄ったりの顔付きだが、こちらは制服を着崩すこともなくいつも通りの佇まいだ。
「ならいいが……二人とも過負荷にならないでくれよ。そのために優秀な人材を送り込んでいるんだから」
そういうジョーの顔付きも二人より更にひどい有様。通信課に頼んで送信する画像にフェイクを施し、多少疲れている程度に見せかけているが、勘の鋭い連中に通用するかどうか。多分、相手も疲労によりそこまで気が回らないだろうとは思っていた。
実際の彼は二日前に医療課からドクターストップが掛かり、強制的に三時間の高深層睡眠を採らされた。電脳ドック時以外停まることのない電脳を完全にシャットダウンし、生身の脳もほとんど仮死状態とさせる医療施術だ。その間、疲労と睡眠不足に効果のある即効性薬剤を投与され、目覚めた時には随分と身体が軽くなっていた。しかし、ドクターは、効果は二日も続かないし一度丸一日でも休まないと近い内に倒れる、と警告する。
しかし今は休む訳に行かない。状況が踏ん張りどころになっていた。TCの波状攻撃は相変らず続いているがこの一週間、遂に予兆が減少し始めたのだ。
虚数域にとっては異分子である人間(とその手段であるマシン)が亜空間に進入すると明らかな形跡が見られ、現在(二十四世紀)の航跡である過去――歴史にも様々な形で「小波」が記録される。これを『予兆』と呼ぶ。
予兆はその『異分子』が行き先を定め、目的地へ旅立った時、向う先の時空に記録されるが、これが一定のパターンを採らないのが厄介だった。早い場合は現地時間の半年前に記録されることもあれば、僅か数秒前に記録されることもある。時間がない場合、TP常駐隊は間に合わず殆どTCは邪魔されずに歴史を甚振れるが、何故か大きく介入しようとする場合、こうした直前の予兆は起こらない。直前の予兆は大概単なる不正観光や些細な悪戯程度で済み、大事には至らない。リチャーズ捜査官が腹を抱えそうだが、TCが逃げ切った例はコロンブスを落とし穴に嵌めたり、リンカーンの就寝中に顎鬚を数センチ土産にカットしたり、チンギスハーンの額に落書きしたり、その程度のことだった。
予兆が大きく、また先んじて現われるのは大きく介入しようとする時だった。お陰でTPは時空の侵入時の痕跡と予兆によって大抵のTC介入を防いでいる。今回は正に根競べだった。飽きもせずに繰り返し対象を攻撃するTCと、限られた人員でそれを防ぐTPと。そして勝利の女神は次第にTPの側へ微笑み出していた。
「侵入件数は前日比八パーセントのダウン、トータル八十三件です」
追跡班のトレーサー主任が誇らしげに告げる。
「特に十九世紀は顕著で、五日前のネイ元帥を狙ったTCを逮捕して以来、大きな騒乱は発生せず、遂に昨日は侵入件数が一桁に落ちました」
その言葉に、三日前アチソンから任務を引き継いだ機動執行班長が笑顔を見せる。
「こちらは問題ない。重要ポイントでのナポレオンは四六時中張り付いて監視している。監視し切れないポイントは常に遊撃班を待機させて対処。昨日は出動ゼロだった。待機要員を少佐の年紀へ送ろうか?」
班長は最後に十五世紀のアチソンに振ると、
「まだ早いだろう。油断させといて、と言う可能性もある」
「アチソンの言う通りだ。十九世紀は今暫く現体制で臨む」
ジョーはそこで身を乗り出し、
「十五世紀は辛そうだが本当に大丈夫か?」
「平気だ。こちらでは『23(ツースリー)』が大活躍でね。無理言って四体も連れて来て正解だった」
「それはよかった」
ジョーは苦笑したが、つい十数分前に新型を勝手に実戦配備したことにつき装備課長から嫌味を言われたことは伏せた。
「奴らの攻撃は明らかに質が低下している。どれも正面からの強襲ばかりで襲撃ポイントも史上有名なエピソードばかりだ。何の捻りも思い付かない、オツムのないカスばかりさ。どうやら奴らの方も駒が不足し出したみたいだな」
アチソンは目を瞑ると背凭れに背中を押し当てる。
「後一週間は現体制で耐え切ってみせる」
「分かった。医療班の増員がそちらに向かった。二十四世紀標準時で明日朝にはそちらに到着する。そうしたらアパッチ。ドクターの指示には大人しく従うんだぞ」
「分かったよ。医者は昔から苦手なんだが」
「いざと言う時にすっきりしていて欲しいからだ。いくら隙を見て数分でも眠る特技を持っているにしても、さすがに限界なのは知っているよね」
アチソンは手を振り否定しながら、
「俺の体力はこんなもんじゃないぜ」
ジョーは笑いながら、
「まあ、空元気でもないよりはましか。八世紀は?ミシェル」
ミシェルはゆっくりと被りを振ると、
「思わしくないわね」
「件数は減っているが」
「内容もアパッチさんトコのように稚拙になりつつあるけれど、それにしてもまだ数が多い」
「そちらにも医療班を送る準備を進めているけれど、増員も送ろうか?」
「そうしてもらえると助かるわね。事の始めから休みなく対処し続けている情報部の要員もいるし。勤務ローテーションもあってないような状態が続いているから」
「分かった。直ぐに何とかする」
ジョーは鉛のように重い身体に強いて立ち上がり、深々と頭を下げる。
「申し訳ない。遅れ馳せながら口先ばかりの若輩者だと言うことが身に沁みているよ」
「そんな……」
誰もが口篭る。楽観と明るいだけが獲り得、などと陰口を叩かれるジョーがこんなに弱気なのを初めて見る人間が多かった。
「バカヤロウ!」
突然の大音声。
「お前がそんなでどうする!」
アチソンが鬼の形相で睨んでいた。
「お前こそ少し休め。俺たちが今見ているお前の姿、どうせコイツは偽像だろう?お前が蝋人形のように真っ青な顔をしていることに半年分の報酬を賭けるぜ」
そこでアチソンは笑う。
「お前がいなくたってTPの精鋭揃いなんだ、何とか動いて行くさ」
「おいおい、お払い箱かい?」
ジョーも笑うと、
「私は皆さんと違って若いからね。まあ、年寄り連中に心配されるようじゃあ、いかんね」
「約束しろ。せめて半日は休むと」
「……約束する」
アチソンの真剣な顔に改めて目礼するジョーだった。気を取り直して目を擦り、湧いてきた欠伸を噛み殺すと、
「では、次。カチンスキーの捜査情報」
「どうも難航しているが」
リチャーズ捜査官が居住まいを正すと話し出す。
「以前報告したものの追加情報から。DR・カチンスキーは使用人三名とピッカー二体を殺害・破壊した直後に自殺したが、凶器の拳銃は二十世紀由来の品物と分かった。骨董ではなく直接現地から持ち込んだ新品だった。電脳はその時の銃弾で損壊七十八%、破壊された記憶層の解析からも今回の事件に繋がる直接の証拠は挙がっていない。生身の方の脳の分析はまだ時間が掛かる。こちらも記憶野を損傷しているからどの程度拾い上げられるかは未知数だそうだ」
擬似窓の映像は、グロテスクなカチンスキーの遺体から彼の居室の壁に変わる。
「ここからは最新情報だが、この黒い壁に描かれていた赤い文字、当初は意味のない紋様のようなものと思われたが、調査の結果、古代の英雄譚をかなり崩したルーン文字で記したものと分かった。北欧の伝説やらドラゴン退治など他愛のないものだが、注目したい部分を発見した」
擬似窓がまるで血の跡のような文字の一部を拡大する。
「この部分だが、他の部分と相違して塗料の剥げ落ち方が激しい。色彩も違うのでインターポリスが調べたところ、こいつは本物の人血と天然素材の臙脂を混ぜたものだと判明した」
コホン、と誰かの咳払い。
「この部分に書かれている内容は、こうだ」
擬似窓の赤いルーン文字の下に英文翻訳字幕が流れる。
『天晴れなるかな復讐心 選ばれし女は白き眷属を伴い 神の与えし巨人の鎌を用い悪魔の僕 即ち英雄を葬り去る 天使よ 御使いよ 褒め称えよ 詠唱せよ 誉尊きエリザベスの名を 愚鈍の世人に知らしめよ』
「繋がった、か」
ジョーが呟く。リチャーズは頷くと、
「ああ、繋がった。もう一つある」
擬似窓に旧式の時航マシンが映る。
「GTP2―G型。懐かしいとお思いの方もいるでしょうな。四年前までTPの主力マシンだった。今も装備課が予備機として数台保管していると聞く。こいつをカチンスキーは四年前まで所有していた。亜空間研究と時空物理学の成果に対しての褒賞と、研究の補助のため特別に許可されていたんだね。この件は記録課追跡班の諸君はよく知っているはずだ」
追跡班から出席していたトレーサー主任が頷く。リチャーズは擬似窓の映像をマシンの前に立つカチンスキーを写した映像に切り替える。
「研究のために時空旅行を許可された者も僅かだが、全く個人的な目的を持って許された者は過去、ほんの数名しかいない。カチンスキーはその数名の一人で、申請さえすれば自由に過去へ行き来出来た。実際に四年前まで頻繁に過去へ出掛けている。もちろん厳重に監視追跡され、過去での実体化も許されてはいない。記録課のデータではDRが最後に時間旅行を楽しんだのは四年前の冬、行き先は二十二世紀のアメリカだった。それを最後にカチンスキーはマシンを返し、過去へは二度と行くことがなかった、とされる」
リチャーズはそこで間を置くと、
「ところがDRが最近までマシンを所有していたのではないか、との疑いが出てきた」
「どういうことですか?」
マリアが思わず尋ねる。
「件のマシンは国際協約世界物理アカデミーが所有する一台で、カチンスキーに三年間の期限付きで貸し出されたものだった。物理アカデミーは四年前に所有する五台のマシンを更新し、それまでのタイプ2―Gからタイプ3―Bに切り替えたんだね。五台のうち四台は元々アカデミーにあったのですんなり交換し、古い四台はメーカーのGTP社が下取った。しかしDRに貸していた一台は、彼への貸し出し期限が四ヶ月後に迫っていた関係で、返却された後に更新することとされたんだ。で、DRが返して来たマシンは直ちにGTP社に送られ、新品のタイプ3―Gが物理アカデミーに納品された。GTP社は先の四台と後からの一台をモスボール状態で保管倉庫へ片付けた。四年前と言えば3型が売り出された年だし、TPも2型から3型に切り替えたくらいだから、GTPは相当忙しかったと思うよ。で、DRの死が確認された直後にインターポリスはGTP社に行き、保管されていたDRのマシンを調べた。すると、そいつは良く出来たレプリカだったんだな」
「なんと!」「なんだって!」
思わず数人が口走る。
「GTPの担当者は平謝りに言い訳の限りを尽くしたそうだよ。やれ忙しくてしっかり調べなかっただの、一緒に返却されたマシンの制御キーは本物だったので安心していた、とかね。キーは物理的な実体のある鍵でいわゆる暗証キーではない。同じもののコピーは不可能という触れ込みだが、果たして天才的物理学者のDRを持ってしても不可能だったのかどうか。まあ、そういうことだ」
リチャーズは報告を終えた印に前に組んでいた手を解き、ガムを新しいものに変えた。暫く皆が情報を整理する時間、ジョーはそれぞれの顔を見渡す。その視線が彼に向けられるまで、ジョーは黙っていた。