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プロローグ/TCサイド

 

 §アメリカ合衆国 ワシントンD.C.郊外 2109年12月 


 オレグ・A・テイト三世は十二月三十一日の午後七時という、ある意味非常に微妙な時間に亡くなった。八十九歳の誕生日を迎えて約一ヶ月後の事だ。


 彼の邸宅は首都近郊の山の手でも飛び切りの一等地にあった。

 敷地は当然ながら一等地でも指折りの広さを誇る。その広大な敷地に彼の曾々祖父、ファヴリ・アレクサンダー・テイト一世が建てた屋敷と庭園は全国でも一、二を争う歴史的建造物だった。

 二十年前に発生した、いわゆる『CO2戦争』が与えた傷は未だ癒えていない。首都も大戦初日に核自爆テロ攻撃を受け、灰燼に帰したニューヨークやロサンゼルス、シカゴほどではないものの壊滅的打撃を受けた。急速に復興を遂げた首都は昔のDCではなく、これを機に街は大変貌を遂げた。焼け残った旧来の建造物も大概が建て直され、都市復興計画に沿って造り替えられた。

 現在では見かけることの稀な、重厚で見る者を威圧して止まない大理石と褐色砂岩とのコンビネーション。十九世紀末期に天才と呼ばれた建築家が、全霊と糸目無しの資金を注ぎ込んで造り上げた建造芸術作品。国土文化保存委員会はその資産価値を∞として、評価額を明らかにしていない。それだけでもオレグ老が亡くなった場合相続問題が複雑多難となる事を、当事者のみならず野次馬や社会・文化担当記者たちに知らしめていた。

 オレグ老は神に召されるその瞬間まで非常に元気だったが故に、突然の心臓発作を起こした時、傍仕えをしていた執事たちが助ける間もなく命を落とした。ゴシップという名の屍肉を漁るハイエナやらコンドルの群れが気付くのは、その一昼夜先の事となる。

 まずは本館の隣(とは言っても庭園越しに五百メートルほど離れていたが)の別館に居を構えていた長男、ファヴリ・S・テイト三世の仮想空間通信機、『バーコム』が着信を知らせ、オレグ老とさほど歳の離れていない執事、ジャンが訃報を告げた。長男は普段と全く変わらない様子の執事に、ただ「ありがとう」と告げてコムを切ると、妻と自身の執事を呼ぶ。彼らがやって来ると、これから数ヶ月に渡って繰り広げられるであろう騒動に備える心構えと準備の第一手を伝え、叶うべき速さで――この場合、着替えや細々とした手配が済み次第、父の待つ本館へ向かった。

 彼が本館の呼び鈴を鳴らしたのは午後八時半。

 ジャンはファヴリに伝えた後に次男へ連絡するまできっちり十五分のアドバンテージを取ったのだが、既に次男のエルヴィンは第一応接室の主人の席にゆったりと腰を下ろしていた。

「やあ、兄さん。とんだ事になったね」

 エルヴィンは兄の姿を見上げる。殊勝な表情をしているがどこか不遜な雰囲気は何時もの彼だった。

「大晦日恒例、北米銀行総裁のプライベートな集まりに出ていたんだ。知らせを聞いて取るものも取り敢えずすっ飛んで来たよ。だから場違いな格好は許して貰いたいね」

 ファヴリはただ咳払いをしただけだった。タキシード姿の弟が立ち上がって譲ろうとした主人の席は手を振って断わり、その奧にあるセミグランドのスタンウェイの前に置いてあったベンチタイプの椅子に浅く腰掛けた。

 すると、それを待っていたかの様にノックの音がある。ドアが開くと、三男のクロードが案内の侍従を文字通り押し退けて入って来た。

「今晩は、兄さんたち。父上は?」

 答えたのはファヴリだった。

「まだ会っていない。私も今来たばかりだよ。お前を待とうかと思っていたところだ」

「リズには知らせた?」

 ファヴリは頷くと、

「ジャンが抜かりなく手配している。あちらは昼間だがリズはどんなに急いでも明日の昼頃だろう。いいか?行くぞ」

 彼はそう言うなり立ち上がり、二人が続くのを振り返ることなく部屋を出る。

 すると茶を用意して部屋の前まで来ていた侍従に、

「父上はどこだ?」

 侍従は微かに緊張の色を浮かべて、

「アルバートルームでございます」

 それは主人の主寝室だった。三人はそのまま二階に続く階段のあるホールへ行き、見事な芸術品と言ってよい主階段を上がる。横に伸びる廊下、左手の突き当たり。大きな観音開きのドアを長男が引き開けた。

 既にベッドの位置は動かされ、入り口の真正面、控えめだが眩いばかりのバカラの下に、オレグ老は頭の下に枕を三重にして安置されていた。

「父上」

 兄二人が立ち竦む中、末弟のクロードがベッドに歩み寄り、膝を折って祈った。

 三男一女の兄弟で末っ子のクロードは二十九歳、父のオレグ三番目の妻で一昨年急死したアリスを母に、皆から例外なく可愛がられ育った。兄二人は異母兄で最初の妻マリアの子、ただ一人の娘エリザベスは二番目の妻メアリーの子供だった。彼らの母も現存していない。マリアは飛行機事故で亡くなりメアリーはエリザベスを産んだ後、原因不明の高熱を発して亡くなった。こと妻に関する限りオレグ老はツキがなかった。いや、下世話な者たちが影で囁いた様に、三人も若くて聡明な女性と生活を共にする事が出来て、ついていたのだろうか?

 やがて長男が歩み寄り、一瞬遅れて次男が続く。静かに涙を流す末弟の肩に長男は右手を置くと、

「父上はお前に優しかったな」

 思いもかけぬ長兄の優しい気遣いに末弟はただ頷き頭を垂れた。

「兄さん、この後の手配だが」

「ジャンに全てを任せた。今はただ心静かに祈ろう」

 頭を垂れる兄の前に次男も、信じてもいない神に父を託す祈りを唱え手を組むしかなかった。


 それぞれの思惑を心に秘めた腹違いの兄弟三人が取りも直さず亡き父に祈りを捧げた直後、隣室のドアが静かに開いた。ドアは重いオークで出来ていたが、職人の手で寸分の狂いもなく仕上げた工芸品の扉は音もなく開き、そこから出て来た人物もゆっくりと歩き出し、低いヒールの靴音は深々とした絨毯に吸収されて三人の耳には届かなかった。最初に気付いたのは末弟だったが、視野の隅に映った人影がその場に出現するに相応しい亡霊のように写ったので思わず身構え、二人の異母兄も気付くことになった。

「なんだリズか。早かったな」

「来ていたのか」

 兄二人と弟に見つめられた女は三十代半ば、背は高いが痩せていて、ドレスに絹のグラブ、ストッキングと黒一色、巻き上げたショールが傾いでいる。その立ち姿は故人の娘と言うより未亡人に見え、次兄エルヴィンの目には黒い鉛筆が立っているように見えた。

「どうしたんだい?イギリスにいたんじゃなかった?まるで予期したみたいに早いじゃないか」

 エルヴィンは多少皮肉を交えて言ったが、エリザベスはそれが聞こえなかったかのように長兄ファヴリへ、

「お兄様、さようならを告げに参りました」

 ファヴリは頷くと、

「遠路ご苦労だった。さあ、お父様はお前を本当に可愛がっていた、挨拶するがいい」

 しかし、エリザベスは寝台を一瞥しただけで動かなかった。

「そうですね、本当に可愛がって頂きました。それはもう、私が一生掛かっても忘れられないような……」

 そして三人を一人ひとりじっと見つめる。ファヴリ、エルヴィン、クロードと順番に。

「どうした、リズ」

 昔から無口で控えめ、神経質な妹の態度に何か気味の悪いものを感じたエルヴィンが言う。しかし再び沈黙が迎えただけで、次兄は舌打ちをする。

「さあ、姉さん、どうぞ?」

 常に如才のないクロードがベッドサイドを離れて促すが、彼女は身動ぎ一つせずに三人を見やるまま。やがて居たたまれなくなったエルヴィンが彼女に歩み寄り、

「おい、リズ、どうしたんだ?」

 すると彼女はその問いを振り払うかのように、

「お別れは済みました。それでは皆様、さようなら」

 抑揚のない、台詞の棒読みのようなリエリザベスの言葉が合図だったのだろうか。突然、部屋の隅、ドアの横から眩い光が零れる。部屋は故人の眠りを妨げないかのように照明を絞っていたので、その光は真夏の太陽を思わせるほど強烈に見える。色は溶鉱炉で煮え滾る鋼ように紅く、三人とも思わず手を翳して目を守った。

「なんだ!」

 エルヴィンが叫ぶと、エリザベスは踵を返しその紅い光に向かって歩いて行く。

「リズ、よせ!」

 長兄も叫ぶが、彼女は頓着なくすたすたとその光に歩み寄り、するりと紅い光に呑まれる。途端、光は消え去って、何事も無かったかのように元の部屋に戻った。エリザベスの姿は跡形も無い。


 最初に我に返ったのはファヴリで、ベッドサイドの呼び鈴を振る。ほとんど間を置かずにドアが開き、ジャンが入って来てお辞儀をした。最初に入って来るのはドア横に控えているであろう下僕の一人と思っていたファヴリは、ジャンを呼べ、という言葉を飲み込むと、

「ジャン、エリザベスが来ていたのを知っているか?」

「はい。承知しておりました」

「何故知らせない!」

 横からエルヴィンが声を荒げるが、ファヴリは身振りで黙るように促すと、

「直ぐにエリザベスの所在を探ってくれないか」

「その必要はございません」

「なに?」

 反論されることに慣れていず、しかもこの執事に限って否定的な言葉で返すことなど物心付いた時から記憶になかったファヴリは言葉に詰まった。するとジャンは懐に手を差し伸べるとやけに長い銃身の拳銃を抜き出す。老執事は、古風な武器に思わずたじろいだ三人へ冷静な視線を送ると、

「失礼致します、クロード様」

 プスッという音と共にクロードの額に赤い穴が開き、その後ろ、敬愛する父の顔に脳漿と鮮血をぶちまけた。三男が崩れ斃れると、ジャンは表情を変えずに銃のスライドを引いて薬莢を排出する。きらりと光った薬莢は毛足の長い絨毯に音もなく落ちた。それを二人の兄弟は声もなく見つめるばかり。

「さようなら、エルヴィン様」

 ジャンが言うなり銃を上げるや、何が起きたのかまだ信じられずに固まっていたエルヴィンの額にも穴が開く。直ぐ後ろにいたファヴリの黒服に気味の悪い黄味掛かった灰色と赤い粘液が振り掛かる。ジャンは機械的な動作で再び薬莢を排出し次弾を送り込む。

「お休みなさいませ、ファヴリ様」

 本人は声を振り絞って叫んだつもりだった。そして五メートルほど離れた場所に居る執事に飛び掛ろうとしたファヴリだったが、声も動きも仕掛けた途端、銃弾がやや逸れて側頭部に当たる。しかし数センチの差は彼を救うには少な過ぎ、彼の世界は永遠に暗転した。

 殺人者は斃れた三つの死体とベッドの当主を見やる。その目に初めて歓喜の色が現われ、表情はこの老執事に限っては決してありえない、幸福そうな微笑に変った。

 ジャンはスライドを引いてもう一発銃弾を装填し、腕を伸ばして長い銃身を上向け、自身の顎に当てる。

「お待たせ致しましたご主人様。いま、参ります」

 これもプスリと圧縮空気が零れた音と共に執事は倒れ、惨劇の部屋は漸く弔いの静謐を取り戻した。



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