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Episode34;イッソス湾の小舟

 

 §中東シリア地方 アレッポ北方 イッソス BC333年11月(到達年月)2369年6月(現在年月) 


 イッソス。小アジア・アナトリア半島の付け根、シリアからエジプトへ抜ける道筋の関門に当たる。そこはアレクサンダーにとって最初は通過点に過ぎなかった。しかし、彼はここから南下してシリアの地中海沿岸を押さえた直後、思わぬ大病を患って三ヶ月ほど寝込んでしまう。ペルシアのダレイオス大王は帝国の根元が揺らぎ出したのを看過出来ず、遂に自ら大軍を率いて出陣する。その数およそ十万。対するアレクサンダー率いるマケドニア・ギリシャ軍は四万に満たない兵力だった。彼は背後に現われたペルシアの大軍の報にエジプト進撃をあきらめ、兵を返す。ここに両軍の対決が実現した。

 BC333年11月。冬枯れて水が一滴もないピロナス川を挟み、南側にアレクサンダー率いるマケドニア・ギリシャ軍、北にペルシア軍。歴史的会戦の直前、舞台となる荒野では、西に傾いた太陽に隊列の影が長く伸びている。早朝より睨み合う両陣営は、戦闘の火蓋が切って落とされるのを今か今かと待っていた。


「ねえ、気付いている?この場所」

 ミシェルが例の黒い箱を手に誰とも問わず、

「ここは『二日前』エリザベスが『スクープ』を使った場所に近いわよ」

「マルジュ・ダービクか?なるほど、千九百年ほど時間は違うが、あれは予行演習だったと言うわけか?」

 アチソンが透かして言う。彼はすっかり戦闘モードに入っている。つまりは機嫌が良かった。

「どうだったんでしょうね。ちなみに彼女が現実世界で死んだとされる反応炉機の墜落も、ここからさほど離れた場所でないわ」

 ミシェルも戦闘モード、その目は生き生きとしているが落ち着いた物腰だった。

「偶然にしては、ね。多分、そういう暗示がそこかしこにあったのに……」

 キャシーは残念そうに言う。

「先入観と主義信仰を捨て、唯一神の目線で俯瞰する。解析課の達人マスターの言葉。それを常に覚えておかなくてはいけない、って」

「では、今からでもそれを発揮してくれ」

 ジョーはさらり言うと、

「たった今、レーダー少佐の第一中隊から連絡があった。グラウニコス川にはエリザベスの気配はない。インドもバクトリアも史実通りだそうだ。ガウガメラではTCが仕掛けたそうだが、そちらはBC四世紀常駐隊巡回警備班が阻止したらしい。彼らはこっちに向うと言っているが、多分間に合わないだろう。我々四人でなんとかするんだ」

 ジョーは立ち上がる。

「いいかな?全員、集中していてくれ。出来れば『スクープ』が起きる前に発見したい」

 三人の目が自分に向くのを認めると、

「エリザベスは今、この瞬間にどこかでこの光景を眺めているに違いない。亜空間では見つけようがないが、三次元げんじつで『スクープ』を使うにはどうやら実体化しないといけないらしい。どこか見通しのよい場所、それでいて人に見咎められない場所がないかどうか?」

 全員が自分のシート前の擬似スクリーンに目を凝らす。

「手分けしよう。中央の川を横軸として、ペルシア軍中央ダレイオス王の玉座と、マケドニア左翼軍と右翼軍の境、あの重装歩兵隊列の切れ目の位置を結んでそれを縦軸に四分割、今座っているシートで担当分けをする。ミシェル。北東を頼む。アチソン、南東だ。キャシーは南西、私は北西を見る。頼むぞ」

 一斉に擬似窓を操作して自分の担当域をそれぞれ直前の擬似スクリーンに投影する。戦場をアレクサンダーの目から見れば南北は狭い荒野、東は山地西は海。エリザベスがいるとしたら東側の山地と思われたが……


「ねえ、これって、どう思う?」

 キャシーがぽつりと言い、ジョーのスクリーン隅に自分が見ている画像を映す。

 それは戦場西側に広がる地中海。晴天を写した海原は透き通るような群青。そこにポツンと舟が。粗末な舟で当時の人々がレバノン杉から削り出した小舟だった。浜辺からは五百メートルほど、ぽっかりと浮かんでいたが、人影は見えない。

「精査したか?」

「したよ。ほら」

 キャシーが擬似窓を操作して画面を拡大、小舟は海上五メートルから見下ろした全体像となる。

「熱感知、なし。人感、なし。周囲との時位差・歪曲なし。本当に無人のようだけど」

「今は、な」

「え?」

「よおく見張ってろよ」

 ジョーは自分の担当域に目を戻し、部分部分でセンサーを作動、サーチを行なう。納得した所でキャシーの席の横に来て、

「変化はないか?」

「全く」

「浜辺に係留されていて、何かの理由で沖に流されたんじゃなくて?」

 ミシェルは自分の担当を調べつつも背後で起こりつつある出来事が気になるようだ。その問いにジョーは被りを振る。

「波は穏かだがここは海流があるんだ。小舟は動いていない。漂っているだけだ。錨は見えないが海中を探ると舟の底から重石がロープで海中に垂れている。水深二十五メートル、ロープの素材は天然由来のようだ。TCだとしたら一応考えているな。しかしこの時代にそんな長いロープがあるか?」

「ないことはないけど、難しいでしょうね、こんな小舟の所有者がするのは」

「ミシェル、そっちも抜かりなく探し続けてくれ。キャシー、目を離すなよ」

「了解」

「ああ、始まった」

 呟くようにアチソンが言う。

 『下界』ではイッソス戦の序盤、マケドニア軍の重装歩兵ペゼタイロイ方陣ファランクスが有名な四メートルにも及ぶ長槍サリッサを前に突き出し、一斉に前進する。それは最早人間ではなく巨大な戦闘機械であった。同時に右翼、愛馬ブケファラスに跨ったアレクサンダーを先頭にマケドニア騎兵・ヘタイロイがペルシア左翼歩兵に襲い掛かる。荒野に響く喇叭の音、突撃する騎馬の音、騎馬に踏み拉かれ、サリッサに貫かれたペルシア兵の断末魔。戦場音楽が奏でる調は次第に高まって行く。


 その時。キャシーとミシェルの警告は殆ど同時だった。

「ジョー!あのボートに開扉前兆!」

黒箱ブラックチェンバーに反応!」

 ジョーは全く迷わなかった。

「『ケイト』!オリジナルを下降させろ!あの舟の真上三メートルへ持って行け」

 彼らは人馬が一体となる見事なマケドニア傘下、テッサリア騎兵の突撃の頭上を掠めて海へ滑るように移動する。

「私は舟に飛び移る。キャシー、このオリジナルを護ってくれ。アチソンとミシェルは待機して、私一人で対処が出来ない場合、直ちに介入。判断は委ねる」

「最初から一緒にいくぜ?ジョー」

「アパッチが飛び乗ったら舟が沈むよ。手に負えそうもないと思ったら、頼む」

 既に小舟の舳先側に紅い光が開き始めている。オリジナルがその真上で停止した時、紅い光はドアの形をとってその中からするりと人型を吐き出した。

「エリザベス」

 思わずジョーは口に出すと、

「ケイト!開扉して二秒後に閉じろ。私一人が飛び降りる。お前は亜空間潜伏のまま付いて来い」

「了解」

「ジョー!」

 アチソンの野太い声。ジョーが振り返ると、

「無茶をするな」

「ラジャ」

 突如金色の光が目の前に。ジョーは間を置くことなく跳び込んだ。


 エリザベスは小舟の舳先に実体化すると、手にした白い板状のものをそっと離した。それは彼女の目の前で浮遊した。

「中心点、事前登録のまま、偏差、なし。事象の整合性、確認……」

 落ち着いて数値を確認する。使い方はカチンスキーが丁寧に教え、その後十回余り使用しているのでもう慣れ親しんでいる。後少し。もう一分もなく、あの男、世界にその名を知らない者がいない本物の英雄が虚数域へ吐き出される。無防備で実体化因子を持たない彼は虚数の海で溺れ死ぬのだ。もう、あと少しで。直後、彼女は揺れる舟の上でよろけ、膝を折る。はっと顔を上げると、舟の後方数メートル上方に金色の傷口のような光が。

「ああ。敵だ」

 彼女は独り言を呟く。その顔は憎悪で歪んでいた。その金色の光から突如、金の塊が落ちてくる。それはドシンと舟の後部に落ちると、光は消え、そこに男が立ち上がった。それは彼女の知る二十二世紀のアメリカ国防省の士官にそっくりで……

「エリザベス・コータだな?」

 『士官』が喋る。

「なあに?」

 それは恐れでもなく疑問でもない。幼女の仕草でエリザベスは笑みを浮べた。

 だが男は厳しい顔を崩さず、

「国際協約法に則り、貴女を逮捕する。貴女は現在年紀の人間ではないが、時間犯罪がなんであるかを知っている。従って国際協約時空間管理法第十三条により貴女は時空侵犯者であると認定される」

 ジョーが一歩踏み出すと彼女が一歩下がる。

「逃げられないぞ。諦めるんだな」

 彼が彼女に飛びかかろうとしたその瞬間。

「うっ!」

 突然彼と彼女の間に紅い光が。思わず立ち止った彼の前、エリザベスがその光に飛び込んだ。一瞬の後、ジョーもまた躊躇せずに飛び込む。直後、上空からアチソンが落ちてくるが、彼が揺れる小舟でバランスを取った時にはもう紅い光は消えていた。

「ジョー!」

 小舟の上でアチソンの叫びが虚しく響いた。



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