Episode33;アリオスの託宣
§時空走路ルート特別1・時航マシンTPM00―002号 300年付近(到達年) 2369年6月(現在年月)
ジョーの緊急通報は波紋を広げた。
TP本部ではリチャーズ捜査官が現場と本部との間で八面六臂の活躍を見せる。途方に暮れるような通信量とひっきりなしの要求、そして通達・命令の波が彼のささやかな『プロジェクト本部』を呑み込み雁字搦めにした。
しかしさすがはリチャーズ、押し寄せる通信の殺到をあっというまにランク付け、優先順位で捌いて行く。
口煩いことで知られたある世紀常駐隊長は、補給物資をごっそり持って行かれることに怒り狂って長々と抗議を行い、ある作戦部の課長は自分の管轄が無視されて心外だ、と怒り心頭。どちらの通信も発信元をちらりと見たリチャーズの手によって、何故か通信センターの形式外処理担当、別名『キ印課』へ廻され、辛抱強さと言う点ではTP一と思われる情報処理ピッカーが、相手が根負けするまで付き合った。
ジョーたち『機動本部班』のマシンは途中六世紀常駐隊本部に寄って補給とメンテナンスを受ける。通常半日は掛かる作業を、常駐隊本部全ての作業を中止してこのマシンの出発に集中した結果、二時間で達成した。礼を言う間も惜しんで二時間半後には特別走路ルート1を過去に向けひた走るマシンがあった。
「さあ、どうする?アレクサンダー大王のエピソードは多いぞ?」
マシンの中央乗員室ではアチソンが腕を組んでジョーに詰め寄っている。
「それに死を厭わない本物の英雄だったし」
キャシーも空を見つめて考え込む。
「全てをカバーしている時間も人員もいない。的を絞るしかないわね?」
ミシェルは六世紀のストックから本物のコーヒー豆を失敬し、カフェオレを楽しんでいる。一口飲むと、
「例の『神の御手』に縋る?」
ミシェルは軽いジョークのつもりだったがアチソンは本気で被りを振り、
「馬鹿を言うな、ミシェル。アレクサンダーはそれでもいいが、周りにどれだけ損害が出ると思う?やるんだよ、たとえ不可能だと分かっても」
アチソンが悲壮な覚悟を披露すると、キャシーが、
「情報部の解析課がアレクサンダーを暗殺するとしたらどの時標でするか、というシュミレーション結果を送って来てる」
彼女はそれを一覧にして擬似スクリーンに投影した。
「普段の宴会とか日常生活は除いてる。一応彼の生存していたBC356年からBC323年までは出来る限りBC四世紀常駐隊が張り付いているし。今までのパターンからしても、スクープを使うとしたら保護対象の有名なエピソードになると考えてアレクサンダーの歴史に残るエピソードに絞ってます」
皆が興味を惹かれて画面を眺めるのを見て、キャシーは得意な部門の説明をする。
「まずは、カイロネイアの戦い。父のフィリッポス二世に従った彼の初陣。アテナイとテーバイ連合軍を彼の活躍で破った。ここで仕掛ける可能性は十三%。次はトラキアとテーバイ戦。アレクサンダーがマケドニア王になっての初外征、これが四%――」
以下、小アジア・グラニコス川の戦い二十%、イッソスの戦い九%、エジプト遠征七%、対ペルシャ戦・ガウガメラの戦い十二%、ソグドとバクトリアとの戦い十六%、インド・ヒュダスベス河畔の戦い七%、ゴルディオスの結び目の故事七%。その他五%と続く。
キャシーはその一覧を見て首を振る。
「彼自身が標的になるケースだけ見ればこれで納得だけど、実は一番可能性が高いのは彼の父、フィリッポス三世の暗殺だと思います。フィリッポスの幼少期に暗殺する、六十六%、その他三十三%。これはもし、アレクサンダー本人を標的にせず彼を排除する理想の方法という設問に対する解析課の解答」
「ますます訳が分からなくなりそうだな」
アチソンが唸る。するとジョーは微笑を浮べて、
「こういう時には本物の専門家に意見を聞くものだよ」
「本物の専門家だと?」
しかしジョーは答えず、自身のピッカーを介して二十四世紀の本部を呼び出す。リチャーズが映像で現われると、ハローハロー交換台さん?長距離通話をお願いします、と言って彼を笑わせた。
十分後、擬似窓が着信の印にフラッシュして、本部の通信オペレーターが現われる。
「お繋ぎしましたけれど、画像は一分六コマの静止画像です。音声は今日はまずまずクリアです」
「ありがとう」
するとオペレータが消え、男が現われる。
「こんにちは、先生」
ジョーが親しみを込めて挨拶すると、
「おおお!ジョーじゃないか!随分と久し振りだなあ」
「ええ、ご無沙汰しております」
「聞いてくれ。また一年消えて行ったよ。今の限界はBC七百九年、そろそろBC八世紀も見納めになるなあ」
静止画像が変わって溜息を付く姿になった男は奇妙な格好をしている。肌の上に直接巻き付けた緋色の外衣に、右手にはフシとコブだらけの楡の杖。その姿はソクラテスやプラトンが哲学を語ったギリシアの住民に他ならない。
「どうしたね?今日はどうやらマシンの中のようだが」
「アリオス先生。伺いたいことがありまして」
「言ってご覧。この辺境は今日は暇でね。やって来たTCは一件だけ。しかも私の姿を見るなり驚いて引き返しよった。慌て振りがおかしくて思わず逃がしてしまった」
ジョーは笑って見せると真剣な顔になり、
「お尋ねします。先生がTCになったとして、マケドニアのアレクサンダー大王を襲うとしたら、どの年紀でどこで仕掛けるでしょう?」
暫くの間は数百年の時空を越えたせいばかりではない。
「これはこれは。随分と心揺さ振られる設問だねぇ。何かな?この間の騒動に関連するのかね?」
「その通りです。どうやらあのTCがアレクサンダーを狙うらしいと気付きまして」
「それで物騒な目をしたプロシア人がこっちに来ているのかい。BC三世紀からそちらに行ったらよろしくと連絡をくれてね。丁寧な挨拶をしおった。BC六・七世紀常駐隊のミューレンですら挨拶に来たことがないのに律儀だなと思っていたんだ」
「ええ、まあ。それで、どうでしょう?先生ならどうしますか?」
アリオスは既に十五年余りを最果てのTP常駐員として過ごしている。そこから動いたことはない。その理由は単純だった。歴史が、特に紀元前の歴史が大好きだったのだ。彼は暫し考えた後で、
「先ずは父王のフィリッポスを何とかした方が簡単だな。あの王様は結局暗殺されてしまったが、随分と狙われたもんだ。ついでにやはり考えることは一緒なのかTCの標的にもしょっちゅうなっているそうだね」
「そうですね。それは考えました。しかし今回のTCに限ってはアレクサンダーその人を直接害しようと考えていると思います」
アリオスは細い目を更に細めて、
「そんなに自信があるのなら、なぜ私に聞く?」
「それはですね、先生。私たちが過去を結果から見下ろしているからですよ。歴史は『過ぎ去る』遺物と見えてしまう。実際は積み重ねです。大帝国も最初は小国です。それが色々なファクターに因って成長し最盛期を向え衰退し滅亡する。その滅亡側から見ている私たちはどうしても物事を逆さまに見ているからか、時として当たり前のことを当たり前として判断出来ていない。英雄も子供時代があり、自信も野心もなかったりする。それが成長後を知っている私たちは大人の彼が冷酷無比に他国を滅ぼしたりするのをしっているから、彼の少年期の心情を理解しなかったりもする」
ジョーは頷くアリオスの静止画像を見つめて、
「先生は過去の終着点に長くいらっしゃる。そこから未来を、私たちを順番に見ることが出来るはずです。どうかその目で見た場合、どの時点でアレクサンダーを抹消したら宜しいのか、判断してください」
アリオスは額に手をやり俯く。その格好・風貌から、プラトンが黙考している姿を彷彿とさせた。やがて。
「そのTC。それほど歴史に詳しいのかね?」
「実行犯は違います。しかし、それに示唆した人物がある意味で過去を憎み、識っていたのです」
「そうか……ならばイッソスだろうて」
「え?」
思わずキャシーが声を出す。自分の判断と違ったようだった。
「理由をお尋ねしてもよろしいですか?」
ジョーが静かに尋ねる。アリオスは間を置かずに説明した。
「イッソス戦はアレクサンダーの金字塔だ。後にポンペイの市民がその一瞬を自宅の壁に描いたように、王自らが王を討ち取る寸前まで追い込む。実に鮮やかな勝ちっぷりだ。西の若き獅子が東の老獅子を手負いにする――劇的な叙事詩だね。ペルシアが滅ぶのは少し後のガウガメラ戦だが、イッソスによって彼の自信、技能、体力全てが向上し絶頂に向う。アレクサンダーにとってイッソスは征服者として東西を初めて連結した人物に至る最大の関門だったろう。王の王として君臨したペルシアのダレイオスが初めて負けた戦だ。当時の人間は歴史の変わる瞬間を見ていたんだよ」
アリオスは脇が緩んだ外衣のずれを直すと、
「もし私がTCなら、得意の絶頂に至る直前の彼を始末する。後でも先でもなくあの一瞬がアレクサンダーの業績を台無しにする瞬間だ。勝利を見ずに逝くことの無念さはいかばかりかな?そうなれば世界史に輝く英雄ではなく普通の英雄として残るだけであり、アレクサンドリアという地名や、アレクサンダーという名前が多くの人々に付けられることもないだろう」
「ありがとうございました。先生」
「なんだ。こんなことでよかったのかね?」
「ええ。すっきりしました。先生のお答えはまるでデルフィの神託ですからね」
「なんだなんだ。私はデルポイの巫女じゃないぞ?」
アリオスは笑うと、
「では、これで。また気が向いたら遊びに来なさい」
「ええ、ぜひにも。先生、お気を付けて、お元気でお過ごしください」
アリオスは優雅に手を振ると、映像が消えた。
ジョーは立ち上がると、
「BC333年。イッソスへ行く」
「今までのパターンだと、英雄たちは直接狙われていないのに?」
不服そうにキャシーが言う。
「先生を信じてみるよ。それともキャシー。君の思うところへ行くか?」
「あ、うん……止めておく」
キャシーは突然自信を失ったように小さくなった。するとアチソンが呟くように言う。
「それにしても、今更なんだが、何故あの女はアレクサンダーを狙うと考えるんだ?確かに兄弟たちのミドルネームになっている英雄を狙ったよ?しかし理由がたったのそれだけ、オヤジのミドルネームだけだろう?」
アチソンはまだ疑心暗鬼だった。ジョーは被りを振ると、
「エリザベスが一番憎んだ男は父だ。兄弟たちはいわば前座。そもそも何故父が自然死するまで放っておいたんだ?復讐なら直接鉛弾でもニードルでもプラズマでも何でもいいからぶつければいい。時空を超えてやって来て一発。TPも忙しい、有名とはいえ一般人にまで中々手が回らない。常駐警備が駆け付けるのと殺害とどちらが早いかと言えば、私は彼女に賭けるね」
「言っている意味が分からないよ、ジョー」
ミシェルが言う。ジョーは辛抱強く、
「だから、エリザベスは父を越えて英雄を、歴史そのものを憎んでしまったのさ。はっきりしたことは精神解析しなければ分からないだろうが、彼女は父を、そしてそれに属する家族兄弟を憎んだが、積年の服従心と大人しい性格が邪魔をして行動を躊躇わせていた。そこであのDRが持ち出したのが歴史、特に英雄への復讐だ。英雄の名を持つ父や子。その由来となった人物を抹殺することで間接的に満たされようとした――」
「そうか!祭祀、いや、宴なのよ」
突然キャシーが割り込む。
「なんだって?」
「これは彼女の宴。憎いけれど既に深く刻まれた感情、それは愛情なんだわ。その対象である父の死。それによって発動される宴。父の申し子である兄弟を、これまた父の所有物であった執事に殺させる。宴の祭主は貢物で自らの手を汚さない。眷属にやらせるの。偉大なる父への貢物。そして英雄たちを抹殺しそれを捧げることは神聖な儀式。飛び切りの供物を捧げる儀式は祭主自らが行う。英雄の死には人柱が付きものでしょう?」
ジョーが静かに応える。
「古代中国の皇帝の様に」
「そう、それもまた英雄たちの宴よ」
「英雄の名を持つ父に、本物の英雄を貢げるだと?無茶苦茶だ!」
アチソンが吐き捨てる。
「でも、そうとしか思えない」
「止めないと」
ミシェルが眉間に皺を寄せる。
「それにしても」
キャシーは何か悲しそうに腕を組んで、
「アレクサンダーを抹殺しても現在の歴史はどうにもならないことは誰もが知っているのに。エリザベスはまだしも、あのDRは専門家でしょう?何故?最悪でも過去にもうひとつパラレル分岐を作り出すだけなのに」
ジョーは頷いて賛意を示すと吐息混じりに、
「それはもう永遠に謎のままだろうね。だめだと分かっていても一つのパラレルを作ることで満足したか、そしてそのパラレルの結果を追い駆けたかったのか……」
ジョーは組んでいた腕を解くと、今度は力強く、
「理由なんか後でどうとでも考えればいい。そのパラレル分岐を作らせない。それが我々TPの仕事なんだろう?キャシー」
キャシーも腕を解く。
「そうでした。そのために私たちがいる」