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Episode32;真の目標

 §中東シリア アレッポ北方 ダービク平原 1516年8月(到達年月)2369年6月(現在年月) 


 歴史上、この戦闘をマルジュ・ダービクの戦いと呼ぶ。スレイマン大帝の父、オスマン皇帝セリム一世がなし得たエジプトと北アフリカ地中海沿岸地方支配の決定的瞬間だった。

 戦いは序盤、マムルーク朝が誇る騎兵集団の突進で武器装備や戦術で勝るオスマン軍が思わぬ苦戦を強いられる場面。黄色の旗印と長い槍を捧げ持つ数万の騎馬兵の海が白や灰色のターバン軍団を押し続ける。


 片やマムルーク左翼軍の陣営。ここでは兵が動かず、逆に退却の素振りさえ見せ始めた。

「始まるとしたら間もなくです」

 情報部から派遣されたアナリストの少尉は、見逃してなるものかといった感じで身を乗り出している。実際は亜空間に開いた『実体可能空間オリジナル』から二十四世紀の『航跡』である歴史を眺めているに過ぎず、景色や出来事は擬似スクリーンに投影された映像に過ぎないのだが。

 やがて裏切り者の太守ハーイル・ベイの暗躍が功を奏し、彼の配下の兵が次々に逃げ出し始める。

「シンディ!」

「どうぞ」

「感知あり。座標は正にあなたの下!」

「了解」

 シンディはセリム警護の班に、

「聞こえたね……そうだ、待機してくれ」

 ミシェルの通報は二人の部下と少尉にも同報され、全員がシンディの顔を見る。

「いいか、打ち合わせ通りにやる。『スクープ』が始まったらこの『オリジナル』ごとぶつける。可能な限り実体化はしない。もし奴らがこちらをスクープで閉鎖した場合はミドランドがオリジナルをこちらに接続してスクープを解き放つ。あの女はきっと近くにいるぞ、全員周囲を警戒!」

「シンディ!」

 ミシェルの緊迫した声。

「なんだ」

チェンバーの感度がマックスゲージとなった。始まる!」

「了解」

 すると下界の画像が一瞬乱れ、陽炎のようにぼやける。

「『クイーン』!直ぐにこいつをぶつけろ!」

「了解」

 シンディが自らのピッカーに命じると突然彼らは下界に向けて急降下する。しかし。

「何だ!」

 まるで空気マットの上に落下したような抵抗感。オリジナルはボールのように跳ね上がり、シンディたちは思わず四つんばいになる。

「もう一度だ!」

 シンディは命じるが、一旦浮上して後、勢い良く下降したオリジナルは同じように跳ね返されるだけ。しかしここで考え込まないのがシンディの真骨頂。

「離れろ!百メートル南へ前進。地上に降ろすんだ」

 シンディのピッカー『クイーン』はオリジナルを操り、草原を滑るように移動、今度は抵抗もなくふんわりと地上に降ろす。そこはマムルークの陣営の裏、クイーンは察し良く投槍や嵩張る盾を放り出して逃げて行く下級兵士が辿る道筋を避けていた。

「いいか、皆良く聞け。きっと亜空間では亜空間から、過去世界では同じ過去世界から仕掛けないとだめなんだ。ここで実体化してスクープに体当たりするぞ」

「生身で、ですか?」

 呆れた部下の一人が問うが、それは質問と言うより確認だった。その証拠に言った傍から部下の男は笑い出す。

「相変らずボスのやることは無茶苦茶だ」

 シンディは軽く肩を竦めて、

「やって見るまで分からんよ。さあ、時間がないぞ!クイーン、ポイントはここでいい、即時開扉しろ!」

「開きます」

 突然、オリジナルの一部が輝き出す。実体化因子を持つものが亜空間から過去に接触する時に現われるしるし。人はこれをゲートと呼び、TPが扱う実体化因子の色は金。これはどのようなTCも真似が出来ず、この色によってTCかTPかの判断が出来る。

 三人が同時に飛び出し、遅れて一人がおっかなびっくり続く。シンディたちは夏草の合間を縫って駆け抜ける。そろそろ目立つ太陽が暑い一日を予感させた。

 その境界線は全く意識されないものだった。三人の誰が破ったのかは分からない。三次元の地上からは、オリジナルから見下ろしていた時には見えていた陽炎のような揺らめきも見えない。確かにそれにぶつかったはずだったが抵抗も感じられず、ただ音だけが響き渡った。

 パリン!

 鋭く甲高い音。続けて、

 ガシャン!

 ガラスが砕ける音にそっくりな音が響く。

 訳も分からぬまま『スクープ』の虜となっていたマムルーク軍の左翼中枢では、突然の金縛り直後、身体に自由が戻り、勢い余って倒れるものが続出した。

 直後に一陣の旋風が陣営を吹き抜け、ピシピシと当たる砂塵や枯れ草の切れ端に誰もが身を屈める。熱風が過ぎ去り、飛んで来る砂塵をやり過ごした後、シンディたちを追っていた情報部の少尉は顔を起こして辺りを窺う。すると。

「あれは……」

 彼らの先、五十メートルほど右手。ハーイル・ベイが陣取っている小丘と対になる丘の上、一人の女が立っている。照り付ける太陽の下、盛夏だと言うのに黒衣姿で顔もベールで覆っていた。正にイスラム同士の戦いの最中、理に叶う姿形ではあるが、その姿はまるで中世ヨーロッパの死神かロンドン塔に出たという女貴族の亡霊に見えた。

 少尉が逆光に手を翳し、女を見定めようとした時。黒い手袋をした女の右手が上がり、ゆっくりとベールを上げる。透き通るような白い肌。その唇は薄く赤みのない小豆色、すっと通った鼻筋、その目は一目見たら目を離せない色を湛え――

 突然左大腿部に鋭い痛みを感じ、少尉は文字通り飛び上がる。反射的に手をやると光学迷彩スーツが裂け、血が噴出している。

「前を見るな。そのままじっとしていろ」

 いつの間にか隣にシンディが立っていた。彼女は膝を折って右手の丘を睨んだまま片手でパッチを取り出すと彼に渡す。

「すまん。貼ったほうがいい」

 少尉は言われるままにパッチを裂けたスーツの上から貼り付ける。一瞬痛みが増すが、それは治療が始まった証拠。直ぐに麻酔が効き始めて急速に痛みが消える。シンディが声を掛ける。

「もう顔を上げてもいいぞ」

「……女は?」

 丘を見遣れば女は消えていた。パッチ治療のせいか自分の声が遠くから聞こえ軽く眩暈を覚える。

「大丈夫か?」

 立ち上がったシンディは少尉に手を差し出す。尻餅を付いた格好の少尉は頭を振って眩暈を振り払う。

「なんとか」

 彼がその手を取ると思いの外力強く引き上げられ、驚く間もなく立ち上がる。反動でよろけるほどだった。

「見たね?」

 何を見たのかは言うまでもない。そんな感じの言い方に少尉は、

「見ました。あれは、何か……」

「引き寄せられる感じ、か?」

 言い淀む少尉にシンディがずばり言う。

「そう、そうです。あのスクープと同じ、吸い寄せられる感じがしました」

 シンディは無表情だが声に苛立ちがあった。

「あんたは狂気に魅せられた。あれは見てはいけないものだ」

「では、彼女がエリザベス?」

 シンディは頷くと、腰に吊った細身の短剣スティレットを示し、

「少尉。あんたがあの女に惹き込まれたと分かったからこいつであんたを刺した。正気に戻すには肉体的苦痛を与えるのが手っ取り早く確実なんでね。悪かったな」

「そうですか……こちらこそ申し訳ありません」

 シンディは駆け寄って来た二名の部下へ片手を上げ、スティックを肩に掛け、先に立って歩き出す。

「ここの連中に気付かれる。さっさと行くぞ、ここにはもう用がない。あの女はどこか他を狙うはずだ」

 そしてぶっきらぼうにクイーンへゲートを開くよう命じる。すると、

「今は追っても間に合わなかったが」

 彼女は珍しく感情も露わ、悔しそうに囁いた。

「もう一度私の前に現われろ、エリザベス。必ず捕まえてやる」



 §時空走路ルート2・時航マシンTPM00―002号  1000年付近(到達年) 2369年6月(現在年月)


「今のところは順調だな」

 アチソンが擬似窓に映した各小隊からの通信記録を斜め読みながら満足げに言う。

「今のところはな」

 ジョーは擬似スクリーンに映し出されるランダムな各世紀の状況を睨み、笑顔は見えない。

「つい七時間前にはシンディのチームがエリザベスを見ている。包囲網は着々と狭まっている。TCの奴らの目標も変わって来た。やつらはこちらが網を張らない歴史的重要人物ファンクションキーを捜して焦り出している。このまま行けばエリザベスは燻し出されるに決っている。落ち着いていこうぜ」

 アチソンは慰めるように続ける。

「そもそも楽観主義はお前のオハコだろうが?ジョー」

 すると、モニター役を務めていたキャシーが割って入り、

「第三小隊から。フランク王カールマンの立場が有利になるよう仕掛けるTC現る、だって」

「カールマン?」

「シャルルマーニュの弟で共同統治の王となった人。王になって三年余りで死んでしまったから、シャルルマーニュが単独の王になった」

 キャシーが面白くなさそうに言う。

「なら行くか?ジョー」

 アチソンの問い掛けに余り気乗りしない様子で、

「向おう」

 段取りをキャシーに任せ、ジョーは横のシートに深々と座るミシェルに

「ちゃんと挨拶していなかったね。お疲れさま。『ブラックダイヤモンド』からは既に報告を受けている。エリザベスに対面したって?」

 ミシェルはつい先ほど十六世紀から戻って来たばかり。忌々しげに傍らに置いた黒箱ブラックチェンバーを小突くと、

「私は見ていないわ。あなたに言われた通り自分の『オリジナル』から出なかったから。エリザベスの姿を見たのは第四小隊の本部班」

 ミシェルは何かイラついている。

「うん。シンディからは報告を受けているよ」

 慎重にジョーが応えると、ミシェルは感情を爆発させる。

「あの女カリビアン!私をフランス人形呼ばわりして」

 ジョーは溜息を堪えてミシェルを無表情で見る。ミシェルとシンディはほぼ同じ頃にTPにスカウトされ、今や逮捕件数を争うライバル、それ以上に犬猿の仲としても作戦部では有名だった。

「あのアマ!私を名前で呼べと言ったのに」

「大したことじゃないだろう?」

 と、これはアチソン。ジョーはアチソンに任せて後に引いた。

「大したことないなんて!人の名前は大切よ。アパッチも分かるでしょ?」

「どうだかな。俺は自分の名前にそれほど愛着はないよ」

 しかし、ミシェルは目を細め、昔の想い出に耽り始めていた。

「私はね、子供の頃、大層可愛がられたものよ。この名前はおじいさまが付けて下さった。ひいおじいさまのお名前も入れて頂いて」

「え?ミシェルって名前?」

 アチソンは知っていて惚ける。

「何よ!ひいおじいさまのことは知っているくせに。ミドルネームに頂いたのよ。私のフルネームはミシェル・フェルナンド・フォッシュ。ミドルのフェルナンドはひいおじいさまのお名前、フェルディナンから頂いたものなのよ」

「へえ。そういえばミシェルのひいじいさんは偉かったんだよな」

「そうよ、フランスを救った英雄。連合国軍最高司令官フェルディナン・フォッシュ元帥。彼が第一次大戦を終わらせたのよ」

 自慢げなミシェルをみるとからかいたくなるアチソンだった。

「なるほど。そんな大層な名前を頂いたんで、こんなオトナになったというわけか?」

 フン、とそっぽを向くミシェルに、

「英雄の名前なんて貰うもんじゃないな。ん?どうした、ジョー」

 ジョーの顔が蒼白だった。彼はよろよろと近寄って来るや、目を見開いてアチソンの肩を掴む。

「アパッチ、今のをもう一度」

「大丈夫か!ジョー。どこか痛いのか?」

「違う。もう一度言ってくれ」

「何を?」

「ミシェルのひいじいさんの話」

「第一次大戦を終わらせた偉かった元帥のじいさん?」

「そのあとだ」

「ミシェルが男勝りで」

「その後!」

「どうした?」

「いいから!」

 必死の形相のジョーを訝しく思いながらもアチソンは考えて、

「ああ、何だったかな。そうだ。英雄の名前なんて貰うもんじゃないな、って言ったんだった」

「英雄の名前を貰う……そうか、そうだよな」

 ジョーの顔が今度は見る見る赤くなる。

「そうだ、それに決ってる!チクショウ!」

 ジョーが珍しく口汚く叫ぶ。

「おい、直ぐに移動するぞ。『ケイト』!本部に通告。緊急渡航要請。最優先でBC四世紀中期への移動を許可願う、最優先を強調しろよ」

 紀元一年を超え、BCへ行くにはたとえ全権委任されたとはいえ許可がいる。誰もその先の過去へ超えることが出来ない時空の壁、年紀限界があるからだ。自身のピッカー『ケイト』に指示したジョーの額に汗が流れる。

「どうしたんだ」

 アチソンが肩を叩く。

「私が馬鹿だった。こんな明白なことを何で今まで気付かなかったんだ?事象をそのまま受け入れるなんてどうかしている。鍵は彼と彼女の父親なのに」

「それは分かるけど。エリザベスの復讐の根源は父親で」

「そうじゃない!」

 ミシェルの声を振り払うように一歩進んだジョーは、一転、静かな声で、

「今まで狙われたのはメフメトの子孫スレイマン、ピピンの子シャルルマーニュ、そしてダヴーやネイのボス、ナポレオン」

「一体何を……」

 ジョーは完全に一人の世界に入り、

「では、テイト一家はどうだった?エリザベスに操られた執事に排除された長男ファヴリ。次男エルヴィン。三男のクロード」

 ジョーの顔が悔しさに歪む。

「殺された三人のフルネームを言ってみろ、キャシー!」

「え?……ファヴリ・S・テイト三世、エルヴィン・S・テイト二世、クロード・N・テイト三世」

「ミドルネームを省略せずに!」

「……あ!ああ……」

 キャシーの顔も見る見る蒼褪めて行く。ミシェルの目も見開かれ、我知らずに呟いた。

「そうか!ファヴリ・スレイマン・テイト三世、エルヴィン・シャルルマーニュ・テイト二世、クロード・ナポレオン・テイト三世!」

「彼女の父親の名前は?」

 鋭い目線で問うジョーの顔を見つめたまま凍り付くキャシーは何も言えなくなる。代わってミシェルが、

「……オレグ・A・テイト三世」

「ミドルネーム!」

「アレクサンダー……」

 ジョーの形相は既に鬼のようだった。

「では、カチンスキーの父親の名前を誰か考えたことがあるか?」

 資料を探る一瞬の間。そして。

「クルト・アレクサンドル・カチンスキー!」

 キャシーが悔しそうに答える。

「そう。調べれば出てくると思うが、多分、DRカチンスキーは父親を憎悪していたと想像する。だが、そんなことは後で調べればいい。ケイト!許可はまだか!」

 ジョーのピッカー、ケイトがおろおろと、

「もう直ぐだと……了解!受領しました。ジョー!許可された!」

「直ぐにBCのレーダー少佐に連絡しろ。皆、いくぞ!」

 見廻すジョーは真剣そのもの、誰もが戦闘モードに入ったのを理解する。

「もう一刻も無駄には出来ない」



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