Episode30;惨劇の痕
§虚数域(亜空間) 2369年5月(現在年月)
亜空間遭難救助隊はTPの情報部と作戦部それぞれのエージェントを乗せると、マシンから分離された虚数域探査艇『BIINR』で指定領域へ急行した。大体の位置を特定しさえすれば、それは直ぐに判別出来た。
虚数域はアインシュタインの相対性理論礼賛の時期を経て、二十四世紀では簡単に、現存宇宙と背中合わせに存在する影の存在で、実態する物事の裏側にあり普段は一切認識されることはない、と説明される。そのため亜空間と呼ばれるが、一般では四次元と混同されている。
そこは時間や距離の尺度を無意味なものとし、実体あるものの常識は通用しない。ある特定のポイントは同期性の乱れなどの理由により亜空間では常に不規則な移動をする。しばし嵐の大海原に漂う椰子の実に例えられる。従って3D座標でポイントを特定することは不可能だった。
しかし、実体化因子を装備し識別子を持つモノは別。闇夜に彷徨う蛍火のごとく、それは虚数の宇宙でぽつりと輝いている。識別子は固有のシグナルを発してこの宇宙で存在を誇示する。隠れたい者は別だろうが、これはいざと言う時に己の存在を実体あるものにも示し、いわば命綱の役割を果たした。
その『実体存在』は巨大だった。もちろん虚数の宇宙では芥子粒ほどもない。しかしそこに識別子の微弱なシグナルがあれば発見は容易だった。
「シグナルは?」
「非常に微弱だ。読み取るのに一苦労したぞ。五分前の情報は、X537コンマ23、Y422コンマ19、Z116コンマ87。Tは398コンマ07、S、0コンマ719だ」
救助隊員の会話に情報部エージェントが割り込む。
「間違いなくタイプ21か?」
救助隊のリーダーは、縦に首を振る。
「残念だが21に他ならない」
それは周囲に散らばる識別子より少しだけ輝いている点に過ぎない。しかし、虚数域・亜空間で分子以下のガス状気体となり漂うことに慣れた亜空間ダイバーには一等星と月の違いほどに思えた。花に吸い寄せられる蜜蜂のように、探査艇を離れた救助隊のダイバーたちはそのポイントへ泳いで行く。
「でかいぞ!」
「当たり前だ。古代の城館一つが消飛んだんだ」
やがて、彼等の目前に赤く輝くガス状の雲が立ちはだかる。
「どうやらガス化はしていないようだ」
「ああ、しっかりと原型を留めている」
「偵察」
「了解」
一人が視覚と聴覚のみを実体化して、『ガス』の中を探る。
「ひでえ!」
二分後に視覚と聴覚を虚数へ戻したそのダイバーは吐き気を堪えている。一瞬の間の後、救助隊の五名とエージェント二名は一斉に実体化、巨大なオリジナルへ突入する。
そこは境界である低い石垣ごとそっくり亜空間に飛ばされた城館。既に廃墟のように見える。七人は次々に目の前に開いていた木戸から館に入った。
§フランク王国アクィタニア地方 ロアール川中流域 762年10月(到達年月)2369年5月(現在年月) 2日後
マシンから見下ろす地上は一箇所を除いてはのどかな田園風景だった。
大穴が開いていた。それは月のクレーターに似ていなくもない。但し月のクレーターはこんなに禍々しくはない、とマリアは思った。森と小川の間に地面に対し直角に十メートルほど開いた穴。全くの真円で、穴の底には縁から零れ落ちた木や岩が溜まっている。
のどかな風景は霞掛かっているように見えるが、空は快晴だった。彼女は自分が涙を流していることにすら気付いていなかった。
「もう、いいかな」
情報部のエージェントが声をかける。
「もう少しだけ、いいですか」
振り返りもしない彼女にエージェントはそれ以上かける声もなかった。
「ご苦労さまでした。急に申し訳なかったですね」
作戦部のエージェントがいいえと被りを振る。
「報告はまず口頭で頂きましょう」
ジョーの声には疲れが滲む。移動中のマシンで一睡も出来なかったのは何もマリアだけではなかった。作戦部と情報部のエージェントはつい今し方虚数域から戻って来たばかりだ。そういうジョーたちも十数分前に修正時間を終え、到着したばかりだった。
マシンは第一報を受け二十四世紀から急行した。この後続々とやって来るであろう捜査員から騒ぐだけの上司まで、様々な連中のためにも正確な情報を得なくてはならない。ジョーは擬似スクリーンに張り付くマリアの後姿を見遣りながら
「正確に何があったのか、分かりましたか?」
電脳の秘話で会話を続ける。
「詳しくは画像や文字情報を見て頂ければ。今は簡単に言います」
「どうぞ」
情報部エージェントの語る話はジョーの想像を超えていた。
八世紀の田園から『アイスクリームスクープ』で亜空間へ吹き飛ばされた城館は、境界線から内側に実体化因子が散布され原型を留めていたものの、外壁が焼け焦げ、内部も殆どが焼失していた。
外にいたと思われる二人の作戦課医療班の看護師は直ぐに発見された。
一人は城館の表扉に、まるでキリストの磔刑をカリカチュアにしたような格好で打ち付けられていた。その目は抉られ、腹が切り裂かれ、内臓が散乱していた。
もう一人は城館の裏庭に左側を上にして横たわっていた。発見した救助隊員が助け起そうとその身体に手を掛けたが、直ぐに止めて静かに元へ戻した。小柄な彼の身体は右半身がそっくりなくなっていた。
元の住人だった領主とその家来、使用人たちは領主の寝室に集められていた。それは既に人間の形をしていなかった。どの遺体もバラバラで、刃物ではなく強い力で引き千切られた形跡がありありと分かる。状況から館の様々な場所で襲われ殺害され、一箇所に集められたものだと分かった。
この領主の寝室ともう一箇所、一階の食堂が焼けていなかった。焼けなかった二箇所に共通するのは壁と天井が黒くペイントされ、赤い帯が描かれていたこと。
そしてその食堂でマーチンとファルケが発見された。正確にはマーチンとファルケの一部が。
「領主が食事をしたであろう大テーブルの上、ピッカー21型の緊急バッテリーと識別子を組み込んだ認識装置が置いてありました。本体から乱暴に引き千切られて不器用に連結されて……送信感度はミニマム。それで捜索隊が苦労したのです。残りのピッカーの残骸は床に散らばっていました。そして……彼については見て頂いたほうが」
それまで敢えて画像情報を参照していなかったジョーが、エージェントの気持ちを察して送られて来たファイルを開く。ジョーの顔色は変わることはなかったが、
「なるほどね」
思わず発声したことに彼の気持ちが現われていた。
「ご覧の通り彼の遺体は判別不能なほど損壊されていますが、特に頭部は損壊が激しく、引き剥がされた顔は発見出来ませんでした。電脳とナマの脳も物理的に破壊されていますので、記憶野の初期検索ではノイズしか拾えません。高研が何とかしてくれることを祈ります。テーブルに置かれた彼の電脳の前に書かれていた血文字ですが、読み取れましたか?」
「Bugger off !(失せろ)」
「そうです」
「警告と言う訳だな」
「でしょうね。マーチン捜査官、そしてザウレスク、ホセ・サンチェス二名の看護師の遺体、そしてピッカー『ファルケ』の残骸は救助隊が回収し、既に二十四世紀へ送還中です」
「本当にご苦労様でした。ここで少し休んでから帰るといい」
「ありがとうございます、そうさせて頂きます」
作戦部のエージェントは情報部のエージェントに秘話で話すと、情報部の方はほっとしたようにこちらを向き、ジョーに会釈する。そして二人は自分たちのマシンへ移るべく後部の連結ハッチへ消えた。
ジョーは密かに吐息を吐くと、外の世界を俯瞰し続けるマリアの横に行く。人払いをしているので、先ほどのエージェント以外誰もいない。そのまま十数分。ジョーはマリアに一言も声を掛けず、マリアはジョーの存在に気付かない様子だった。
何かを言えばそれは全て言い訳に聞こえる。確かにこの結果を招いた責任はジョーにだけある訳ではない。だからと言って我関せずを決め込むのは責任者としてあるまじき行為。ジョーは結果を全て受け入れる覚悟でいた。
二十分が過ぎた頃。マリアがジョーの方を見る。
「申し訳ありませんでした」
マリアは深々と頭を下げる。ジョーは静かに被りを振ると、
「貴女のせいではない。全て私のせいだ」
ジョーもマリアに深々と頭を下げる。
「ジョシュたちの死は私に責任がある」
「どう償うおつもりですか?」
マリアはジョーの方を見ずに下界を眺めたままだ。
「責任の取り方は様々だ。今、チームリーダーを降りることもその一つだし、TPを去ることも考えられる。しかし、許して貰えるのなら……それはエリザベスを逮捕してからにしたい。今はこの犯罪を食い止めることに専念したい」
ジョーは苦悩の表情でそう告げた。その時はそう答えるのが当然だ、と思っていた。TPに属する者として、過去から時間犯罪を取り締まるという未来人の目論見に参加する者として当然の応答だと。
後知恵で言うのなら、彼は若く、そして……間違っていた。
マリアは力なくうなだれる。そして何も言わずに後部ハッチへ消えた。込み上げた胆汁のような敗北感の苦い思いが思わぬ震えとなって全身を駆け抜ける。ジョーはただマリアの消えた後部ハッチを見遣るばかりだった。
彼は彼女ともう一度見えることになるが、それは五年先のことだった。
§南米連邦・ブラジル マナウス州 TP本部 2369年5月(四十二時間後)
現世紀時間深夜ということもあったが、マシンから降りるジョーはいつになく静かだった。彼は整備班長のヘンケ老にちらっと目配せしただけで、さっさと迎えのホバー車に飛び乗る。いつもは真っ先に駆け付ける整備課のニーも今日は隅で大人しくしていて、走り去るホバーに悲しそうな視線を送るだけだった。
「お帰り、ジョー」
「わざわざお迎えありがとうございます」
ホバーを運転しているのは初老の男。階級章のない作戦部の作業上着を着ているが、その下に上級管理職の制服が覗く。制定されて一年、何と古風な、と馬鹿にして身に付けない者も多い濃紺のネクタイをきちんと締めていた。
「色々気疲れも多いだろうと思って、出迎えに出たがった連中は抑えた」
「そいつはどうも」
ジョーの心在らずという感じに男は、
「なんだなんだ!随分ダメージを受けた様子だな?」
「まあ、一気に三人も失いましたからね。先月TCに撃たれて殉職した十九世紀の巡回警備班員と、最初に『スクープ』を喰らって亜空間にけ飛ばされて行方不明になった十一世紀常駐員。合わせて五名の損失。こいつはTP始まって以来でしょう?」
オートパイロットではなくマニュアルで運転する男は首を振ると、
「確かにそういう見方もあるがね。全て自分に帰結するように考えるのはどうかな?」
「いや、オヤジ。自分のせいだよ」
ジョーは真っ直ぐに育ての親の横顔を見る。
「ほう。ここまでぺしゃんこなお前を見るのは何年振りかな?十五の年、特訓したのに三回勝負で一回しか勝てなかった体育指導教官とのジュードー対決以来じゃないか?」
運転するジョーの義父、セシル・ウォーカーTP副長官は苦笑を滲ませていた。
「この後、諮問会となるが、覚悟は出来ているな」
「当然だよ。煮るなり焼くなりどうにでも、という気持ちさ」
再びセシルは苦笑すると、突然ジョーのわき腹に弱い肘鉄をくれる。
「おい。私はまだお前を失う訳にはいかない。こんなことで戦意喪失するんじゃないぞ。反省すべき点があるなら反省し、泣くのなら全て片を付けてから泣け。一旦引き受けたのなら投げやりになるな、しゃんとしろ」
ジョーはその声に、TP作戦部に入った頃を思い出す。あの頃もオヤジはこうして私を励ましてくれた。ジョーは唇を噛み締め、込み上げたものを押し殺す。
「わかった」
頷くセシルは前を向いたままで、近付く本部の会議棟を顎で示す。
「いいか、この先一時間、じっと耐えていろよ。話すのは私が許可してからだ。組織政治は全て私に任せろ」
翌日朝。持ち場を離れることが可能な全職員が発着場に集合する。五万に及ぶ全職員の内、本部勤務と本部に待機していたり立ち寄ったりしていた人員一万五千名を集めて訓辞をするのに、広大な発着場は便利だった。
三名の棺をここへ持ち込み追悼式にしようという動きもあった。しかしそれに対して副長官が、死者を悼むのは構わないが犠牲を神聖化して戦意を煽るのは止めろ、と一喝して止めさせていた。
長官の訓示は三人の冥福を祈る所から始まった。全ての職員が自分の信じる神に祈ろう、神を信じない者は彼らの最期を悼むように。因果律を否定し更には神の存在にも否定的と噂される組織の長としては異例なことだったが、長官はそう言うと膝を折り、手を組んで目を閉じた。そこに居合わせた者、そして中継でその様子を見ていた各世紀の常駐隊員から月にある連絡事務所に至るまで、全ての職員が彼らの冥福を祈った。
その後、長官はTPの誇りと存在を掛けてこの事件を解決しよう、そのために最高の人員がこれに対処するだろう、この件に携わらない者も出来うる限りの支援をお願いする、と言った。そして、もう一度祈ろう、と膝を折る。皆が俯いて弔意を示した時、祈りの列から密かに抜けた者がいたが、誰も気付かなかった。
次に副長官が事の顛末を報告し、不始末を詫び、過ちは事件解決で晴らす、と力強く締め括った。
昨日の会議で、プロジェクトのリーダーとして今後も指揮を執る代わりに事件解決後に謹慎、という処分が決ったジョーは、お歴々と並んで壇上隅に神妙に立っていた。彼は長官と義父の話中、ずっとマリアの姿を探していた。しかし彼女の姿はどこにも見当たらなかった。
胸騒ぎがした。集会が散会すると、走路はたちまち普段の賑やかさを取り戻しマシンの発着が始まる。そんな中、ジョーはマリアを探した。走路を隅々まで探し、情報部を探し、作戦部を探す。常駐隊のレクリエーション施設や機動執行班の待機所、食堂から、遂に彼女の家とマーチンの家まで。その何処にも彼女はいなかった。
その日、マリアはTPから出奔した。
※虚数域・亜空間について
物理・科学に造詣が深い読者諸氏には真に申し訳ございませんが、これらは作者の創作であり既存物理学を頭から無視しております。あしからず。