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Episode27;魔薬

 

 §南米連邦・ブラジル マナウス州 TP本部 2369年5月 


 会議は終盤に差し掛かった。

「では、容疑者エリザベスについて」

 マリアが頷いて話し出す。

「情報部の総力を結集して調べた結果を報告します。前回説明しましたように、どうも私たちは最初、見当違いの方向を当たっていたようで」

 マリアは擬似窓に二名の女性を映し出す。時代は別々で、片や肖像画、もう一名は3D画像だった。

「リチャーズ捜査官始めとする機動捜査の方々の尋問と容疑者の電脳精査、精神鑑定から、TC容疑で逮捕したジョゼ・ミヒリ・カシム容疑者の語った内容は全て真実であると確定されています。これを基に情報部は最初、現代人のエリザベス・コータを探りました。マシンの黎明期、人類が最初に過去へと旅立つ数年前から現在まで存在していたエリザベス・コータなる人物を。しかし、今ではそれは誤りであった、と申し上げてよいと思われます。次に史上存在したエリザベス・コータの名を持つ人物全てを調べました。随分時間が掛かってしまい申し訳ありません。最終的にライブラリからこの二名に絞り込みました。」

 擬似窓に映る一人の女性がアップとなる。

「先ずは彼女、エリザベス・コータ。1634年生まれ。イングランド・サセックス出身。男爵家の長女で、許婚の従兄、スチーブンス・コータと結婚。子供は二人。三十一歳の時にペストで死亡したとされています。夫のコータ伯爵は彼女に先立つこと十年前、1655年に死去しますが、その広大なノーフォークの領地と莫大な財宝が残され、子供がまだ幼かったために彼女は実際の女主人としてコータ家を切り盛りして行きます。親戚筋からの圧力は色々とあったようですが、彼女自身が勝気で大胆な性格だったせいでしょうか、妨害を排して上手に領地を運営、領民からはかなり慕われていたようです。反面、身内には残忍な顔も見せ、小間使と召使の失態には彼らの背中が赤切れるまで自ら鞭を振るったようです」

「どうして彼女が怪しいと?」

「こちらをご覧下さい」

 ジョーの問い掛けにマリアは擬似窓を操作して答える。

「この3D映像は1659年のものです。実際はこの真中に見える蝋燭の灯りだけですが、全体像が分かる程度に感度を上げました」

 黒一色に塗装された牢獄のような部屋。いや、牢獄と呼ぶにはかなり広い。黒いローブと頭巾を被った四人の人間が辛うじて見える。一人が何かの呪文めいた言葉を暗誦し、残りの三名は部屋の中心で堂々巡りをしている。

「この祭主役がエリザベスで、他の三名は彼女の近習です。真中に全裸で仰向けに寝ているのは領地から攫った娘です」

 やがて堂々巡りをしていた三名がローブから短剣を取り出す。鈍い光に刃を煌めかせ振り上げると、エリザベスの呪文の声がヒステリックに高まり、やがて。

「済みません、残酷なシーンを断りもなしに」

 マリアの声はあくまで冷静で、取り乱した様子は全くない。カチンスキーの城塞で蒼い顔をしていたのを見ているので、この違いはなんだろう、とジョーは思った。

「ひでえな」

 アチソンの声は遠時代通信による音声の歪みで、妙に平板に聞こえる。

「まさかカニバリズム、とはね」

 ミシェルの声も同じく感情に乏しく聞こえるが、忌々しげに首を振る仕草に彼女の嫌悪感が示された。

 四つの黒い獣が一つの白い獲物を分け合い、肉を切り刻む音が響き、クチャクチャという音、ズズッと啜る音が続く。マリアはそこで擬似窓を閉じる。

「この行状については、領民はもちろん親戚筋にも知られることはありませんでした。この催物はほぼ一ヶ月に一度の割合で屋敷の地下室で行なわれ、生贄は領地から攫われた生娘と決っていました。彼女がペストに倒れる前月まで続いています」

「何時からだい?」

 ジョーも平静だった。

「夫の死後、半年後からです。最初は黒魔術の聖餐式の真似事でしたが、次第にこの有様になりました」

「しかし、今回の犯人としては状況証拠に過ぎないが」

 リチャーズが疑問を呈すると、

「彼女の死体がありません」

「墓所に、か?」

「ええ。当時は黒死病ペストが大流行していて、彼女も感染し倒れました。感染後一週間で死亡、遺体は葬儀も執り行わずに急いで墓所へ埋葬されました。あくまで記録上ですが」

「では、彼女は何者かによって死んだものと偽装された、そういうことだね?」

 マリアは頷くと、

「それだけでなく、死んだとされる数年前、彼女は未来に来訪した形跡があります」

「ほう」

「誰かが彼女を未来に招待したことは確かです。1662年の七月に一日、同年紀に彼女の痕跡がありません」

「しかし彼女が何処の時代を訪問したかは不明、と」

「誠意調査中です」

 咳払いと身動ぎする音が広がる。

「分かった。もう一人は?」

 ジョーが促すとマリアは、

「エリザベス・コータ。2076から2112。合衆国時代の北米、ワシントン生まれ。富豪の家に産まれた彼女はCO2戦争下でも何の不自由もなく育ち、二十一歳でイングランドの貴族、ジェイムス・コータと結婚。子供はありません。そのままイングランドで暮らし、三十六歳の年に行方不明。中東旅行中、反応炉機ニュークリアジェットがネジド砂漠に墜落しました。遺体は結局発見されていません。機体が爆発し跡形もなかったようです」

 そこで口を閉じたマリアに、

「それだけ?」

 ジョーの問いに彼女は肩を竦め、

「経歴的には」

「でも、疑われる」

「ええ。これは偶然かも知れませんが、実は彼女の夫は前のエリザベスの末裔です」

「へえ。では夫も結構な趣味を遺伝されていた、とか?」

「そういう形跡はありません。男色というだけです」

「男色なのに女と結婚?」

「もちろん当時も同性の結婚は許され一般化していますが、何せ貴族ですから見栄えだけでも整えたのでしょう。彼女の死後、夫は弟の次男を養子に迎えています」

「なるほどね。かわいそうなリズ、と言ったところか」

 リチャーズはこんな話の何処がおかしいのか笑いを噛み殺している。

「彼女の悲惨さはこんなものではありません」

 マリアは擬似窓の映像をエリザベス最期の地である中東の砂漠から、暗闇に閉ざされた地下室に変える。それは先ほどの陰惨な光景に似た場所で、見ていた全員が再び起こるであろう惨劇に備え無意識に身構えた。しかし、そこに映し出されたのは先ほどの人非人の行いとはまた別の行為。

 時代が四百五十年ほど違うとは思えない雰囲気の中、そこで繰り広げられたのは同じ生贄の行為でも淫靡さ漂うものだった。

 暗闇に浮かぶ白い肌。苦しげに蠢く肢体。額に汗を浮べた髭面の男。袖を捲り上げた腕に浮かぶのは複雑な紋様のタトゥ。そして白く薄い太腿に彫り込む男の白い指。

 映像は飛んで、初老の男が背の高い椅子に座ってブランデーグラスを揺らす場面。男は目の前に立つ全裸の女を眺めている。尖った顎と鋭い目が揺れる。若い女は痛々しいほど痩せていて、腰骨が突き出し、肋骨が浮いている。その印象からミシェルは四百年ほど前の北欧の画家の絵を思い出していた。確か伯父に連れられて行ったオルセーに飾ってあった陰気な絵画で、重苦しいタッチと色彩が渦を巻き、その中で少女が目を見開いて……そこでミシェルはハッとする。あろうことか会議中に居眠りをしていた。擬似窓を見つめながら意識が飛んでいたのだった。

 映像はまだ続きそうだったが、マリアはその場に漂う嫌悪感を察して停止させた。

「彼女の父、オレグ・A・テイトは当時のアメリカでも指折の富豪でした。エリザベスが刺青を施されたのは十二の歳です。彼女は実の父親により陵辱され、その関係は成人直後まで続きました――」

 ジョーは疲労も相まって何処か遠くから聞こえてくるようなマリアの報告を内心忌々しく聞いていた。時間犯罪を取り締まることを目的にするため、致し方ないとはいえ、こうした捜査は過去を覗き見する行為には違いない。マシンが開発され過去を容易に観照することが可能となり、歴史学に想像の余地がなくなって久しい。英雄の悪癖や知られざる一面、闇に葬られた歴史の汚点が全て白日の下に晒され明るみにされる。世界協約機構コクレンが歴史改変を極悪犯罪と決定したと同時に過去への往来を制限した理由の一つが、こうした過去の人々の知られざる暗黒面を広く世間に暴露してしまうからだ。

 反面、TPの捜査員やアナリストたちは、こうした歴史の暗部をひたすら見続けなくてはならない。それは通常の人としては耐え切れぬ部分もあり、TPの全職員は定期的にメンタルチェックを受けることが定められているし、精神に異常を来たした例も二、三に留まらない。鍛えられているとはいえ人のダークサイドを見つめ続けることは、ジョーですら限界を感じる時もある。

 そんな感慨を抱きつつ、ジョーは報告をぼんやりと聞き流していた。彼は予め報告の内容を知っている。マリアやリチャーズに質問したのは会議のリズムを作る行為に過ぎない。やがて感情を込めないマリアの報告も終りへ向う。

「解析課としては後者のエリザベス・コータ、旧姓テイトが怪しいと睨んでおります」

「その理由は?」

 捜査員の一人が尋ねるが、ジョーが割り込み、

「その後は私が話そう」

 ジョーはマリアに頷いてから立ち上がると、テーブルの前を行き来し始める。

「例のカシム容疑者が語った『向精神薬』の件が絡んで来る」

「例のカシムって野郎の血と小便からは何も出なかったんだろう?」

 アチソンが聞くと、

「血液と尿からはね。しかしその後の解析で、脳から面白い物質が発見された」

「面白い?」

「一種類ではない、どれも微量だけどね。コラニン、テオブロミン、ミリスチン、アルファピロン、他にもあるが……」

「アルカロイドね。どれも幻覚や興奮作用に関係する物質だけど」

 今日は随分と大人しいキャシーがぽつりと言う。

「その通り。でも何かおかしくはないかな?」

「血液検査や尿検査では発見されず、脳内細胞に浸透していた、そのこと?」

「そうだ。これが意味するものは、カシムが古風な媚薬をやっていたということだ」

「媚薬だって?」

「カシムの供述にあっただろう?麻薬中毒者のような証言だったので、てっきり麻薬や電脳ドラッグだと考えていたんだ。結果はもっと単純だった。二百年ほど前に密かに流通していた脳浸透性媚薬さ。こいつは電脳支配下でも精神を高揚させ、処方によっては幻覚を見せ精神操縦することも可能だ」

 ミシェルが呆れて声を出す。

「では何?二十一世紀あたりの怪しげなクスリがTCの間に広まって、それが今の有様ってわけ?」

「そうさ。最終的に構成物質からどんな薬か特定された。中毒者ジャックの間では『ワイルドローゼズ』と呼ばれているらしい。額や首筋に直接塗り込むゲルタイプだそうだ。電脳を接続状態にしたままで効果が現われる自然由来の麻薬はこれしかない。普通、現代の麻薬は電脳に直接働きかけるナノマシンのスタイルか電脳カットで使用する自然由来品だからね」

「それを使ってTCを操っていると?」

 ミシェルは呆れたまま首を振っている。

「そう推定される。この五日ほどの間、各世紀で逮捕され収監されたTC全てに脳組織の調査を掛けたが、ほぼ六十%の容疑者から同じ構成物質が検知された。特に皆さんの十九、十五、八の各世紀は九十%に近い」

「でも、これがどうして二十二世紀のエリザベス・コータの仕業と断定できるの?」

 キャシーが立ち止ったジョーの顔を見つめながら言う。

「それはね、キャシー。彼女の父親だよ」

「え?」

「そもそも、テイト一族は何によって財を成したのか?」

 皆が一斉に電脳からネットライブラリに接続し情報を引き出す数秒、ジョーは天井を睨む。

「何と!」

「製薬会社か!」

「なるほど」

 様々な反応を眺め、その意味が浸透するまでジョーは動かない。やがてミシェルが、

「株の売買だけでなく、当時も本業の製薬会社を支配していた、そういうことね」

「口は出さなかったらしいがね。しかし、裏でも色々とご活躍の会社だったようだよ。当時の人間は知る由もなかったろうが」

 テイト製薬は二十二世紀当初、世界の製薬業界売り上げ二位を誇った企業だが、二十四世紀の現在では既にない。医療の進化がパッチや自己浸透性薬剤を始めとするナノマシン医療へ向い、本来的な意味での薬を要さなくなって百年が過ぎようとしていた。

「テイト製薬は痛みの撲滅を掲げ、麻酔やモルヒネ系の麻薬に頼らない鎮痛薬や痛覚麻痺剤を開発していたんだ。その余禄で特定の顧客のために媚薬を製造していたというんだな」

「それをエリザベスが?」

 ジョーは神妙な顔で頷く。

「どうもとんでもない父親から譲り受けたらしいな、ストックを」

 ジョーは自分の席の前に来るとテーブルに両手を置き、

「電脳が規制なしで無制限に導入され一般化したのは2220年代。当時は現在では許されない五感の恣意的なカットや本人の意思でのオン・オフが許されていたのは知っているだろう?そういう状態では媚薬など何の意味もない。しかし、現在のように制御チップを埋め込まれ、勝手に五感を操れない状態では、このクスリは威力を発揮するんだな。特に幻覚を操作し電脳を汚染する因子を同時に刷り込めば電脳支配も可能となる」

「で、今、その女は何処にいるんだ?」

 アチソンの問いにジョーは無言で首を横へ振る。

「くそったれが!」

 悪態を吐くアチソンにジョーは、

「何処にいるのかは分からない。しかし何とかして捕まえなくてはならない」

ジョーの声に力強さが戻って来ていた。


 会議の終了後、二十四世紀の本部会議室を出ようとしたマーチンをジョーが呼び止める。

「ああ、ジョシュ、ちょっと」

「何ですか?ボス」

 気安く呼び止めたジョーは世間話をするようにさりげなく、

「ジョシュは確か、作戦Bクラス任担の資格があったよね?」

「私ですか?ええ、まあ、荒事にも慣れておこうと思いまして」

「そいつはいいね」

 ジョーは肩に手を回すと、

「その腕を見込んで頼みがあるんだ。ちょっと遠出をしてみないか?」


 ヒソヒソ話をするマーチンとジョーを見遣るマリアの目が細められていた。




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