プロローグ/TPサイド・A
§主な登場人物
(登場順/歴史上実在の人物はエピローグの「あとがき」へどうぞ)
ミシェル・F・フォッシュ
TP作戦部大尉。29歳。21世紀・フランス出身の金髪美人。
『フレンチドール』。
キャシー・スコウフィールド
TP作戦部大尉。年齢不詳。生まれつきの障碍で子供のように
見える。『人形遣い』。
アチソン・“アパッチ”・ベーカー
TP作戦部少佐。48歳。22世紀・スラム出身の作戦部教官。『アパッチ』。
スチュワート
TP補給支援部長。『スチュ』。
オレグ・A・テイト三世
22世紀アメリカの大富豪。
ジャン
オレグの執事。
ファヴリ、エルヴィン、クロード
オレグの息子たち。
エリザベス・コータ(テイト)
30代半ば。オレグの娘。
ジョージ・ウォーカー
TP大尉。19歳。18世紀出身。副長官直属の士官。
『ジョー』。
ヘンケ
ジョーの整備班長。
ニー
TP整備班の名物娘。『ピッカー』の整備第一人者。13歳。
フリント
キャシーのピッカー(高機能思考端末・ロボット)。海賊の姿
をしている。
バート・ニコルスキ
TP作戦部長。『ニック』。
グレン・リチャーズ
TP作戦部機動捜査課捜査官。30歳。20世紀アメリカ出身。
マリア・ウエハラ
TP情報部の分析官。
ジョシュア・マーチン
TP情報部調査課の捜査官。『ジョシュ』。
グレイ
世界警察機構北米支局の捜査官。
ノイエ・シギスムント・カチンスキー
時空間物理学者。45歳。
シンディ・クロックフィールド
TP作戦部大尉。25歳。23世紀出身。AD機動執行班班長。
『ブラックダイアモンド』。
ファルケ
マーチンのピッカー。中世の狩人の姿をしている。
ザウレスク
作戦部医療課の男性看護師。20世紀出身。
ホセ・サンチェス
作戦部医療課の男性看護師。
セシル・ウォーカー
TP副長官。ジョーの育ての親。
TP情報部分析官の少尉
彼はシンディの班に配属される。
レーダー少佐
TP作戦部機動執行班班長。20世紀ドイツ出身。
『ティーゲル・アイ』。
トラヴィス大尉、アナン大尉
TP作戦部機動執行班班長。
ケイト
ジョーのピッカー。
アリオス
TP作戦部の紀元前常駐員。時空の壁と呼ばれる渡航限界点に
常駐する。
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日本SF界でも一、二を争う
蟲惑的キャラクター「あしゅらおう」の創造主
『無冠の巨人』光瀬 龍氏に捧ぐ
§インド亜大陸・カピラヴァスツ BC436年2月(到達年月)2368年12月(現在年月)
ある日のこと。
カピラ城の王太子が王宮の東の門を出ると、そこに一人のやせ細った老人が蹲り、王族への感謝の言葉を呟いた。その言葉は掠れ震え、身体は萎びて小刻みに震えている。太子は想う。人は何故あのように衰え苦悩せねばならぬのか。
また、ある日。
太子が王宮の南の門を潜ると、瘧の熱に行き倒れた一人の男が哀れに手を差し伸べた。太子は御付の者に水と施しを与えるよう命じると黙考する。人は何故あのように病に苦しみ惨めに生きねばならぬのか。
更に、ある日。
太子が王宮の西の門を出ると、そこに死体があった。猛禽が屍肉を啄ばんだ後を引き受けた蝿が黒山となって集り、なんとも無残なものだった。御付が奴隷を呼び、不浄のものを始末するのを見遣りながら太子は憂いだ。人はいずれはあのように朽ち果てるものなのか。
太子は深く、深く黙考する。この世はなんと苦難に満ちたものなのだろう。無常に満ちたものなのだろう。人はこのような世にあってどうすれば救いを得ることが出来るのであろうか。
そして、ある日。
太子は王宮の北の門を出る。
門の外へと続く道の真中には、一人の男が待っていた。いわゆる出家沙門、日に晒され土色に褪せた黄色の衣を纏い、右手に黒い杖を、左手に托鉢の器を持っている。御付のものが駆け出し、その男を無礼者と退けようとするが、沙門は巌の如く動かない。それを見た太子は片手を挙げ、
「止めよ」
沙門は太子と認めると恭しく一礼し声高に告げる。
「太子。人は生を受けたがために病み、老い、死ぬ。定めとはいえ続く難儀に心休まる暇もない。それは天上真理を解さぬからだ。人は教えを垂れ導く者を欲している。太子。どうか我欲を捨て、我らと共に悟りの道へ進まれんことを」
太子は己の半生を想い、王宮の外、彼を仰ぎ見る人々の苦難を想い、その美しい顔の眉間に皺を寄せた。
するとその時。
光差す。
それは傾いた西日ではなく沙門の横、中空に裂かれた傷のような裂け目から差し込んだ黄金色の光だった。その裂け目からするりと影が躍り出る。それは瞬時に人型となったが不思議なことに、背景の荒涼とした大地に溶け込んでその輪郭すらはっきりとしない。と、その時、沙門は鉢を投げ出し、手にしていた黒い杖を構える。その杖の先からこれまた眩しい光が迸り人型に向かった。僅か十歩の距離、光は人型を射抜くかに思えたがその人型はなんとも機敏で、光は虚しく人型を掠め中空に消えた。
ほぼ同時に人型は沙門に向かって猛烈な勢いで突進し、沙門が構える間もなく飛び掛り押し倒す。太子も御付も声なく見守る中、人型と沙門は上になり下になり乾いた大地の土埃を巻き上げたが、やがて上になった人型が渾身の力で沙門の頬にフックを決めると、沙門は完全に伸びてしまう。
人型は立ち上がると、恭しく太子に向かって一礼する。
「お見苦しい所を。申し訳ありません、このことは忘れて頂く方がよろしいでしょう」
太子は目を剥く。声は女のものだったからだ。
すると更に太子たちが驚くことが起こる。気絶した沙門が倒れた格好のまま浮き上がる。太子と御付が思わず二歩下がる前、人型は伸びて宙に浮く沙門と共に光の枠へと入る。同時に瞬きをする間もなくその光の門が消えた。すると。
その光のあった場所の後ろに、いつの間にか男が一人立っていた。それも身なりは出家沙門で、我に返った御付二人が太子を庇うように前に出る。
当の沙門も驚愕の表情で呆然と突っ立っている。
「今のは一体……」
太子シッダールタと沙門は同時にそう呟き、互いを見つめあった。
§アラビア半島・メッカ 575年5月(到達年月)2368年12月(現在年月)
男の子は六歳。日干し煉瓦で組んだこの辺りでは大層立派な家の前で一人遊んでいた。幼くして両親を失い、今は厳しい伯父たちによって育てられている。
暑い一日で、まだ昼前だというのに中天の太陽は街路を焼き、街の人々は僅かな椰子の木陰や粗末な日除けの下へと避難して人っ子一人見えなかった。
そんな中。家の前、日除けの天幕が渡された軒下で乾いた地面に指で絵を描いていた男の子がふと顔を上げると、美しい灰色の猫を抱いた女性がこちらを見ているのに気付いた。炎天下、女は彼が気付くのを待っていたかのようで、
「坊や。暑いわね」
その言葉に男の子は思わず辺りを見回す。その柔らかい声が、何故かその女の口からではなく別の場所から聞こえたような気がしたからだ。
「暑いよ。いつものことだ」
男の子はハーシムの家名に恥じぬよう、と常日頃育ての親である伯父のアブーから厳しく躾けられていたので、どこぞの妾とも分からない女に尊大な態度を取ろうとした。しかし、その目は見たこともない美しい白銀色の滑らかな毛並みを持つ猫に停まる。その視線に女は微笑む。
「猫ね。あなたは猫が大好きだったわね」
女は優しく猫を撫でる。猫は気持ちよさそうに目を細めていた。その目は左右の色が違うオッドアイ。その辺にいる野良猫とは明らかに違っていた。
男の子は吸い寄せられるように二歩三歩と女へ、猫の方へ歩み寄る。
するとその時。
「クッ、貴様!」
突然女が口汚く罵るや猫を取り落とし、驚いた猫は粗末な家が立ち並ぶ下町の方へ一目散に消え去った。女は何かの舞を踊るかのように一回転、反対に半回転と身悶えし、腕がゆっくりと捩れて後ろ手に肩甲骨へ張り付いた。それは見えない誰かに腕を捩じ上げられ絡め取られた姿に他ならない。驚いた男の子が固まって見守るうち、女の体が中空に持ち上がり、文字通り足をばたばたさせて見えない力から身体を振り払おうとしたが無駄だった。すると突然女の上方に光の扉が現われる。じたばたした女はたちまちその扉に吸い寄せられ、身体が光に彩られたかと見えた瞬間、光と共に消失した。
同時に男の子は気付く。光の扉があった真下、砂漠の蜃気楼のように陽炎に揺らめく大男の姿。この暑さの中何かの外套を纏っているが、その服といい靴といい見たことがない異国風だった。男は子供の視線が自分に向けられているのに気付くと当惑したように動きを止める。すると男の姿は一瞬にして消え去った。しかし、男の子の驚愕はそれだけでは終わらない。消えた男の先、全く同じように陽炎揺らめく中、幻のように立ち姿が見える。今まで男の影になり見えなかったのだろう、それは自分より少しだけ背の高い少女のようだ。しかしその格好は先ほどの男よりずっと奇妙なもので、全身身にくっついた布で体の線も露わ、それだけでなく何故かその姿が時折後ろの風景に溶け込んで見える。
「だ、誰?」
男の子の声に奇妙な格好の少女は一瞬言葉に詰まったが、独り言のように
「驚いた……ナマで『フック』が見えたり私を見ることが出来るなんて。さすが預言者だわ」
感心したように呟く少女に男の子は恐る恐る声をかける。
「きみは、誰?」
すると少女は顔を紅潮させ慌てふためく。
「あ?わわ、私?あ、ああっと天の御使い、そう天使よ天使。いい、このことは忘れてね。君が大人になれば本物の、あ、あっと、いや、もっと凄い大天使ジブリールさんと会えるから。ね、君は選ばれた賢い子なんだから周りに気を付けて立派に成長するのよ、いいこと?」
確かに少女は口を開いて話していたが、男の子にはその言葉がどこかよそから流れているように聞こえた。それが猫の女と同じだったので、男の子は漸く好奇心より恐怖が上回りその場を逃げ出す。一目散に家の裏手の井戸まで駆けて行った。井戸の陰で身を縮め、そっと辺りを窺ったが少女が追って来た気配はない。ほっと安堵の溜息を吐くと、井戸の脇にある水瓶から柄杓で水を汲み、ごくごくと飲み干す。すると、
「ムハンマド様」
乳母の声がする。
「ああ、ムハンマドぼっちゃま、こちらにおいででしたか」
アブドゥッラーフの息子ムハンマドは濡れた口を袖で拭うと、
「ハディーシャ、あのね、僕、猫が欲しい」
不思議な出来事の中で、幼いムハンマドの頭には美しい白銀の毛並みだけが強調された。乳母は呆れて、
「猫なんかその辺にいくらでもいるじゃないですか」
「ううん、銀色のとてもきれいな猫がいい」
「そんなことを仰ると、旦那様に叱られてしまいますよ。さあ、お家に入りましょうね」
乳母が彼の手を引き、裏口から家に入ろうとする。諦めて乳母に従ったムハンマドだったが、何か得体の知れない視線を感じ、ふと振り返ると思わず目を見張った。銀色のあの猫がすぐそこにいてじっと彼を見つめているではないか。
「ほら、猫、あのネコ!」
ムハンマドが乳母の手を振り解き、猫の方へ一歩踏み出す。
「坊っちゃん!」
しかし乳母が振り返った時には、炎天下、揺らぐ熱気に沈む中庭だけが見え、そこにただムハンマドが一人、呆然と佇んでいるだけであった。




