王と奴隷
「だからと言ってクーデターなど!」
「クーデターではない。重税に反対する農民を煽ろうとしただけだ」
「だから! それを! クーデターと言うのよ!
はぁ……私や王子たちの立場を考えなかったの?」
「考えたさ! 考えたからこそだろう!
4公のバランスを整えるための政略結婚だったのに、結果はどうだ?
ミマガナラナ公家(国母の実家)ばかり優遇されているじゃないか」
「あの人(王)はマザコンなの!
王太后が永遠に生きているわけじゃない、いずれ息子たちの時代が来るのに」
ふと眩暈を覚えて寄り掛かった柱には木のぬくもりがなく、ここがどこなのか思い出した。
屠殺場だ。
飛び散った血糊がこびりつき、錆びた臭いがする。
いや、来る途中まで生臭さが鼻についていたが、いつの間にか意識から吹き飛んでいた。
窓から差し込む月明かりとオイルランプの光だけの薄暗い室内だが、古い血の歴史を感じる。
「……もういいわ、殺ってちょうだい」
近くに待機していた奴隷に指示する。
牛や豚を解体するガタイのいい男だ。
本来、王城の敷地内に奴隷は入れない。
しかし、屠殺のように人に忌み嫌われる作業に限っては特別に許可されている。
「っ?! 家族はどうなる?!」
10歳上の小太りのまたいとこが叫んだ。暗くても赤ら顔なのが分かる。血圧が高いのだろう。
彼の長女は成人したはず。夫人は……子爵の出か。
「『どうなる』も、何も?!
王家に牙向けて無事なわけないでしょう?!」
「くそっ」
実家から嫁入りと共に連れてきた侍女が1人、隣に。同じく実家から来た護衛が1人、こちらは隠し通路を見張っていた。
ガシャンと手枷が落下すると共に、又従兄は立て掛けてあった斧を奪い、私に向かってきた!
咄嗟のことに誰も対応できない。
普段なら専任の護衛騎士たちが細部まで安全点検するが、そんな大所帯で移動できない。王にバレてしまう。
辺りが薄暗かったのも理由だろう。
下手人の拘束が緩かったことに気付かなかった。
私がギュッと目を瞑った時、ドンッと突き飛ばされ、尻もちをついた。
ザシュッと肉が斬れる音と1拍の後、侍女が護衛を呼ぶ声。男が揉み合い、小屋が揺れる。
……気が付いた時には、小柄な、というより棒のような少女が倒れていた。血だまりに。
「アリアは働き者で」
メイドの言葉を受けて、私は横目に銀髪の少女が忙しく通り過ぎて行くのを見送った。
忌まわしい事件から3年経った。
あの現場には、もう1人清掃奴隷がいた。
14歳のアリアだった。
彼女が咄嗟に私を突き飛ばしてくれたお蔭で命拾いした。
翌朝、私が実家に送る荷物の中に、応急措置を終えたアリアを忍ばせた。宮廷医には見せられないから。
当時、出血量は凄まじかったものの、傷自体は浅く、内臓の損傷はなかった。
半年ほど治療とリハビリが必要で、背中に傷痕が残ってしまった。
それでも一命を取り留めたと聞いた時は、ホッとした。
この国──ステンブルでは、身分が買える。
と言っても、奴隷から平民になるだけだが。
私はアリアの身分を買い、遠戚の養子にして貴族教育を施し、王宮メイドに引き上げた。もちろん、怪我が治ってからだ。
クーデターに加担しようとした親族は、闇に葬った。
「ええ、そうね」
私の髪を結い上げるメイドのサラに言葉を返す。
王妃付きの使用人は皆、貴族なのでボブは珍しいが、未亡人になった時「再婚はしない」と緑の毛をバッサリ切ってしまった。サラは30代なのに。
(平均寿命は50なので若いわけではない)
アリアは文字の読み書きすらできなかったので、教育にはもっと時間がかかると思ったが、本人が熱心だったために短期間で応急的に上がってきた。
環境が一変しただろうが、元来健気な性格らしく、周りに馴染もうと努力している。
「私は反対ですよ」
「まだ言ってるの?」
廊下を進む。振り返らない。斜め後ろを付いてくる侍女に呆れる。
彼女は血だまりに倒れるアリアを見て、こう進言した。
「このまま死なせましょう。口封じにちょうどいい」
反乱を企てた又従兄を処分した直後のことだ。
また王宮に召し上げる時も、「前代未聞ですよ、奴隷を王妃付きにするなど」と諌めた。
しかし、私の前に命を投げうったアリアを、高く評価せざるを得ない。
魑魅魍魎の横行する貴族世界を生きる上で、自分のために命を盾にする人材は必要なのだ。
それを、この侍女──母方の従姉で6歳上のルーマは批判している。
「子供たちは?」
顔は整っているが甘さに加えて幼さを残しており、それは内面にも反映されているようだった。
彼は決して王として無能なわけではないが、甘かった。特に実母に対して。
身長は平均並みの175。
170の私は高いヒールを履かないよう気を付けていた。
焦げ茶の髪を後ろに撫で付けた夫は、揃いのワインカラーの衣装を着ている。
この色は私(侍女ルーマも同じだが)の髪に合わせており、公では同色を選ぶことが多い。
「乳母が寝かしつけている頃でしょう」
「そうか」
王族の控え室に入るなり夫が尋ねてきたのは、息子たちのことだった。
普通の男は社交辞令で「今宵も美しい」くらいは言うのに。
私がゆったりと彼の横に腰を下ろす。
「今夜は先に寝ててくれ」
「あら、またいつもの(悪友と飲んだくれるの)?」
「それもあるが……」
煮え切らない。
「どうしたというの?」
「来賓があるだろう」
「……ああ、バルサッスの」
バルサッスというのは、馬車で3か月以上もかかる遠い国、それも険しい山脈に分断された陸の孤島と呼ばれている場所で、これまで国交がなかった。
同じ大陸なので海を渡れば行き来できるが、大海賊時代である今、リスクを負って交易するメリットがなかった。
しかし、水質調査隊が偶然見つけた古代人が掘ったであろうトンネルが発見され今回、使者が来たのである。
陸の孤島だっただけあり独自文化が発展していて未知数の可能性があるため、どう接するべきか各国が頭を悩ませているのは事実である。
「そんなに深刻にならずとも、戦争に発展するわけではあるまいし」
トンネルを1度に通れるのは少人数なので、戦争となれば山岳を超えなければならない。
それは土台無理な話だ。
「だからこそ扱いが難しい」
私はフフッと笑って、彼の腕に左手を置いた。
「これまで通り、私が外交を、あなたが内政を。あなたは型通りの挨拶だけして。あとは私が」
「ああ……本当に君は頼もしい。アンジェリカと結婚して良かった」
ダルタニアンは私の手を取って口付けた。
私たちは、それなりに仲睦まじい夫婦だ。
政略結婚した夫婦をビジネスパートナーとするなら、合格ラインだろう。
ただ彼の言う「結婚して良かった」には、嫌味が含まれているということを忘れてはいけない。
学生時代に、彼の浮気相手である男爵令嬢を我が実家が粛清したことがあった。
いくら我が家が衰退したと言っても、公爵家が男爵家に舐められるわけにはいかない。
それは貴族社会全体に影響を及ぼしてしまうから。
このことがあって私たちの間に嫡男が生まれた時、夫は公で「側室も妾も持たない」と宣言した。
舞踏会が始まる。
私たちがファーストダンスを踊る。
先王夫妻は王位を夫へ譲ってから、夜会には出てこなくなった。
「アンジェリカ」
振り返るとサーティシニア公爵、つまり──
「お父様」
「どうなっている?」
白髪混じりの茶髪の父は体を曲げ、耳元で声を潜めた。
私のワイン色の髪は母譲りだ。
夫は秘書官シーザスと悪友たちのところへ行った。
「何がです?」
「『何が』だと?! 今日も入場はウチからだったぞ? 何のために結婚したんだ!」
王宮舞踏会の入場は、身分が低い順に入る。
つまり、4公爵のうち我がサーティシニア公爵家が1番格下であると言われたのだ。
本来なら王妃の実家なのだから、最後に呼ばれてもいいはずなのに。
「その話はここ(王宮)ではしない約束でしょう」
「しかし、身内の不満が日に日に」
クーデターを未然に防いだ後、主犯のメリアンヌ家を事故を装って燃やし、加担しようとした親族も闇に葬った。
今後、同じことが繰り返されぬよう血縁を要職から遠ざけた。
結果、更なる不満を生んだ。
「そもそも我がサーティシニア公爵家が衰退し始めたのは五代前からで、それを私が王族に嫁いだくらいで覆せると考える方が甘いのです」
私はキツイと言われるツリ目をさらに吊り上げた──と、視界の端にガンシャ大使が大柄な体躯を丸めているのが見えた。
バルサッス人は、白人ばかりのルーアシア大陸の中では比較的、浅黒い肌をしているので余計目立つ。
「失礼」
私は父を置いて、早足で現場に向かう。
「どうなさったのかしら?」
「~~で~~~から~~」
ゼージリカ伯爵は貿易で名を上げた人物。
数年前に疫病が流行った時、各地に寄付をした功績で試作から陞爵したばかり。
要するに彼はビジネスチャンスがあるかと期待してバルサッス国・大使ガンシャに近寄ったが、通訳が不充分でトラブルになったようだ。
「よろしければ客室へ、どうぞ」
バルサッス語は、バルサッスの隣国ヨージリンと言語が似ているので通じると思ったのだろう。
ガンシャと通訳、伯爵と私は客間へ赴き、しばし歓談した。
伯爵は誤解が解けたのち、「バルサッスと貿易しても利益は薄い」と判断して席を立ったが、私は未知の異国に興味を惹かれた。
「遅かったな」
寝室に入るとダルタニアンが不機嫌そうにベッドから声を掛けてきた。
「(そちらが)遅くなる予定ではなかったの?」
「誰かさんが途中で会場から消えたせいで、俺が対応しなければならなくなったんだ。夫婦のどちらもいないと困るだろ」
「ああ……」
ガンシャと話し込んでいて失念していた。
だいぶ東海であれば閉会の挨拶があれば、今回はそれほど規模が大きくないので自然解散でよく、さほど気にしていなかった。
「バルサッスは確かに遅れた部分もあるけれど、こちらにない文化や──きゃっ」
夫が私の腕を掴んでベッドへ引きずり込む。
「あんな南蛮の話なんぞ興味ない。外は君に任せる」
「んっ」
彼は、それから私を荒っぽく抱いた。
こういう機嫌の悪い時は、大人しくしているに限る。
長い夜も、いつかは終わるのだから。
王宮の囲いの外は林に繋がっている。
一応ここの城の敷地の範囲内だ。
王子らを連れてピクニックへ来た。
メインは木の実拾いなのだが、息子たちは落ち葉を集めたり小枝で戦ったり、と忙しい。
アリアたちが敷物の上に飲食をセットする。
太陽はちょうど真上にある。
「マーカス! ルーカス!」
子どもたちは呼んでも来ない。
横行貴族の子は五歳まで基本的に外に出さない。
死亡率が高いためだ。
理由は疫病だったり誘拐だったり。
王族の場合は毒を盛られることも多いので、城内が安全とも限らない。
それで2人は6歳と4歳なので、敷地内の林くらいはいいだろうとやって来た。
普段は庭や騎士の訓練場にしか出られないので、はしゃいでいる。
「息子たちを呼んできて」
「はい」
アリアは三つ編みにした長い銀髪を揺らしながら駆けて行った。
初め見た時は棒のようだった体も肉付きが良くなった。
ただ成長期に栄養不足だったせいか、身長は伸びず、平均165cmの国で150cmしかない。
私と20cmも差がある。まるで大人と子どもみたい。
そう思って笑ったが、一瞬、何か……その後ろ姿が誰かにかぶった気がした。
3人揃ってサンドイッチに手を伸ばす。
「母しゃま、木の実拾えた?」
「ええ、かなり集まったわ。できれば手伝って欲しかったわね」
「ごめんなさい」
上の子は夫の焦げ茶色の髪と私の紅の瞳を引き継ぎ、下の子は私のワインカラーの髪に夫の緑目を。
「いいわ。息抜きも必要でしょう」
彼らは、すでに王族としての英才教育が始まっている。
「そうですよ! 男の子は元気に外で遊ばないと!」
アリアが笑う。
大きくパッチリしたタレ目がちなピンクの目を細めた。
人目のない場所──私室やこういった場所では気軽に発言していいと許可しているので、使用人らはラフな雰囲気だ。
ただ1人、侍女のルーマ以外は。
「あなたたちも少し休憩しなさいな」
立ちっぱなしのメイドたちに声をかける。さすがに彼女たちも今はスカートではなく乗馬スタイルだ。
親子3人では食べきれない量の飲食物を分け与える。
「アンジェリカ様のお付きになれて幸せです」
サラが言うと、周囲が頷く。
「それは私のセリフよ。私こそ恵まれているわ。みんなありがとう」
これは本音だ。
公爵の出と言っても、1番力の弱いサーティシニア家では、あの取られろくな対応をされないかもしれないと思っていたが、みんなよく使ってくれている。
夫との仲も悪くない。
子どもたちにも順調に恵まれた。政略結婚にしては上々ではないだろうか。
「伏せて!!」
近衛兵が駆けてきて、私たちに覆い被さる。
あちこちで悲鳴が上がり、兵が抜刀する音がする。
私は子供たちのところへ這って行こうとしたが、上からがっちり押さえつけられていて、動けない。
獣の足と、飛び散る家が見える。
兵士たちの怒号。
静寂が訪れる。
「お怪我は?」
体が軽くなると同時に、岸に助け起こされる。
「……王子、王子!!」
私は心配する気持ちを横に、子供たちに駆け寄る。
2人ともぐったり横たわっており、服のあちこちが破れている。
「マーカス! ルーカス!」
「マーカスはともかく、ルーカスは4歳じゃないか!
それを外に出すなんて非常識だぞ!」
夫は机をドンと掌で叩く。
まるで宿題を忘れた生徒が教師に叱られているみたいだ。
王の執務室である。
結局、息子たちの怪我は大したことなかった。
兵士たちがきちんと対応したからだ。
「敷地内は毎日、騎士たちが見回りしているし、あの日も事前に確認していたわ。
突然、獣の群れが現れるなんておかしいじゃない」
「誰かが仕向けたと?」
「他に何が?
そもそもルーカスだって今まで2度、毒を盛られてるのよ? どこなら安全なの? 城の敷地の外?」
「…………裏の林には何しに?」
「ああ、菓子に入れる木の実を採りに行ったの」
「そんなの兵士に命じろ」
「そうじゃなくて。手作りの菓子を作ろうと、材料採りから自分たちで」
「は? 君が作るって? 冗談だろう?」
貴族女性は料理をしない。
家事は使用人の仕事だから。
「アリアが『子供たちと一緒に作ったら喜ぶだろう』って」
「アリアが?」
「え、ええ」
「……そうか。わかった。次から俺も行く」
「なんて?」
「兵士を増員して、狩猟も兼ねて行けばいい」
嘘でしょ、と言いかけてやめた。
機嫌を損ねると長くなる。
「陛下なんて?」
部屋に戻るなり、アリアが覗き込んできた。
もう成人(16歳以上)しているのに童顔で子供みたいだ。
「次からは一緒に行くそうよ」
「なんだ、よかった」
ホッと胸を撫で下ろす。
「なら一緒にお菓子作りましょう。王子たちも」
「え?」
「木の実、馬車に乗せてたから無事なんです。せっかくだから作りましょうよ」
「そうね」
私たちは王宮の厨房へ向かった。
寝室に向かうと、すでに夫はソファーでくつろぎながらワインを嗜んでいた。
風呂上がりで、まだ髪が濡れている。
「パウンドケーキはいかが」
「はあ? こんな時間に甘いもの?
俺を虫歯にしたいのか」
「……いえ別に、王子たちと一緒に作ったものだから」
「王子? 裏の林で採った木の実で?」
「ええ」
「3人で作ったのか?」
「まさか。シェフとアリアと一緒よ。私に料理の技術があるとでも?」
「そうか……いただこうか」
「え? ええ……」
私が奥に控えていたメイドに目配せすると、彼女がパウンドケーキを切り分け、主に差し出した。
「うん、初めてにしては悪くない」
「そう、良かった」
フッと肩の力が抜ける。
「また作ってくれ」
「ええ」
王妃が料理なんてするなと言われると思っていたのに……。
この引っ掛かりは日ごとに増えていった。
城の廊下で掃除婦が耳打ちし合っている。
私が通りかかると、見るなり青ざめて頭を下げる。
「? おはよう」
「お、おはようございます、王妃陛下」
料理長も、羊も、皆この調子である。
疑問に思っていると、メイドの1人が気遣わしげに進言した。
「大変申し上げにくいのですが」
「言ってちょうだい。朝礼に遅れてしまうわ」
「どうも、最近場内では陛下とアリアが密会しているという噂が」
「アリアと? まさか」
「私もまさかとは思うのですが……」
「だから言ったではありませんか」
侍女のルーマが口を挟む。
「考えられないわ」
私は首を振って話を打ち切った。
しかし、王女を欲しがっていた夫は、この夜から私を抱かなくなった。
「どういうことだ?」
「『どういうこと』とは?」
「アリアを解雇したことに決まってるだろう」
夫は手にあった資料を机に放り投げた。
王の執務室である。
2人の密会現場を見るまでは、騎士の報告を聞いても信じられなかった。
「ああ、王を絡め取るなど国家転覆罪で処してもいいところを、解雇で済ませたのだから、情けをかけてあげたのも当然でしょう」
「ふうん」
肘をつき、組んだ手に顎を乗せ、彼は冷めた目で私を見つめた。
「どういうこと?」
「『どういうこと』とは?」
「アリアを愛妾にすると宣言なさったことよ」
夫はすでに、側室も妾も取らないと公に宣言している。
王族が発言を覆すことの重さの意味を、知らないわけがない。
「君は身内がクーデターを起こそうとしたそうじゃないか」
一瞬、喉がヒュッとなりかけたが、ポーカーフェイスを貫けたのは王妃としての実績か。
「国家転覆罪で処してもいいところを、現状維持で済ませてやったのは情けを十分かけていると思うが?
ただし君の産んだ王子を世継ぎにできない」
たった1週間前に放った言葉が、そのまま帰ってくるとは思わなかった。
「アンジェリカ様、予算が足りません」
「分かってるわ、そんなこと」
ルーマの言葉に、私は何度目かわからないため息をついた。
アリアが正式に後宮に入ってからというもの、私の公費を勝手に使ってドレスや宝石を買い漁っている。
私が公務で着るドレスは、もっぱら持参金から補っている。
王族である以上、1度袖を通したものを公で再び着ることはできない。
「王妃様、根詰めても仕方ありませんよ。庭に出てお茶でもしませんか」
グリーン・ボブのサラの提案に乗ることにした。
「そうね、持ち出し(持参金)で働かされるなんてバカバカしいわ。気分転換しましょう。息子たちも呼んでちょうだい」
「それが……」
別のメイドが恐る恐る進み出た。
「?」
私専用の庭は勿論、私の許可なく何人も立ち入れないはずだ。
「マーカス! そっちよ!」
「わっ」
マーカスが後ろに転ぶと同時に、私の方へ雪崩れ込んできた。
3人はジュ・ド・ポームというラケットを使ったボールゲームをしていた。
正式なゲームではない、ボール当てして遊んでいたに過ぎない。
ただし、結婚式典記念に作られた珍しい品種の薔薇アーチは壊れ、花壇は踏み荒らされていた。
息子たちは私の顔を見て一瞬喜色を浮かべたが、空気を察して黙った。
侍女が進み出る。
「速やかに退出されますよう」
「なあに? 子供たちの遊び相手してあげてたのに。侍女如きが私にそんな口を?」
乗馬服に不釣り合いの大きな宝石が光るブローチをつけたアリアが胸を張った。
「貴女は単なる王の愛人であって、何の権限もありません。随分出世したと思い込んでるようね」
「未来の国母よ」
私とルーマが同時に笑い出した。
「……なあに? 感じ悪い!」
「あなたは確か『未来の国母』なるため教育期間のはずだけど、今は何の授業なの?」
私は辺りを見回すも、カヴァネスはいないようだ。
「そ、それは……」
「教養のない『国母』を貴族も民衆も認めないわよ」
「うるさいうるさいうるさい!」
「王妃陛下に向かって、その口のきき方! それにこの庭! 限度というものがあるでしょう!」
ルーマが怒鳴ると、アリアは不敵に笑った。
出会った頃は短かった銀髪が、今は胸の下まであり編み込まれている。
「私がいなければ死んでた癖に」
彼女は弱みと恩の2つを握っていると示唆してきた。
私が口を開きかけると、「母しゃま、なんのはなし?」
下のルーカスが無邪気に問いかけてきた。
「気にしなくていいわ。それよりお風呂に入らなくちゃ。服が泥だらけよ」
「浮かない顔をしていますね」
夜のバルコニーで1人ただ住んでいた私に声をかけてきたのは、ガンシャ大使だった。
「そう見えますか」
「ええ。私にできることがあれば何なりと。あなたには借りがありますから」
随分とステンブル語が上達した。
彼はずっと我が城に滞在していたわけではなく、周辺諸国を外遊し、これから祖国へ帰るところである。
今日は見送るための晩餐会が行われた。
「そうね……亡命できる魔法でもあればと思って」
「ありますよ」
「まさか。私は王妃。この国の歴史を振り返っても、王妃が離婚して亡命したなんて一度もないわ。そんなこと不可能よ」
「我が国には、不可能を可能にする魔法があるのですよ」
浅黒い、この大陸にはない肌色の彼は、茶目っ気たっぷりにそう笑った。
「皆の者、本日は社交シーズンを締めくくる宴だ。
領地に戻る者もいるだろう、おおいに楽しんでくれ」
王の開会の挨拶と共に音楽が流れ始める。
私はスッと手を上げ、その演奏を止めた。
「提案がございます、陛下」
私がそう言うと、従者たちがテーブルを持ってくる。
その上には複数の書類、インク、ペン。
「陛下は『側室、妾をとらない』との宣言を覆し、アリアを後宮に迎えられた。
よって我が息子、ルーカスとマーカスは王位継承権を放棄いたします。引き換えに、私の養育権及び国外交渉権を保証していただきたい」
ダルタニアンが一瞬、息を飲む。
今後お前たちには一切、息子に干渉させないという私の強い意志と、愛するアリアの子供を次代の王にしたいという欲望、そして彼女の歓心を買いたい。しかし血を分けた息子との接触を断絶される国民からの支持率も下がる。
それらのことが頭の中を一瞬で駆け巡っただろう。
大広間にざわめきが波打つ。
今夜は大舞踏会なので、主要な貴族は揃っている。
私は夫の陰に隠れるように身を寄せるアリアをチラリと見やった。
まだ側室でもないのに、王妃である私と並んでいる。
それも私よりも豪華なペアドレスを纏って。
これの意味するところは、つまり――。
夫が言葉を紡ぐより先に、父が進み出てきた。
「お、お前、アンジェリカ……なんてことを……何のための結婚だ?!」
「衛兵。不敬罪で、この者を捕らえよ」
私がサーティシニア公爵を指差すと、控えていた兵達が父を連行していった。
夫の喉仏が上下する。
私の本気が伝わった証拠だ。
私は4公の出、そして12歳から王妃教育を受けてきた。
身内だろうと容赦はしない。どう転んでも王を無傷では済ませない。
「……わかった、いいだろう」
夫がペンを手に取る。
「お、お待ちください、陛下!
正妃の王子が2人もいるのに、まだ産まれるかわからない子に未来を託すなど」
「そうです! ご乱心めされるな!」
「そもそもカミーア伯爵令嬢は国母にふさわしいのか?」
「そうだ!!」
大貴族達が口々に異論を投げてくる。
私は再びスッと手を挙げた。
場を制した証拠に、舞台が水を打ったように静まり返る。
「それでは、こういたしましょう。
王位継承権の放棄は保留。
陛下にサインしていただいた書類は教会に預かっていただくのです。
これより私はバルサッスへ視察に行きます。
その間、アリアが未来の国母に相応しいか、皆さんの目で確かめればよろしい。だめなら廃せば?
貴族院が全員一致で側室になるのを反対すれば、何人も国母にはなれませんわね」
「この度は、ご成婚おめでとうございます」
「遠路遥々ありがとうございます」
彫刻のように精悍な顔立ちのデミアスと共に、私は玉座から微笑んだ。
金髪の彼に合わせてゴールドの衣装で揃えている。
ダルタニアンはシルバーで統一している。こちらもパートナーの髪色だ。
「本当に遠かったですよ! 早馬を乗り継いでも1ヶ月かかったんだから!」
アリアがむくれたように言う。
一応王族なのに、馬車でなく単騎で来たのは純粋に凄い。
「それは申し訳なかったわ。戴冠式にはぜひ出向くので、許して頂きたい」
私が小首を傾げると、彼女はわざとらしく「あっ」と声を上げた。
「そういえば、知ってました?
ダル(ダルタニアン王)の学生時代の恋人って、私、親戚だったんですよ!」
広間が静まり返る。
私とダルタニアンという元夫婦。
その家庭を壊した元愛人にして現側室のアリア。
そして私の夫でバルサッス王のデミアス。
この4人が向き合っているだけでも、ちょっとした事件である。
そこへ婚約時代のダルタニアンの浮気相手が、自分の親戚だった、と元愛人が祝いの場でわざわざ言ったのだ。
後ろに並んでいる貴族など、倒れそうに顔が青い。
「どおりで似てると思ったわ。人のものを盗むのが好きだものね」
「いらっしゃい。そろそろ来ると思ってたの」
私専用の庭にティーセットが並んでおり、ダルタニアンは椅子に腰かけた。
空は晴れ渡っていて清々しい。
こちらは紅茶ではなくルイボスティーを嗜むのが一般的である。
「子供達は?」
「子供? 私の? 直に来るわ」
「そうか……説明してくれないか」
「あなたがマザコンパワーで母親に私の分の仕事をさせて、その手柄をアリアのものにして2人が結婚できたってこと。を、私が見抜いてたってこと?」
「そうだ。それを見越して新聞社にアリアの出自を売ったことだ!」
「? それが何か?」
「君は自分の脛に傷があること、忘れたのか」
「傷? 無いけど? ちゃんと探したの? 脅すなら材料揃えないと、甘いんじゃない?」
身内のクーデター未遂に関してはアリア以外、私と侍女ルーマしか知らない。
アリアが元奴隷だと知れ渡った今、彼女の発言に何の価値もない。
その証拠に、彼らの結婚式の当日、参列者はゼロだった。
「ぐっ……俺は離婚届にサインなどしてない」
「ああ、あれ」
バルサッス国はルーアシア大陸内で孤立する代わりに、南ア大陸が近く、独自の文化や技術が育った。
その1つに、水に強い紙と水で洗い流せるインクがある。
そう、つまり国外交渉権の書類はフェイク。
ダルタニアンのサインを残して洗い、離婚届を上書きしたのである。
「3ヵ月だけ預かってもらったわ、教会に。そのあと提出したの。嘘はついてない」
ガタンッと音がして椅子が倒れる。
元夫が立ち上がったのだ。
「そんなバカな! 卑怯だぞっ」
「そうよ! 酷い! 信じられない!
お蔭で私がどれだけ苦労したか」
どこからかアリアが湧いてきた。
盗み聞きとは、いい趣味である。
メイド達が困惑しているので、止めなくていいと合図する。
「あ! 泥棒だ!」
「どろぼうだ!」
そこへマーカスとルーカスが走ってきて、アリアを指差す。
1年半前、一緒に遊んで(私の庭を荒らして)いたのが嘘のようだ。
私は2人の王子を抱き締めた。
「そうよ、あっちの女が貴方達から父親を盗んだ泥棒で、男の方がその泥棒を受け入れた裏切り者よ」
私が微笑むと、彼らは青ざめた。
そこへデミアス王が来る。もうヒールの高さを気にしなくていい、逞しい夫が。
「我が国との貿易独占権はサーティシニア公爵家(アンジェリカの実家)に委ねてある。そなたは『南蛮の国など、どうでもいい』のだったな。是非とも交易は限定させてもらう」
「!? そ、それはっ」
「ステンブル陛下、王族教育でザキトニ夫人から王族やその情婦を追放する時、どうすると習いました?」
「後々の火種にならぬよう不妊処置……は?」
「ステンブル国の王位継承権1位はマーカス、2位はルーカス。
これは未来永劫、変わりません。
だから言ったでしょう『戴冠式には是非』と」
□完□