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第九章 愛する我が子へ


強烈な吐き気の波を乗り越え、流産の可能性が限りなく低くなった時期を見計らって、アデルの妊娠は公式に発表された。 唯一計算外だったのは、アデルの痩せ細りようがあまりに酷く、二十四時間体制での医官達の見守りが必要になってしまったことだった。 盲目を心配して「お願いですから立たないで、歩かないで! 私の精神安定のために、出産が済むまで移動は動く椅子でしてください!」と妻の手を握りながら恥も外聞もなく泣いて懇願するような超弩級に過保護な夫が、この計算外に何も思わないはずはなく。


「もう二度と、何人でも子どもが欲しいなどと申しませんから! 母子ともに元気で生まれてきてください! それ以外、なんにもいりませんから……!」


かつてエテルティ宮廷のご令嬢達の憧れだった男が、今ではべぇべぇと泣くばかりで見る影もない。

これから人生で初めて、多分最初で最後の出産に挑むのは俺なんだけど。

俺、母上の二の舞確定なの? 女王として国を背負っているこの状況で?


(冗談じゃねぇ! 何が何でも、子どもと共に生きてやる)

(この白狼、俺に何事かあったら一気に崩れるな……。 この先も、倒れられんわ)


アデルはベッドサイドに置いてあったタオルを一枚手に取り、魔法で生み出した水泡でそれを包んだ。


少しではあるが冷気も含ませたので、泣きすぎて熱くなった美形の顔もすぐに冷めることだろう。 イザーク、と呼ぶ声に反応した隙をついて、きんきんに冷えたタオルをイザークの整いすぎている顔面めがけて魔法でべちりと貼りつけてやった。 突然顔面に張り付いてきたタオルに驚いたイザークはたまらず「つめたっ!?」と短い悲鳴をあげてタオルを引き剝がそうとするが、アデルの魔法が作用しているせいで、なかなか引き剥がせない。 気持ちが落ち着くまでタオルと格闘しているがいいと夫を眺めながら、アデルは水泡をグラスにおさめて、よく冷えた水として飲み干す。


アデルが自分の手でべり、という効果音がつきそうなほど勢いよくタオルを剥がすと、さすがのイザークも落ち着きを取り戻していた。


「なぁ、イザークよ。 このままだと生まれてきた子に『お前の父はべぇべぇべぇべぇ泣いてばかりだった』としか、思い出として語れないが。 お前は、それでもいいのか?」


指摘されて、初めて気がついたらしい。

これはまずい、と本気で焦るイザークに、アデルは自然と笑顔になる。

白狼公の二つ名に相応しく凛々しい男が、自分の前ではとても初々しく、可愛らしい。

意地悪かもしれないと思いつつも、和んでしまった。


「あ! 今、笑いましたね!?」

「……ふふ、許せ。 そら、何かしたいならニーナからおむつ交換の手ほどきでも受けてきたらどうだ? 教会の治療院では、あまりやってこなかっただろう」


アデルがまだ王女で、イザークがただの護衛だった頃。


患者達の清拭や体勢維持の支援まではできても、おむつ交換には抵抗がある様子のイザークに気を遣って、おむつ交換はアデルが全て引き受けていた。 水の系譜の生まれであることから、洗濯や清潔な水の調達にかけて右に出る者はいなかったから、おむつ交換ができなくても十分教会の役には立っていたけれど。 けれど、これからは自分の子のおむつを替える日々が始まる。 乳母としてニーナがついてくれるからといって、甘えてばかりではいられまい。 大貴族の嫡男には珍しいかも知れないが、料理も覚えておいて損はない。 城で働く者達のよき雇用主であることは、貴族や王族に課せられた義務。 だが、召使いや料理人達がいなくてもなんとか生活できる程度の力を身に着けておくに越したことはないのだ。 かつての教会で裁縫とは絶望的なまでに相性が悪かったイザークのことだから、料理も手の込んだものは難しいかもしれない。


だが、お腹を空かせた子どもに食事を与える手段を知っているのといないのでは、雲泥の差だ。


「子どもと触れ合える時間が増えるぞ、子どもに好かれるぞ」というアデルの言葉に誘導され、イザークは着々と父親になる準備を整えていく。 変わり者の母の子として産まれてくることも知らず、子どもは元気に育っているようだった。


大きなお腹のため動くこともままならず、この頃のアデルの仕事は、文字どおり食べて寝ること。


暇を持て余して、腹部をさすりながら歌を歌うと、腹の中の子が蹴ってくることがある。 歌が気に入らなかったかと思い歌うのをやめると、連続で蹴ってくる。 逆だったかと苦笑して、体力が尽きるまで子のためだけに歌い続けるのが、最近のアデルの日常だった。 反対に、父性を原動力にして身動きが取れない妻の分まで忙しく働くイザークだったが、アデルの歌を聞き、腹の中の子に語りかければ、疲れなど瞬時に吹き飛ぶ。 疲れ果てて眠るアデルの薔薇色の髪を撫でながら、すっかり覚えてしまった歌を口ずさむ龍女王夫妻の幸福な未来は、約束されたも同然だった。


子どもの名前は、春の花であるリナリアと、夏の花である白百合を合わせたものに決めた。

アデルは、色鮮やかなリナリアを。

イザークは、純潔の象徴である白百合を選んだ。

「お前こそが、我らの美しき夢」という思いを込めて。


生まれてきた子が姫であれば、リリアナ・アデル。

王子であれば、リアム・イザーク。


そう名付けようと、二人で決めた。


それから少し経って、いよいよ出産の時がやって来た。


おしるしを合図に女王の寝室に集結したニーナを筆頭にした侍女達と、王宮付きの医官達。 部屋が人の気配と声で騒がしくなっていくなか、イザークは出産に立ち会うことを熱望したが、事実上の姑であるニーナから「医官でもない男は、出産の邪魔になるだけです」ときっぱり却下されて、追い出される寸前だった。 いつまでも退室しないイザークに痺れを切らしたニーナは、同じく駆けつけた大将軍を招き、イザークを引きずり出すよう依頼した。 その様子を眺めていたアデルは、これから百戦を乗り越えるのと同等の痛みに耐えて子どもを産まなくてはならないというのに、おかしくて笑わずにはいられなかった。


ニーナの堪忍袋の緒が切れて叩き出される前にイザークとダリウスを呼んだアデルは、イザークの手を握り、力強くこう言い放った。


「俺を信じろ。 子どもやお前を置いて、逝ったりはせん」

「ダリウス大将軍、子どもが生まれたら鍛えてやってくれ。 俺にしてくれたように」


そうして、固く閉ざされた扉の向こうで、アデルひとりの戦いがはじまった。


聖獣キラムでさえ容赦なく叩き出され、男ばかりが扉の前で立ち尽くす。

扉の向こうでは、今まで一度も聞いたことのないアデルの叫び声が響き、合間に励ますニーナや侍女達の声が聞こえる。 命を削るような咆哮と苦しそうな喘ぎ声に、イザークは自分の心臓を握り潰されるような思いがした。 こんなにも愛する人を苦しめるのなら、もう二度と子どもが欲しいなどと望んだりするものか。 ただ出産の終わりを願うしかない男達の耳に、突然赤ん坊の産声が飛び込んできた。


「「「「産まれた!」」」」


城の者達が気を利かせて用意した椅子に座ってその時を待っていた、イザークとシモン、ダリウスとマギウスは思わず、声を揃えて同時に立ち上がる。


赤ん坊を取り上げた後、そのまま清めておくるみに包んだニーナは、これから乳母として仕える小さな主人をしっかりと胸に抱き、扉の外に出て目を丸くした。 

これでは、誰が父親か分からない。


「おめでとうございます、イザーク様。 可愛いお姫様ですよ」


エテルティ王女、リリアナ・アデル・エテルティ。

後の聖女王は、こうして生まれた。


龍女王の跡取り姫にして、エテルティの歴史に消えない傷を刻んだ大罪人の孫娘。 生まれながらに壮絶な運命を背負ったこの王女は、龍女王の意思を継ぎ、聖女王として王国の繁栄を末永く守り続けることになるのだが、それはまだずっと先の話。

自分と同じ髪の色をして、聖獣の卵を握りしめて生まれてきた娘を胸に抱いたイザークは、安堵と喜びが一気に爆発して子どものように嬉び、泣いた。


開いた娘の両目が二色の瞳ではなく、金色だけだったと枕もとで聞かされたアデルは、出産直後に原因不明の高熱で魘されながらも、心からほっとした。

他人と違いすぎる容姿なんて、生きにくいだけ。

娘はそんな思いをせずに生きていけるのだと、これではっきりしたのだから。


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