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第六章 罪と償い

その日、王女時代を思い出しながら、アデルはひとり教会の治療院を訪れていた。


昔取った杵柄とはよく言ったもので、慣れた手つきで寝たきり患者達の介護に没頭する。 かつて「支度が整うまで、こちらの美形を眺めてお待ちください」と場を和ますのに役立ってくれた安心安定の目の保養役、現在の夫であるイザークは、城に置いてきた。 というより、誰にも告げずに城を出て治療院に来てしまったが、今の自分は女王なので何も問題はない……はずだ。 周囲から異相を拒絶されていたかつての自分から見れば贅沢な願いだろうが、たまにはひとりで過ごしたい時もある。


アデルの人生における唯一無二のトラウマである集団自決から暫く経つが、キアエル家存続の条件として教会の後見役となった公爵のシモンは本当によくやってくれているようだ。 治療院の中は新築と間違えそうなほど綺麗になり、教会の食糧庫にはいつも食料がみっちりと詰まっている。 最初こそ警戒していたものの、温厚が服を着て歩いているような年若いキアエル公爵様と、その公爵様が常に連れている犬の聖獣の愛くるしさに、教会の子供達はすっかり警戒を解き、夢中になっているのだとか。 愚かにも国家転覆に手を染めた父親の後始末とはいえ、何かある度に対立する貴族達に「大罪人の息子の癖に」と陰口を叩かれがちなシモンにとって、無邪気な子ども達との交流が癒しになることを願うばかりだ。 白狼公となったイザークには何も言わず、気が優しいシモンには矛先を向ける。 その陰湿さが、アデルには何よりも腹立たしい。 天秤のように公平かつ公正でなくてはならない女王の立場であからさまにキアエル公爵家を庇うと、それが次の不和を生みかねない。 だから我慢しているが、次に陰口の現場を見てしまったら、我慢できる自信がない。


「驚いた……! 本当に御自ら患者達を介護なさっていたんですね、義姉上」

「……シモンか?」

「はい、義姉上。 兄が喧……たいそう心配しておりましたので、お迎えに」」


屋敷で寛いでいたところにいきなり展開した水鏡の向こうで「アデルがいない!」と半狂乱になっている兄を黙らせるついでに、後見として治療院の様子を見に来たシモンは、静かに微笑んだ。


シモンの聖獣であるコカールは、教会の子ども達に囲まれて「どうにでもしていいよ」と言わんばかりに地面に寝転び、躊躇いなく腹を晒している。 子ども達の手がわしゃわしゃと撫でるたび、コカールの尻尾がぶんぶんと激しく揺れている。 無邪気そのものの光景に、大罪人の息子という汚名と、公爵という重責を背負うシモンの頬も緩む。 治療院から教会の一室に場所を移し「辛いか」と尋ねたアデルに、シモンは穏やかに首を横に振る。


「兄も、僕も、覚悟はしていましたから。 あの男は、それだけの罪を犯した」


建国神話に連なる血筋を誇り、忠義を尽くすべき王家に背き、王国を混乱に陥れた罪は重い。

本来ならば、キアエルの血筋が根絶やしにされても文句は言えない。

シモンを当主としたキアエル公爵家が今も存在を許されているのは、キアエル公爵家が王国の水を司る唯一無二の役目を担っているからに過ぎない。 それを、シモンはきちんと理解していた。 あの男にしても、同じ事。 兄イザークとの婚姻、ならびに女王への即位に伴う恩赦により永久追放で済んだのだと、果たしてあの男は理解しているのだろうか? 


「俺の子は、王家とキアエル公爵家の血を継いで産まれてくる。 俺とイザークは誰に何と言われようと構わんが、俺の子には何の罪もない。 雑音は、早々に遮断せねばならんな……」

「もし姫君がお生まれになった日には、兄がより凶暴になりそうですね。 『我が娘に近づく不埒者は半殺しになさい』とロウルに命じて、一日中姫君のお守につけるくらいはやりますよ、あの兄なら」

「マジで……? 普段のイザークからは、想像もできないんだが……」

「義姉上の隣にいる時だけは品行方正な忠犬になりますからね、あの人」


噂をすれば影がさすとは、よく言ったもの。 余計なことを最愛の人に吹き込んだ弟の頭を鷲掴みにしてやろうと背後から伸ばされたイザークの手を、シモンは自分の杖の宝石部分で、振り返りもせずに止めてみせた。 シモンがアデルを城に連れ帰るまで待っていればよいものを、待ちきれずに単身で転移してきたらしい。


「忠犬はお前の聖獣だろうが、俺のアデルに何を吹き込んだ? さっさと吐け」

「義姉上、ご覧になりました? か弱い私を筋力に任せて、酷い兄でしょう?」

「制止しがてら兄の手を氷漬けにしようとしている奴が、よく言う!」

「俺は目が見えぬゆえ、愛する夫しか分からんよ。 これ以上は教会の迷惑になるぞ」


アデルのやんわりとした仲裁を受け入れたイザークは、アデルの傍で片膝をつき、頭を撫でようと彷徨う彼女の手を当然のように受け入れた。シモンの抵抗によって霜焼けになった手ともども、アデルのぬくもりがイザークの全てを解きほぐす。 騎士として当然の振る舞いのように見せかけて、ただアデルに触れて欲しかっただけだと見抜いているシモンにとってはドン引き以外の何でもなかったが、非公式とは言え女王の御前。 三人分のお茶を手に気まずそうにしている大司教の姿まで見てしまっては、耐えないわけにはいかなかった。


「そこにおられるのは、大司教殿か? 騒がしくしてしまって、すまないな」

「女御陛下、何を仰います!」


大司教の緊張が、アデルの一言であっという間に緩んだ。

生まれながらの盲目という枷ですら抑えきれない、アデルの王の器。

シモンは、その神髄を目にした気分だった。


至上の地位にあって決して驕ることなく、誰に対しても誠実。

他人を委縮させることなく、言葉ひとつで安心させてしまう。

先王ディオクレスは武力で民を守り、尊敬を集めた。

アデルの王の器は、父王のように目に見える、分かりやすいものではない。

例えるなら、草花を育てる根や土のようなもの。

守ることがディオクレス王の神髄なら、アデル女王の神髄は育むことにある。


(これほど優れた女性から視力を取り上げるなど、女神も惨いことをなさる)


 大司教がわざわざお茶を運んできたのには、やはり訳があったらしい。

大司教から話を聞いたアデルは、紙とペンを借りてさらさらと何かを書き止め「後は城で審議だな」と呟く。 その呟きを聞いた大司教は大慌てで「そこまでしていただくわけには」と制止したが、アデルは「なんの!」と陽気に笑い飛ばした。


「我が国の若者の才能を伸ばす手助けをするのは、女王の務め。 その代わりと言ってはなんだが……俺の子が年頃になったら、ここで暫く見習いとして扱き使ってやってくれ。 王子だろうが王女だろうが関係なく、掃除洗濯料理裁縫介護、やらせそうなことはなんでもやらせてやってくれ」

「わ、わ、私の小女神が修道女見習いですって!?」

「黙れイザーク、まだ授かってもおらんのに、何が小女神か! 気が早すぎるわ!」

「私とあなたの子なら、あなたによく似た美しく賢い姫に違いありませんとも!」

「もう黙っとけ」


産まれる前から教会での下働きが決まってしまったアデルとイザークの子だが、女王としてのアデルにはそれなりの考えがあった。


アデルの子は、必ずアデルの後を継いで王になる。 エテルティの王になるという事は、エテルティ国民全ての親あるいは故郷になるのと同じ。 幼い頃からお世継ぎ様と持て囃される事しか知らずに王に即位してしまったら、今のローナ国にいるような馬鹿が王になるのと変わらない事態になってしまうだろう。 エテルティの王位を馬鹿に譲り渡して、一番苦しむのは国の政策だけが頼りの身寄りのない国民だ。 養育はニーナとマギウス、ダリウスを拝み倒せば何とかなるだろうが、経験だけはどうにもならない。 王太子のうちに、より多くの人達と交流する場を整えてやらなければ。


盲目のアデルでは見ることができない光景を、たくさん見せてやらなければ。


そうすれば、アデルの子はアデルを超える善き王となり、エテルティを末永く守ってくれるだろう。


「そんな殺生な!」とまだ見ぬ我が子のために猛抗議する夫を引きずって城に戻りながら、アデルの何も見えない目は、しっかりと国の未来を見据えている。


かつて、世継ぎでありながら異相と聖獣のために忌まれていた姫は、父王ディオクレスに勝るとも劣らない名君になっていた。


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