第九話 アオハルめいたもの
「ねぇねぇ、日暮さん!」
テストが終わった瞬間、教室からは小さな歓喜に満ち、各々が笑ったり頭を抱えたりしながら放課後に突入する。先生たちが採点に入るため、部活は休みとなり、今日ばかりは仲の良い者同士が集い、自由を満喫する。しかも金曜日。週末なので余計にテンションも上がるというもの。
声を掛けてきたのは蜂須賀メイ。クラスでも目立つ存在だ。
「な、なに?」
いまだクラスに馴染めず、一人でいることが多い杜波里は、急にクラスの中心人物に声を掛けられ、驚いていた。
「これからみんなで打ち上げ行くんだけど、一緒にどう?」
「打ち……上げ?」
「そ。テスト終わりの打ち上げ! っていっても、ファミレスだけど」
ん? と首を傾げられ、どう返すべきか目を泳がせる。と、視界の片隅で円珠が杜波里を見てニヤついているのが見えた。この誘いが円珠の差し金であるとわかり、カッと頭に血が上る。昨日の話を聞いて、なんとかしてやろうと画策したとでもいうのか。しかし杜波里にとってその親切は、屈辱的愚行に感じられた。
しかし……と思い直す。
ここでツンと「私は結構よ」と断るのは簡単だ。しかし、売られた喧嘩は買うべきだろう。何故か杜波里の脳内ではそう、判断が下される。
「もしかして、円珠に何か言われたのかしら? 円珠ったら、私に来てほしいなら直接そう言えばいいのに、蜂須賀さんに言わせるだなんて。ありがとう、参加させていただくわ」
にっこりと微笑む。
「わ! やった! 私、一度ゆっくり日暮さんと話したかったんだ! 高森君のこと、もう呼び捨てなんだね。二人の馴れ初めとかさ、聞かせてよ! 許嫁ってほんとなのっ?」
矢継ぎ早に聞かれ、杜波里は少し声を張り答える。
「二人の出会いは運命っていうか、円珠のお兄さんが結んでくれたっていうか……今はまだ微妙な関係なんだけどね」
チラ、と円珠を見ると、口を開け、驚いた顔でこっちを見ている。ガタンと椅子から勢いよく立ち上がると、
「杜波里、変なこと口にするなよお前っ」
と、声を荒げた。
そんな二人のやり取りを、教室中が囃し立てる。
「ひゅ~! 高森、やるぅ~!」
「えええっ、許嫁の話ってほんとなんだ! きゃ~!」
「円珠、マジかよ、いいなーっ!」
「日暮さん、高森やめて俺にしなーい?」
「許嫁って、すごーい!」
恥ずかしそうに顔を赤らめ、弁解の言葉を口にする円珠を見て、杜波里は気分がよくなった。
「なんだかんだ言いながら、高森君も呼び捨てにしてるんだめ、日暮さんのこと」
メイが突っ込むと、教室中から「ひゅ~!」という声が上がる。
「それはっ、だって、杜波里は杜波里だろうがっ」
余計なことを口走り、墓穴を掘る。
「きゃ~!」
「なんだか熱いな、この部屋っ」
「おおい、誰か窓を開けろ!」
教室は大いに盛り上がったのである。
◇
「……お前、何考えてんだよっ」
ファミレスでの打ち上げを終え、帰り道。始終周りからヒューヒューと囃し立てられながら過ごした円珠は、文句を言わずにはいられなかった。おかしなことを言い出した杜波里はクラスメイト達に囲まれ、なんだかんだ楽しそうに会話を楽しんでいた。だが、杜波里がおかしなことを言い出すたび、円珠に話を振られ困り果てたのだ。本当の出会いなど言えるはずもなく、許嫁など以ての外。しかし円珠が弁解するたび、周りからは「照れるなよ!」と揶揄される。途中からは面倒になり、弁解もやめた。
「楽しかったでしょ?」
クスクスと笑いながら、杜波里。
「どこがだよっ! お前は楽しかったかもしれないけどさっ」
苦虫を噛み潰したような顔で円珠。
「そうね、円珠の粋な計らいのおかげでとても楽しかったわ」
素直に認める杜波里に、円珠が驚く。
「……何よ、その顔」
「いや、だって絶対文句言われると思ってたから」
「は? あんた文句言われるとわかっててあんなことしたわけ?」
詰められ、しまったと口を押える。
「呆れたもんだわ」
「……いや、なんとかクラスに溶け込めたらいいなと思ったのは嘘じゃないけどさ」
「……あ、そ」
妙な雰囲気に、思わず二人が押し黙る。
気まずいまま会話が途切れ、まさに時刻は夜の帳が下りる頃。
「いい色だよな」
「は?」
唐突に話題を変えた円珠の言葉に、杜波里が聞き返す。
「夜の帳、ってやつ。暮れてく空と夜の闇」
「……そうね。でも闇が支配する世界は、あんたたちガーゴイルにとって、厄介な時間なんじゃないの?」
妖かしにしろ霊にしろ、不浄のものは暗闇に潜む。闇の中の方が動きやすいのだろう。
「まぁ、確かに俺たち人間は夜目も利かないしな」
「そうよ。なのにどうして夜の廃ホテルになんか行こうと思うわけ?」
「えっ?」
それは今日の夜決行される、肝試しの話。
「なんでお前がそれをっ」
「蜂須賀さんに聞いたのよ。あんた、呼ばれたんでしょ?」
「……ああ。先輩を止めてくれって言われた」
「お人好しね」
「仕方ないだろっ?」
運動部は先輩命令に逆らうのが難しいことくらい、円珠にもわかる。行きたくなくてもそうは言えないのだ。第三者である円珠なら、寺の息子であることを利用して、うまく断れるだろうと期待されている。忠告を大人しく聞いてくれるタイプならいいのだが……。
「それ、私も行くから」
しれっとそう告げられ、焦る。
「はっ? なんでっ?」
杜波里には何ら関係のない話だったはず。
「……その廃ホテル、少し怪しい」
真面目な顔で言う杜波里を見て、思わず立ち止まる。
「マジで? 怪しいって、なに?」
「……確信があるわけじゃない。でもここ数日、近くで強い気を感じてた。方向的には合ってるのよ」
考え込むように顎に手を当てる。杜波里が言っているのは、あの話……。
「例のヤツが関わってるのか?」
強い力を取り込んで、成長しようと企む妖かし。
「前にも言ったけど、そいつは強い力を求めてる。効率よく力を蓄えるために、餌を蒔いて悪霊や妖かしを育ててる可能性があるわ」
「育てる?」
そんな話、聞いたことがない。自分が喰らうための妖かしを、別の妖かしが育てるなど。
「ある程度大きくしてから取り込もう、って考えてるとしても不思議じゃない。霊ならなおのこと、育てるのは簡単だわ」
「簡単?」
「そう。元々この世に未練があって成仏できない霊の、恨み・妬み・嫉み……そういう感情に付け込むの。助長するっていうか、煽るっていうか。そうすると霊は人間の前に姿を現して、悪さをするようになる。ともすれば、人の命を奪うこともある」
「……チッ」
円珠が舌打ちをする。そうだ。人の命を奪うことを覚えた霊を「悪霊」と呼ぶ。浮遊霊と悪霊では、雲泥の差がある。「一線を越えるかどうか」が大きく関係するのだ。
「ただの浮遊霊を焚きつけて、人間を襲わせるって話かよ」
「かもしれない、って話。だからあんたが廃ホテルに呼ばれたのは、正解だったかもね。止めた方がいいわよ。危険な遊びだもの」
杜波里はそう言って歩き始めた。円珠は杜波里がどこに住んでいるかを知らないが、何故か同じ方向へと向かっている気がして、訊ねる。
「お前、高森家に向かって歩いてる?」
「そうだけど?」
当たり前のような顔で答える杜波里。最近、なにかと我が家に入り浸る杜波里に、円珠は戸惑いを覚える。嫌なわけではない。そうではないのだが、この距離感……。
「あのさ」
魔が差したのだ。
「なに?」
言わなくてもいいセリフをつい、口にした。
「お前って、本当に俺のこと好きだったりする?」
「……は?」
「あ」
口に出してから、しまったと思う。
「ばっかじゃない!」
杜波里が心底呆れた顔でそう言い捨て、プイと背を向け、早足で歩いて行った。
「……だよなぁ。俺、なに言ってるんだよ」
円珠は頭を抱え、顔を赤く染める。すでに陽は落ち、辺りは暗い。円珠の赤面した顔は、誰に見られることもなかった。