第八話 肝試し
その噂は、ずっと昔からあったわけではないようだ。
「は? 心霊現象を見に行く?」
まだ夏には早いこの時期に、なんでそんな話が出ているのか。放課後、テスト期間中で部活が休みになっている蓮と肩を並べて歩く。ちなみに連の彼女である蜂須賀メイは、友人たちと勉強会をやるらしく、今日は別行動だ。
円珠は話を持ち掛けてきた蓮の顔を見て、眉を寄せる。
「まだ怪談話するには早いと思うんだけど、肝試しに行くってことか?」
「そ、肝試し! 円珠はSNSとかやらなそうだから、きっと知らないんじゃないかって思ってはいたけどさ。ほら、これ!」
差し出された携帯の画面に写っているのは、誰かの配信動画。暗闇の中、数名で連れ立ってどこかへ向かっている様子が映し出されていた。
「廃ホテルだよ。町の北側にある山の斜面。知らない?」
聞かれ、思い出す。円珠の家がある山とは別だが、確かバブルの頃に建てられたリゾートホテルが廃業になり、そのまま手付かずで残っている、という話を聞いたことがある。
「聞いたことはあるかも。でも、そんな場所に霊なんかいないだろ」
潰れてから数十年しか経っていない。しかもリゾートホテルの成れの果てだ。雰囲気はあるかもしれないが、霊が出る条件には合わない。もしいるとしても、その辺の地縛霊が住み着く程度で、人に危害を与えるほどの力は持たないはずだ。
「それがさ、結構話題なんだぜ、今! この配信でも、変な声が聞こえたり急に機材がおかしくなったりさ、これ絶対心霊現象だって!」
蓮は大興奮だ。しかし、そもそもそんな場所に足を踏み入れるのは、不法侵入に該当する。つまり、立派な犯罪行為なのだ。
「お前さ、わかってると思うけど、他人の所有する土地に勝手に入るのは犯罪だからな? 警察の世話になりたくなかったら」
「あー、もぅ。わかってるよ」
唇を尖らせ、蓮。
「わかってるけどさぁ、もう決定事項なんだよ」
「決定事項って、おい」
誰が立てた計画なのか。心底くだらない。円珠が溜息を吐いていると、蓮が上目遣いに円珠を見て、続ける。
「俺だって、やめた方がいいとは言ったよ? でも明日の夜決行だ、って。先輩命令だから行かないわけにも……ねぇ?」
「ねぇ、ってお前」
「そんで、ほら、円珠は寺のうちの子じゃん? それ話したら、先輩たちが連れてきてもいいって」
犯罪の片棒を担げという話をされているのだ。
「集合場所に行ってさ、ここから先に足を踏み入れたら呪われます、とか何とか脅してやめさせてくれればいいと思うんだ!」
ああ、と円珠は気付く。先輩からの誘いだから断れなくて困っているのだ。行きたいわけではなく、どちらかと言えば、行きたくないのだな、と。最初からそう言えばいいのに。
「なるほどな。状況は把握した」
「じゃあ!」
蓮の顔がパッと明るくなる。
「俺も行く。行って、止めればいいんだな?」
「ありがとう、円珠! 持つべきものは寺の息子だな!」
蓮が円珠の首に抱きつく。
「うわっ、やめろよっ」
道の真ん中で抱きつかれ、円珠がもがく。自転車を押しているので避けられないのだ。
「じゃ、集合時間と場所は明日、先輩に聞いたら教えるから! はぁ~、これで安心してテスト勉強出来る。助かった~!」
嬉しそうな顔をする蓮に、円珠が訊ねる。
「蓮って、おばけ怖いんだ」
「ばっ、なに言ってんだよ! 俺は別にっ」
顔を赤くする蓮を見て、円珠は笑った。
「俺も嫌いだよ、おばけ」
「へ? だってお前、寺の子じゃんっ」
「どの家に生まれてたって関係ない! あんなもん、好きになれるわけないだろ?」
「だよな!」
ぴょんぴょんと跳ねながら蓮が頷く。
「あ、じゃ俺こっちだから! また明日な!」
街中に住んでいる蓮と、道を分ける。右へ曲がる蓮の後ろ姿を見送り、円珠は左へと曲がった。
◇
「……で、なんでお前が俺より先に、ここにいるんだよ?」
家に帰ると、何故か家の居間に杜波里がいたのだ。
「なんでって……調べもの」
「調べものぉ?」
どう見ても、掘り炬燵に足を突っ込んで試験勉強しているようにしか見えない。
「あら、円珠おかえり」
出迎えた母、しず香も至って普通の顔をしている。目の前にいるのが妖魔であると知っているのに、だ。
「あんたもちゃんと試験勉強しなさいよ?」
「へっ? あ、うん」
「杜波里ちゃん、お茶とお茶菓子あるからね」
「ありがとうございます」
「じゃ、母さんちょっと出掛けてくるから。雨継は本堂にいるわ。砂羽は都内にお届け物してるから夕方戻ると思う」
「はいはい」
慌ただしく説明を終えると、しず香は出掛けて行った。父の居所だけ言わない適当さが母らしいな、と円珠は肩を竦めた。そして杜波里に向き直る。
「んで、何を探しに来たんだよ?」
思わず突っかかるような言い方になってしまう。杜波里はムッとした顔で円珠を見上げ、
「いい加減、敵視しるのやめてよね。それともなに? 可愛い彼女が家にいて、照れちゃったのかしら?」
「はぁ? 誰が彼女だっ」
ぷい、と顔を背ける。
「……前にも言ったでしょ。探してるのはこの寺の秘密。それが何か、わかったかもしれないの。探し物は雨継がしてくれてるわ。私は明日のテストに向けて勉強してる。あんたも一緒にやる?」
言われ、唸る。
「そんなの……言われるまでもなくやるけど。てか、お前どうなってんの?」
「なにが?」
キョトン、とする杜波里に、疑問だったことを訊ねる。
「妖魔……なんだよな? 高校に通ったりとか、その、そういうのって……どうなってんの?」
純粋な、疑問だ。多分見た目より年を取っているはずだし、そもそも戸籍があるとは思えない。何故人間のフリなどしているのか。百歩譲って人間のフリが不可欠なのだとしても、学校に通う必要などどこにもないだろうに。
「おかしい……わよね。でも……」
フッと視線を落とす。一瞬だけ暗い表情を見せた杜波里だが、すぐに顔を上げ、
「一度やってみたかったのよ、女子高生」
ふふ、と悪戯っ子のように笑う。
「ふぅん、そういうもんか?」
円珠にはわからないが、妖魔には妖魔の趣向みたいなものがあるのかもしれない、と、素直に受け流す。
「そうよ。ずっと夢の中で人間を見てきたけど、女子高生ほど楽しそうな生き物はない、ってくらい楽しそうだもの」
「……その割にはお前、学校でツンケンしてるけどな」
「そっ、それは……どうすれば人間と仲良くなれるのかわかんないし……」
ゴニョゴニョと声を詰まらせる。
「え? もしかして……人見知りとか?」
「ぐっ」
核心を突かれ、思わず胸を押さえる杜波里。
「……おいおい、本当に人見知りなのかよっ」
あんなにでかい態度を見せていた杜波里が人見知りだとわかるや、円珠の表情が緩む。
「なんだ、妖魔も人間とあんまり変わらないんだな」
はは、と笑いながらこたつに足を突っ込む。と、目を見開き薄く口を開けた杜波里と目が合った。驚いたような顔。だが、それだけではない感情。それは……
「ば、馬鹿にしないでよねっ」
すぐに頬を膨らませ、怒った顔へと変わってしまう。しかし、さっき一瞬だけ見せたあの表情は、嘘ではないのだろう。
「青春したいって話……」
鞄から教科書とペンケースを出し、何気なく訊ねる。
「あれ、本当なんだ」
「……悪い?」
恥ずかしそうに俯く杜波里。こうして見ていると、本当にただの女の子に見えるな、と雨継は杜波里の顔を覗き込む。
「いや、いいと思う」
「え?」
「人間と楽しくやれる妖魔がいたっていいと思う、ってこと」
「えっ?」
杜波里がまた目を見開く。その言葉は……
「おい、杜波里。お前が探してるものはやっぱり見つからなかったぞ……って、円珠、帰ってたのか」
突然、居間に入ってきたのは雨継。朝と同じ上下スエットで、頭はボサボサ。髭も剃っていないようだ。寺の跡継ぎとは思えない体たらく。
「兄さん……風呂くらい入れば?」
呆れたように円珠が言うと、雨継は頭をポリポリ掻き、
「今入ろうと思ってたの!」
と言って部屋を出て行った。
「……思春期の女子かよ」
ポツリ、呟いた円珠の言葉に、杜波里が吹き出した。