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第七話 共存

 遠い昔。


 それがどのくらい昔だったかは知らない。とにかく、覚えてはいないほど昔に生まれた。何から、あるいは、誰から生まれたのかも知らない。気付いたらこの世に存在していた。奥深い山奥。声を掛けてきたのは、小さな人間。


「君……なに?」

 人間には見えないはずの自分の姿。しかしこの小さい生き物には自分の姿が見えるのだな、ということを漠然と知った。

 小さい人間は、妖かしである自分をそっと手に取る。そして、言ったのだ。

「神様? もしかして、神様なのかな?」

 目をキラキラさせ、何かを期待しているようだった。

「ねぇ、神様。おじいちゃんを助けてほしいんだ。うちに来てよ!」

 そう言って、妖かしを手に人里へ向かう。


 小さなあばら家の中には、老人が布団に寝かされている。呼吸は荒く、今にも命の灯が消えそうだった。

「おじいちゃん、ずっと苦しそうなんだ。助けてよ!」

 そう、せがまれる。一目見て、怖い夢を見ているのだと瞬時に理解できた。何故かはわからないが、いい匂いがしたのだ。


 妖かしはスッと老人の意識の中に潜り込んだ。そこは夢の中。老人は戦の只中にいた。そして目の前の敵に刃を向けているところだった。殺さなければ、殺される。それが戦の常であり、正義だ。老人は躊躇いを捨て、生きるために命を奪った。幾人もの命をその手にかけ、生き延びてきた。その時のことを、夢に見ているようだ。


「すまなかった……すまなかった!」

 涙を流し、膝を突く。奪った命の重さを知ったのは、自分に子供が生まれた時だ。それからずっと、心の中で謝り続けている。

「弱肉強食は仕方がないことなのに?」

 妖かしは何故そんな風に涙を流すのか理解できなかった。けれど、悪夢というものはとても美味しそうだ。目の前のそれに、パクリと食らいつく。

「美味しい!」


 夢中で食べていく。何年も何十年も背負い続けてきた贖罪の念と後悔が詰まった悪夢を。そして食べ尽くすころには、妖かしの姿も少し大きくなっていた。自分の中に、力が漲っていくような気がした。


「すごいね! 君、すごいね!」

 自分を見つけ、ここまで連れてきた小さい人間が手を叩き喜んだ。そして、人間と会話ができるまでになっていた妖かしは、しばらくの間、その小さい人間のいる村で暮らした。


 村には他にも悪夢に悩まされる人間がいた。そんな人間たちの悪夢を喰らい尽くす。どんどん強くなる力。夢の中を自由に行き来できるようになってからは、小さい人間と夢の中で会うようになっていた。夢の中では実体を創り出すことができたからだ。


「君、名前はあるの?」

 ある日、小さい人間はそう訊ねてきた。

「名前?」

「そう。僕の名前は栄治(えいじ)。君の名前は?」

 そう言われ、気付く。自分には名前など、ないということ。親も、仲間も、誰もいないということ。……何も覚えていないということ。

「そんなもの、ない」

 不貞腐れ、答えると、栄治は不思議そうな顔をした。そして、

「じゃ、僕が考えてあげるよ!」

 と嬉々とした顔をしてみせたのだ。


「そうだなぁ……日が暮れるときの綺麗な空のこと、とばり、って言うんだって。だから、君は杜波里だ!」

「と……ばり?」

「そうだよ、今日から杜波里!」

 初めて名を呼ばれた日。まさか人の子に名を与えられるとは思っていなかった。


 杜波里は夢の中を揺蕩いながら、人間というものを観察していた。浅はかで弱く、愚かな生き物。なぜこのような生き物が地上を統べているのか、まったく理解できなかった。それでも、栄治だけは特別な存在だった。だが……


「ごめん、杜波里」


 栄治が十三歳になったある日、別れを告げられる。もう自分には関わらないでほしいと言われたのだ。理由を聞けば、妖かしと繋がっていると村人に知られ、咎められたのだという話だった。

 これまで杜波里は、村人たちの悪夢を食べ続けてきた。村が飢饉の時も、どこかで小競り合いが起きても、誰かが死んだときも、村人が夢の中でだけは穏やかでいられるように。まだ幼い赤子が夜泣きをしないのも、杜波里が悪夢を食べ、取り除いてきたからだ。それなのに、否定された。そのことが酷く悲しかった。


「……わかった」

 その日を境に、杜波里は村を去った。元々夢の世界は地続きなのだから、村に留まる必要もなかったのだが、村を出てからは村人たちの夢に立ち寄ることもしなくなっていた。もちろん、栄治とも縁を切った。


 ――人間の一生は短い。


 そのことに気付いた時には、栄治は既に虫の息だった。いつかの老人と同じように、不安を抱え、死を待つだけだった栄治は、悪夢にうなされていた。そして夢の中で、杜波里の名を呼んだ。初めは無視していた杜波里だが、、もう栄治の命が尽きかけていると知り、夢の中に姿を見せる。


「……ああ、杜波里。杜波里なんだね? 大きくなったねぇ」

「……そういう栄治は年を取ったね」

 夢の中は自由だ。栄治の姿も、横たわる年老いた男のそれではない。杜波里の見た目に合わせ、少年の姿になっていた。

「会いたかった。あの日、もう関わるななんて言ってしまったこと、ずっと後悔してた……。杜波里はいつだって優しかったのに」

「いいよ、別に」

 素直に謝られ、居心地が悪い。もう二度と顔を合わせてなんかやらないと思っていたのに、今はそんなことすら忘れている。


「杜波里みたいな優しい妖かしもいるんだ、って、もっとみんなに知ってほしかった……。俺に勇気があったら……力があったらよかったのに」

 声が小さくなりはじめる。もう、お別れの時が近いのだと知る。

「人間と妖かしは別の世界に生きてるから、仕方ないよ」

 ポツリ、と呟く杜波里に、栄治が首を振る。

「そんなことない。杜波里とはこうして夢で繋がれるし、他の妖かしは……知らないけど、でも、全部が全部、悪いやつってことでもないよね? 俺がもっと強かったら、もっと杜波里と一緒にいられたのにって。すごく後悔してた」

「そっか」


「ねぇ、杜波里」

 潤んだ瞳を向けられ、杜波里に緊張が走る。人間の死など、もう何度も見ている。なのに、どうしてこんなにドキドキするのだろう。手がじっとりと汗ばみ、目の奥がきゅっとする。


「俺、生まれ変わったらまた杜波里に会いたいな」

「え?」

「会って、今度こそちゃんと友達になりたい……」

「……うん」

「俺が覚えてなくてもさ、杜波里にはわかるでしょ?」

「そう……かな?」

「探して。きっと探してね」

「……うん」


 できもしない約束だ。それでも、縦に首を振る。それが栄治に対して、杜波里ができる唯一可能な(はなむけ)だと思ったからだ。


「杜波里、サヨナラ。最期に俺の悪夢、食べてくれて……ありがとね」

 サラサラと栄治の輪郭が足元から流れていく。人間は、死ねばもう夢を見ることもなくなる。永遠の眠りには、ただ安らかなる暗闇が続くだけだ。

 優しく笑う栄治の体が、全て砂となり風の中へと消え、杜波里は静かに目を閉じた。

「サヨナラ、栄治」

 栄治の体が砂に溶け、風に流れて消えた。


 見つけて、という栄治の願いは、きっと叶えられないだろう。けれど、杜波里は栄治の言葉を思い出していた。


「人間と妖かしが、仲良く……?」


 そんなことが可能だろうか?

 妖かしと人間では住む世界が違うし、人間は往々にして妖かしを忌み嫌っている。妖かしの方もまた、人間のことなど好きではないのだ。けれど、それは人間同士だって同じこと。皆が皆を好いているわけではない。だったら、自分を好きになってくれる、栄治のような人間と仲良くなることは、出来るのかもしれない。


「栄治……。私もあんたと、もっと一緒にいたかったよ」

 そうひとりごち、手を合わせた。


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