第六話 許嫁
「行ってきます」
ムスっとした顔でそう口にする円珠に、白米を掻っ込みながら
「おう、行ってこい」
と雨継が平然と言い放つ。
砂羽は同情を帯びた眼差しを円珠に向け、父、光砂と、母、しず香は通常通りだった。
昨夜、家に戻った両親に、雨継は事のあらましを説明した。ただし、肝心なところは隠して、だ。まさか円珠の青春を対価に妖かしと冥約を結んだ、とは言えないだろう。両親は雨継の生還を心から喜んでいたし、杜波里のことも一応は納得した。最近、妖かしや悪霊の類が悪さをする事案が増えているのも、その謎の妖魔が関係しているとみて間違いなさそうだという結論に達したのだ。
ちなみに、杜波里に「円珠の青春を対価に差し出す」という愚行を犯した雨継の言い分は、こうだ。
『どうせボケッと毎日を消費してるだけなんだろ? だったら杜波里に青春ってやつを捧げてやればいいじゃないか。減るもんじゃなし』
冗談じゃない。
ボケッと毎日を消費してるということに関しては、悔しいことに反論できない円珠だったが、だからといって妖かしと青春を謳歌しろとはどういう了見か。知らぬ間に唇まで奪われているのだ。初めてだったのに。
その時のことを思い出し、微妙な気持ちになる。ファーストキスの相手が妖かしとは。これもガーゴイルであることの因果なのか。
気を取り直し、家を出る。自転車に跨り、山道を下った。途中、いつもの場所にいつもの低級霊を見つけるが、円珠に気付き、霊は驚いた顔で姿を消した。
「は?」
霊が驚いた顔をする、という表現もどうかと思うが、そうじゃない。何故自分を見て消えたのか。今までそんなことはなかった。昨日の今日で、もしかしたら鏡禍や杜波里の気配が残っているのだろうか?
「おはよ」
「ああ、おはよ」
学校近くで一緒になった比津井蓮と並んで自転車を漕ぐ。
「あれ? 相方は?」
いつも一緒の蜂須賀メイの姿がない。
「メイは朝練」
「お前は?」
「大会までは女子と男子、交代でトラックを使うってことになってさ」
「なるほど。そりゃ寂しいな」
脇を突き、ニヤニヤしながら言うと、蓮が
「そういうお前はなんなんだよ。早速あの転校生といちゃつき出したじゃん」
「へっ?」
言われ、気付く。そういえば昨日、転校初日の杜波里を家まで送ると言い、早退したのだ。どんな噂を立てられているか、容易に想像できる。
「それは、色々事情があってだなっ」
しどろもどろになりながら話を始めたところで、校門が見える。二人は自転車を降り、校舎裏の自転車置き場へと向かった。校庭では陸上部の女子たちが整列しているところだ。朝練終了なのだろう。メイの姿も見える。
「あ、俺ここでメイのこと待つわ。詳しいいちゃいちゃ話は後で聞くから!」
「だから、違うって!」
円珠の話などそっちのけで、蓮は校庭の方へと走って行ってしまった。
「……聞けよ、まったく」
小さく溜息を吐くと、残された円珠は一人で昇降口へ向かう。
「おはよう」
昇降口で声を掛けてきたのは、杜波里だった。
「……あ、うん」
どう返していいかわからず、おかしな返事をしてしまう。
「……なにそれ」
「いや、だって」
目の前にいる前髪ぱっつん女子。これは妖かしだ。寺の子に生まれ、霊と対峙した時の対処法は習ったが、同級生の妖かしとの接し方は習ってない。しかもわが身を兄の口約束で差し出されているのだ。緊張するのも仕方のないことだろう。
「別に取って食いやしないわよ」
杜波里はムッとした顔で円珠を見上げる。
「それより、今日の昼休み空けといてね」
「昼休み?」
「そ。よろしくね」
軽く手を挙げると、杜波里は一人で先に教室へと向かって行ってしまった。円珠は靴を脱ぎながら、
「昼休み……」
と、呟く。
「ふぅん、もう昼休みは一緒に過ごす仲なんだ~」
「うわっ」
後ろから声を掛けてきたのは蜂須賀メイ。その後ろには二人分の鞄を持った蓮もいた。
「なっ、聞いてたのかよっ」
円珠が慌てふためいていると、メイは顔を歪ませ、円珠に詰め寄る。
「お二人がどういった経緯で、現在どういったご関係なのか、じぃぃっくりお聞かせいただきたいわぁ~?」
獲物を狙う猛禽類のような目で見られ、円珠は後ろにいる蓮に助けを求める。
「おい、蓮」
「俺も聞きたい!」
助けは……ないようだ。
◇
「……なんでこんなことに」
昼休み。
杜波里に呼びだされ、円珠は屋上にいた。普段屋上は立ち入り禁止で入れない場所だ。どうして入れたかというと、杜波里が鍵を壊したからである。
「なに陰気な顔してるのよ?」
ズズ、とパックのイチゴミルクを啜り、杜波里が言った。妖かしがイチゴミルクを飲むということを、円珠は初めて知ったのだ。
朝、教室に入ってからは大変だった。昨日の早退は何故か「愛の逃避行」などと言われており、転校してきたばかりの美少女をお持ち帰りした円珠は、男子から英雄扱い。女子は女子で杜波里に群がり、二人の関係を根堀り葉掘り聞き出そうと、目をギラギラさせていた。
「私と円珠は、許嫁みたいなものよ」
杜波里の一言で、クラス中大騒ぎになる。いくら否定したところで、もう遅い。二人は許嫁である、という話は、既に学校中の噂になってしまっていた。
「なんでお前と俺が許嫁なんだっ!」
食べ終えた弁当を片付けながら、円珠が叫ぶ。杜波里はそんな円珠を見て
「……諦めが悪い男ね」
と一蹴する。
「そう言っておいた方がなにかと便利だって話よ。それより、話を聞きなさい」
ズズズ、とイチゴミルクを飲み干し、杜波里が真面目な顔で円珠に向き直る。
「私が見た予知夢だけど」
杜波里は獏だ。夢の中を自由に行き来し、人々の夢を盗み見ることも、夢の中に入り込むこともできる。そして予知夢というのは、杜波里自身が見るわけではないらしい。どこかの預言者が見る予知夢を覗き見たということらしい。その夢の中に出てきた強大な悪。
「ああ、強大な力を持つ妖魔ってやつか」
「そう。そいつがどこのなにか、分からない。だから私は、強い力を持つ妖魔の気配を追っていたの。そうしたら鏡禍に行きついた。そしてガーゴイルである雨継を知った」
石化した雨継の夢に入り込んだ杜波里は、雨継にこの話を聞かせた。お互いの利害が合致したから冥約を結んだ、とは言っていたが……。
「ガーゴイルについては、耳にしたことくらいあったのよ? 破穢の力を持つ、穢れと対峙する組織。だけど実際に会ってみたら全然大したことないんだもの、驚いたわ」
「おいっ」
本当のことかもしれないが、言い切られるとショックだ。
「ま、雨継の場合、あの呪具が悪い方に作用しちゃってたのもよくなかったんだろうけど……私の護符の方がよっぽど効いてるみたいだし?」
にま、と笑って円珠を見る。
「は? お前の護符ってなんだよ?」
「あら、わからない? 円珠、あんた昨日、今日で何か思い当たることなかったかしら? 自分の能力が上がってるって」
「……あ」
確かに、鏡禍に捕縛をかけた時も驚くほどすんなりだった。今朝も、低級霊が自分の姿を確認するや、消えたことを思い出す。しかし、護符など受けた覚えは……と考え、思い当たる。
「もしかして、あの、キ」
まで口にし、やめる。
「ふふ、思い出してくれた?」
にまにましながら、杜波里が円珠に這い寄る。じりじりと間合いを詰められ、座ったままの姿勢で円珠が後ずさる。
「私からの口付け。ええ、それが護符よ。もっとお近付きになれば、あんたはもっと強くなるかもしれないわよ?」
「そ、そんなっ」
壁際に詰められ、後がなくなる。杜波里が腕を伸ばし、壁に手をつく。いわゆる、壁ドン状態だ。
「あんたの心は私のもの……ねぇ?」
顔を寄せてくる杜波里。円珠が慌てて押し退ける。
「誰がお前のものなんだよっ。俺の心は俺のもんだっ」
するりと杜波里の腕をすり抜け、立ち上がる。
「もぅ、つれないわね。せっかく可愛い女の子から猛烈なアタック受けてるのに、逃げ出すなんて」
杜波里が立ち上がり、制服のスカートをパンパンと叩く。
「可愛い女の子って、お前なぁっ」
言いたいことは山ほどあるが、そこでやめておく。
「ま、それはおいおい。で、本題だけど。あんたの寺にある秘密はなに?」
「……は? 秘密?」
唐突な質問内容に、戸惑う。昔からあそこにある、由緒正しい寺だとは聞いたことがある。しかし高森家があの地に来たのはそんなに昔でもない。せいぜい百年程度だ。それより前がどうだったのかは、それ以前の住職じゃなければわからないだろう。
「謎の妖魔は、あの地に執着があるみたいなのよね。だから、昔、あの寺と何か因縁でもあったのかと思ったんだけど」
「雨音庵に……」
こじんまりとした寺だ。有難い仏像が収納されているわけでもなく、有名な誰かの墓があるわけでもない。少なくとも、そんな話は聞いたことがない。が、もしかしたら有り難い昔の書物でも残っているのか、などと考える。
「その辺の話はあとで調べるわ。まずは中級以上の妖魔を探さなきゃ」
「探してどうすんだ?」
「私の中に取り込むの。力を付けておかないと。いざという時ガーゴイルはあてにならないってわかったし」
掌をバッと円珠に向け、杜波里。鏡禍のことを吸い込んでいたことを思い出す。
「それって……謎の妖魔がしようとしてることと同じじゃないのか?」
他の魔を取り込んで強くなる。杜波里自身が、謎の妖魔である可能性だってある。
「そうね、同じかもしれない。でも、少なくとも私はこの世界を滅ぼそうとは思ってないわよ?」
そう言っておちゃらける。杜波里の見た夢が本当に予知夢だったとするなら、彼女が守ろうとしているのは自分の身。だが、それなら自分より弱いガーゴイルの存在など、邪魔にしかならないと思うのだが。
「お前……本当は何がしたいんだ?」
思わず疑うようなことを口走る。相手は魔物の類だ。容易に信じていいのか、甚だ疑問だった。しかし杜波里は気を悪くする様子もなく、しれっと言った。
「私は、人間も妖かしも、干渉することなくお互いの距離感の中で共存できればいいと思ってるだけ」
そう言って、少し寂しそうに、笑った。