第五話 冥約
「兄さん!」
円珠が体をくねらせる。放たれた刃は、術を解かれたばかりの雨継の体を容易く貫いてしまう。このままでは雨継の命が危険だった。
しかし、円珠の心配を他所に、放たれた刃がピタリとその動きを止めた。
「な、なにっ?」
怯む、鏡禍。その向こうで、雨継が立ち上がり、目を閉じたまま指で印を結ぶ。
「……クソがっ、復活なんか企んでるんじゃねぇよ!」
相変わらずの輩っぷり。砂羽がホッと胸を撫で下ろした。
「……雨継」
名を呼べば、声のする方へ顔を向け、ニヤリと笑う。
「よぉ、円珠、砂羽。元気そうだな」
「なに言ってんのよ! あんた今の状況、わかってんのっ?」
もがきながら文句をつけると、辺りを一瞥する。憤慨している鏡禍と、拘束された砂羽と円珠。そしてもう一人、赤い髪の妖かし……。
「おのれ、おのれおのれおのれ!」
殺気立つ鏡禍の顔の部分に、血まみれの雨継の姿が映し出される。
「血祭りにしてくれるわ!」
モヤモヤと溢れる黒い霧。妖かしが放つ、負のオーラ。人間たちの怨念が詰まった、呪いの霧だ。
「これ以上お前を存在させる意味はねぇ! とっとと失せな!」
雨継がそう言うと、鏡禍に向かって念を放つ。
「南無、散!」
雨継の掌から光の球のようなものが飛び出し、鏡禍に放たれる。
「くっ」
鏡禍がそれを飛んで躱した。
「あ~あ、ハズレ~! さすが鏡禍様!」
二人の戦いを見ながら、杜波里がキャラキャラと笑う。
「笑ってんじゃねぇぞ、こら!」
顔をしかめ、雨継が杜波里に文句を言う。
「円珠、鏡禍を捕縛しろ!」
「へっ?」
いきなり名を呼ばれ、円珠が焦る。捕縛しろと言われても、今は体の自由が……
「あ」
拘束が解かれていた。何故? どうして? と疑問が沸きあがるも、今はそんなことを考えている時ではない。急いで印を結び、鏡禍に向けて放つ。
「縛!」
見えない縄が鏡禍に向け飛んだ。しかし、さっき杜波里を捕らえようと試みたが失敗している。円珠の破穢の力では、足りないのだ。……そう、思っていたのだが。
「ぐあっ」
「……成功、した?」
杜波里には効かなかった術が、鏡禍には効いている。見事、鏡禍は円珠の力で捉えられた。
「よし、じゃ砂羽!」
「え?」
同じように砂羽も、いつの間にか拘束を解かれていた。
「浄化!」
命を受け、砂羽が手首に巻いていた数珠を外す。外した瞬間、数珠はその長さを変え、まるで宙を泳ぐヘビのような自在な動きを見せる。
「映せし影、今ここに絶つ。真の名を返し、鏡よ鎮まれ。鏡禍よ、無に還れ!」
数珠がばらけて、鏡禍を囲う。その一粒一粒が鏡禍に向け打ち込まれる。
「ぬぅぅ……ぎゃぁぁ!」
鏡禍が苦しみ出す。悶え、膝を突いたが、消え去るまでには至らない。
「仕上げだ、杜波里!」
「えっ?」
「はっ?」
円珠と砂羽が雨継を見遣る。聞き違いじゃないならば、雨継は杜波里の名を呼んだのだ。
「鏡禍様、お別れね! ……縁尽きたる魂よ、理の渦に沈め。我の力となり、その命を捧げよ!」
杜波里が叫び、掌を差し出す。風が巻き起こり鏡禍を捕らえると、そのまま絡め取るかのように鏡禍の体が杜波里の掌に吸い込まれていった。
「はい、終了~」
パンパン、と埃を払うかのように手を叩くと、杜波里が雨継を見る。
「ざまぁないわね、雨継」
小馬鹿にしたような態度。
「少し計算ミスっただけだ、バーカ」
大人気ない返しだ。
「……兄さん、これって」
眉を寄せ、円珠が話を振ろうとするも、
「雨継!」
砂羽が駆け寄り、雨継に抱きつくことで中断される。
「馬鹿! ずっと心配してたんだからねっ?」
「悪かったよ、砂羽」
しがみつく砂羽の背中を、雨継が抱き締める。そんな二人を見て、円珠は頭を掻いた。
「当てられちゃったわねぇ」
杜波里が近付き、言った。円珠はパッと身構え、
「お前っ」
と口にしたものの、二の句が続かない。杜波里はあの鏡禍を取り込んだ。初めの言いっぷりから、鏡禍の仲間……もしくは手下だと思い込んでいただけに、衝撃だった。
「なにか疑問?」
「だって、お前『鏡禍様』とか言ってたしっ」
「ああ、それはほら、ドキドキさせるための演出っていうか? 私のこと敵だと思ったでしょ?」
「なっ、なんのためにそんなっ」
完全に騙されていたのだ。
「演出、なんて言ったら軽いかしらね? “油断させるための作戦”とでも言えば納得? ダーリン」
くす、と悪戯っぽく微笑む杜波里を前に、焦る。
「だ、ダーリンて、なんだよっ」
「照れてるの? 私たち、もうただならぬ関係じゃない。ねぇ?」
首を傾げるその姿は、妖かしでなければ可愛いのかもしれなかった。
「おい、杜波里!」
雨継に呼ばれ、杜波里が顔を向ける。
「なによ、いいとこなのに」
口を尖らせる杜波里。そんな二人を、円珠と砂羽が口を開け見つめる。
「……これはどういうことなのよ、雨継」
砂羽が雨継を見上げると、雨継が肩を竦めた。
「詳しく話すよ。これからのことも含め、な」
そう口にする雨継の顔は、深刻そうだった。
◇
「こいつは杜波里。さっきの姿を見ての通り、妖魔だ」
本堂に場所を移し、四人は円陣を組むような形で膝を突き合わせていた。
雨継の隣で足を延ばし、リラックスした様子の杜波里は、黒髪の、ただの高校生の姿に戻っている。さっきまでの妖気も発してはいないし、至って普通に見える。
「なんで兄さんが妖魔と……」
「それなんだが」
ふぅ、と大きく息を吐き出し、雨継が続けた。
「鏡禍を封じた俺は、石化した状態で身動きが取れなくなっていた。そんな時、杜波里が俺の夢に出てきたんだ」
「夢に?」
「そ。私、こう見えて、獏なの」
杜波里が口を挟む。
「獏って……あの、悪夢を食べるっていう、あれ?」
砂羽が訊ねると、杜波里が頷いた。
「ま、それね」
「……で、その獏がなんで?」
「杜波里はある妖魔を探している。そいつは日々力を付けながら、この国のどこかに潜んでいるらしい」
雨継の話は、こうだ。
杜波里は夢を扱う妖魔である。夢の中には様々な思惑や思想が流れているが、中でも人間の業は夢を伝い人々へと移り行くことがある。恨み・怒り・憎しみ・憎悪などがある一定の場所へと集められていることを知り、調べることにした。故意的に負の感情を集めている存在があることまでは確認できたものの、その主までは辿り着けなかった。
「予知夢、ってのがあるのよ」
目を伏せ、語る。
「名のある占い師が、圧倒的な力を持つ妖魔が、力の強い他の妖魔を喰らい、この世界を滅ぼす、っていう予知夢を見たの」
それは今まで見たこともないおぞましい光景。人も、妖魔も関係なく、すべてが滅ぼされる有様を目の当たりにしたのだという。それを止めるためには、雨継のような「ガーゴイル」の力が必要であると、雨継に接触を試みた。
「雨継ったら、私の期待を他所にあんな雑魚相手に手間取ってさ」
完全に上から目線だ。杜波里の話によると、接触を試みた雨継は鏡禍に押されていたらしい。その原因が、身に着けていたペンダント……呪具だというのだ。
「あの呪具は力を増幅させるためのものだ。だが、鏡禍と一緒に石化したことで、鏡禍の力まで増幅させることになっちまった。石化状態で力を溜めた鏡禍は日に日に俺を押さえつけ、脱出の機会を伺ってやがったんだ」
忌々し気に口を歪める雨継。
「人間って不便よね。肉体の自由がなきゃ力を使えないんだもの。それに比べて妖魔の類は、石化してようが封印されてようが、力を取り込むことさえできれば成長も出来るし力を使うこともできるの。あのまま放置してたら雨継は鏡禍に取り込まれてただろうし、鏡禍は勝手に復活してたでしょうね」
そして復活した鏡禍は、杜波里の追う「謎の妖魔」に食われて、糧となった可能性がある、とのことだった。
「そんなわけで、俺は杜波里と契約を交わした」
「契約って、まさか冥約を結んだのっ?」
砂羽が身を乗り出す。
冥約……。
それは妖かしや悪霊と契約を結ぶこと。多くは対価を支払うことで成り立つものであり、相手が強ければ強いほど、対価も大きくなる。杜波里の力は相当なものだ。だとするなら、雨継は一体何を対価にしたというのか?
「まさか、兄さんっ」
円珠が血の気の引いた顔で詰め寄ると、雨継は深刻そうな顔で円珠を見た。
「仕方なかったんだ」
「そんなっ」
砂羽が息を飲む。
「……円珠、お前の青春を俺にくれ」
「…………は?」
「え?」
円珠が首をかくんと横に倒し、砂羽が目を丸くする。
「お前の青春。それが対価だ」
「……意味が、わからない」
「青い春と書いて、青春」
「漢字はわかる!」
「そうか」
雨継が腕を組み、頷いた。
いやな予感がする。
「兄さん、一体何を差し出したんだっ?」
ずりずりと雨継のところまで這い、腕を掴んで揺さぶる。
「いやぁ、杜波里がさぁ」
言いづらそうに言い淀む雨継の胸倉を掴む。
「兄さんっ?」
「杜波里が、彼氏が欲しいって」
「はぁぁぁぁぁぁ?」
本堂に、円珠の悲鳴が響き渡った。