第二十六話 日凪神
すべてが片付いた。
勝手にそう思っていたのに、それが間違いであったと知ったのは、すぐのことだった。
屋根に大きな穴が開いた本堂には、畏まった光砂と砂羽が座っている。その向こう、ひときわ強いオーラのようなものを出し鎮座するのは……
「日凪神……?」
白と金を基調とした神衣。藤の花びらを陽に透かしたかのような長い髪。絶対的存在感。
「主様、連れてきました」
杜波里が声を掛けると、光砂と砂羽が顔だけを向け、安堵の表情を浮かべる。
「揃いましたか」
静かに響く凛とした声。雨継と円珠に、緊張が走る。
「先程の隠ら木の帝ですが」
目を閉じ、何かを探るように、考え込む。
「ふむ。あれはやはり、虚妄なる者」
「えっ? 虚妄って……」
「偽物だってのかっ?」
円珠と雨継が声を上げる。
「……ええ。あれはただの偽りに過ぎません。本体は、別にある」
ゆっくりと目を開け、雨継を見る。
「そなたは先程、祠を壊しましたね?」
とがめられたと勘違いし、雨継が焦る。
「あれはっ、その、事情があってっ」
「いいのです。そなたのした行為は、正しい」
「……へ?」
怒られるどころか肯定され、拍子抜けする。
「あの祠は、隠ら木の帝を封印するためのとば口であり、同時に蓋の役目をしていました。しかし、こうして私の半身が外に出されてしまった今、あの祠の蓋を開け放たなければ、私は完全に甦生できなかったでしょう。私はそなたのおかげで、ここにいると言っていい。そなたの判断は、正しい」
「それは……よかった、です」
勘だけで動いたのだが、正しかったと言われ、安堵する。内心「マジで蓋だったのか」と驚いていた。それより、今の言葉を正確に聞くなら、勘で祠を壊していなければ、完全に詰んでいたということになる。なんとも背筋が寒くなる話だ。
「……そして円珠、と言いましたか」
「え? あ、はいっ」
思わず背筋が伸びる。
「ホロを還してくれて、ありがとうございました」
礼を述べられ、こちらも焦る。還すも何も、元々曽祖父の早とちりで閉じ込めてしまっただけだ。迷惑をかけたのはこちらの方である。
「とんでもないですっ! 色々迷惑かけちゃってっ」
慌てて手を振ると、日凪神がぷっと吹き出す。
「え?」
「あ、いえ、失礼。今の雨音庵は、随分きちんとしているのだな、と思いまして」
「あ」
他力本願寺。そうだ。この寺はそんな名前で呼ばれていたのだ。
「いや、でも結果的には杜波里に助けてもらったんだ。結局は他力本願だよな」
雨継が素直にそう口にすると、日凪神は腕を組み、小さく「ふむ」と言う。それから改めて雨継と円珠を見、ポンと手を叩いた。
「そうだ。ククリ……今は杜波里だったね、護神具は渡したのですね?」
「はい、主様」
「お二人に渡した護神具は、私の力の一部が込められたものです。大いに役に立つと思いますよ?」
そう言って、微笑む。しかし次の瞬間には、真顔に戻る。雨継と円珠を交互に見遣り、
「では、そろそろ参りましょうか」
と言うと、スッと立ち上がる。
「行くって……どこへ?」
雨継が訊ねると、日凪神は目を細め、宣言する。
「本体のところへ」
「え?」
「本体……」
「隠ら木の帝というのは、無那)の幻影。そして無那というのは、地下深くに眠る“忘れられた神々の記憶”を喰らい続けている厄介な魔物でしてね。長らく私が抑え込んでおりましたが、ククリとホロが消え、私の力が弱まってしまったのです。そこに付け込まれた」
ククリは自らの意志で寺の外へ。ホロはアクシデント的に呪具に閉じ込められ、自由に動かせる手足を失った日凪神は、ある時、祠の近くにホロがいる気配を感じた。慌てて祠から手を伸ばしたが、無那に気付かれ、邪魔をされてしまう。祠を壊したのは円珠ではなく、無那だったのだ。そして無那は日凪神の力の一部が外の世界にあると知り、それを手に入れるために、隠ら木の帝というハリボテを創った。
「他力本願寺の皆さん。今度ばかりは、あなた方の力を使わせていただきます。私は力の大半を無那に取られてしまい、ほとんど何も出来ません。ですが、護神具によって皆さんの力は格段に上がっているはずですし、大丈夫でしょう?」
何やら含みのある言い方をし、にっこりと笑う。そして杜波里を見ると、
「では、後は頼みますよ」
と告げ、大きく手を広げた。
パン!
日凪神が手を叩く。その瞬間、畳だったはずの床が消えた。
「え?」
「は?」
重力というものがある。なので、床が消えれば、体は下へと落ちるのが常。
「きゃぁぁ!」
「ひょぉぉぉ!」
雨継・円珠・砂羽・砂光が本堂の床下へ(?)落ちた。それを追うように、杜波里が大穴へと飛び込んでいった。
「うむ、それでは待つとしましょうか」
日凪神はそう口にすると、涅槃のポーズをとり、目を閉じたのである。
◇
見たこともない光景だった。
ここがどこなのか、誰にもわからない。ただ、穴に落ちたという感覚からすると、ここは地底の奥底、となるわけだが。
「まるで迷宮ダンジョンって感じだけどな」
雨継が楽しそうな声を出す。
確かに、暗い洞穴のようなところを進んでいる。ゲームなどに出てくる地下ダンジョンのイメージはある。
「ダンジョン? なにそれ」
杜波里の質問に、円珠が答える。
「地下とか洞窟とかにある、モンスターが出てくる場所のことだよ。まぁ、ゲームとか小説の話だけどね」
「ふぅん」
「……しっかし、俺たちだけで倒して来いとは……神様ってのは怠惰だな」
全員参加かと思いきや、当の本人である日凪神だけが来ないという現実に、少しばかりむくれている雨継である。
「仕方ないでしょ? 主様は隠ら木の帝のせいで力を使いすぎたんだもの。私とホロが還った後、ギリギリのタイミングで分離できたのが奇跡だわ」
せっかく戻った式神の力を、また手放したのだ。それはある意味、計略でもあるが。
「それに……」
無那と対峙するのは、日凪神より人間である雨継たちの方が有利なのだ。
「無那は特殊なの。“忘れられた神々の記憶”を蓄えてる。つまり、八百万の神たちの手の内をよく知っているってこと」
「“忘れられた神々の記憶”ねぇ……」
わかった風に呟く雨継に、円珠が訊ねる。
「それってなんなの?」
「知らん」
「はぁ?」
ただの知ったかぶりだった雨継の言葉に、大きなため息を吐いたのは、父であり雨音庵の住職でもある光砂。
「はぁ、まったくお前ってやつは。……いいか、八百万の神ってのは、信仰の衰退だったり、その神を祀っていた村や町の消失、人々の記憶からの忘失なんかで消えることもある。そういった、忘れ去られた神々の記憶を喰い漁ってたのが無那という妖かしだ」
「へぇ、詳しいな」
雨継が驚いていると、今度は砂羽が溜息を吐く。
「……さっき日凪神に聞いた話だもん、知ってて当然よね?」
ネタをばらしてしまう。
「なんだよっ、知ってたのかっ」
突っ掛かる雨継に、光砂も言い返す。
「俺はお前みたいに、知らないことを知った風に話したりはしないからなっ! ちゃんと質問して知り得た情報だっ」
ドヤ顔で言い張る。
「どっちもどっちね」
杜波里が呆れた顔で言うと、二人は黙った。
「ま、そんなわけで主様よりあんたたちの方が有利なのよ。今までさんざん主様に助けてもらったんだから、恩返しなさいよ? 他力本願寺の皆様」
確かに、雨音庵が由緒正しき寺だったのは、すべて日凪神のおかげであると言ってもいいくらいだ。しかしそれは高森家が来る前の話。……とはいえ、関係ないとも言いづらい。
「いっちょ、やってやるか~」
雨継が右腕をブンブン回す。
「雨継……あなたさっきもらった護神具の威力を試したいだけなんでしょ?」
砂羽が鋭いツッコミを入れる。雨継は軽く肩を竦めると、
「それは親父も円珠も同じはずだぜ?」
と、二人を巻き込んだのである。
勿論、否定する声は上がらなかった。




