第二十五話 激闘
「馬鹿め。祠を壊したとて、何にもならぬわ!」
濡れミミズ……隠ら木の帝が顔を引き攣らせながらじりじりと間合いを詰めてくる。雨継も円珠も、何とかその歩みを止めようと術を繰り出すが、ことごとく躱され、当たらない。
「くそっ」
雨継が肩で息をしながら悪態を吐く。円珠もまた、肩で息をしながら隠ら木の帝を睨みつけた。こんなことを続けてなんになるのか。祠の中にあのミミズを追い込むことなど、到底出来そうもなかった。
「兄さん、ここから先は……?」
なんだか嫌な予感がして、訊ねる。
「悪ぃな、円珠。なんとか時間稼ぎしたかったんだが、これ以上は難しそうだ」
「は? 祠の話は?」
「思い付き」
「はぁぁ?」
状況を完全に無視し、円珠に向け、叫ぶ。
「俺たちが時間稼ぎしてる間に、あの神さんが目ぇ覚まして助けに来るっていう作戦だった」
だから、あの場を離れる必要があったのだ。
「……他力本願」
半眼で雨継を見る円珠。
「何をごちゃごちゃ話している!」
隠ら木の帝がイライラしながら言った。雨継が元気よく答える。
「てめぇをどうしてやろうかっていう作戦会議だよっ!」
とんでもない男だな、と改めて思う円珠である。もはや隠ら木の帝も限界のようだ。その気持ちは、なんとなく円珠にも理解できた。
「悪あがきもここまでだ。二人仲良く、その命を差し出してもらお」
「なんのために!」
普通、悪役が何かを言った後には、技が繰り出され、主人公は窮地に陥るものだ。雨継とて、重々承知している。まさに今が、その時だと感じていた。だからこそ、間髪を入れず被せ気味に言葉を発した。案の定、隠ら木の帝はテンポを崩され、一瞬の隙が生じる。
「南無、散!」
ザザッ、と隠ら木の帝の衣が破かれる。
「チッ、ズレたか」
雨継とて、限界なのだ。なんとか一矢報いたいところではあるが、これ以上は難しい。とするなら、なんとかして円珠をこの場から逃がさなければならない。ざっと辺りを見ると、祠のあった場所にくぼみが見える。
「一か八かだな」
ボソッと呟くと、瞬間、隠ら木の帝が「ウオオオオオ」と吠える。雨継は円珠の腕を掴むと、そのまま円珠の体を背負い投げのようにしてふっ飛ばした。
「うわぁっ!」
円珠が半円を描き、飛ぶ。隠ら木の帝が雨継目掛けて術を放った。雷鳴と鈍い爆音。水しぶきが飛び辺りに一瞬霧が生じる。投げ飛ばされた円珠は、祠のあった場所へ落ち、木片にぶつかりながら穴の中へと落ちた。直後に起きた爆発に驚き、腕で頭を庇った。目の前が一瞬、明るく光る。
雨継に投げられた。何故? こうなることが分かっていたからだ。
「兄さん!」
泥だらけになりながら、なんとか穴から這い出す。土砂降りの雨と、霧で辺りがよく見えない。雨継は今の衝撃をもろに受けたのだろうか。だとしたら……。心臓が早鐘を打つ。雨の音以外、何も聞こえない。
「くっ」
したたかに打ち付けた背中が痛い。力一杯投げられたのだ。受け身すらままならなかった。
「兄さ……ん」
ザバザバと降り続ける雨のおかげで、泥だらけの体か綺麗になっていく。顔を腕で拭い、ふらりと立ち上がる。痛いのは体ではなかった。取り返しのつかない事態になっていたら……そう思うと、喉の奥が詰まる。
「まだ生きているか、人間」
円珠が絶望に支配される。隠ら木の帝は……まだ、そこにいる。
だからといって、諦めるわけにはいかなかった。急いで印を結ぶと、仕掛ける。
「斬!」
黒い影に向け、放つ。しかし刃は黒い影に届く前に、パチンと弾かれてしまった。
「いい加減諦めるがいい!」
しゃがれた声が、死刑宣告にも似た言葉を投げかけてくる。
「……諦めろ、だと? やなこった」
ゆらり、ゆらりと一歩ずつ足を前に出す。
「最後まで諦めてたまるか!」
湧き出る感情が怒りなのか、正義感なのか、使命感なのかわからない。ただ、ここで自分が諦めてしまえばすべてが終わる。……多分。闘志だけは残っている。逆を言うなら、それ以外何も持ち合わせていない。
「心意気だけは褒めてやろう。だが、これからお前は死ぬ。そして私が少しずつ、この地を支配していくのだ。人間などという愚かな生き物は根絶やしにしてくれる!」
「お前が! ……お前がどんな思いで、どんな経緯でそんな風に歪んだのかは知らねぇけどなぁ、そんな簡単に『はいそうですか』ってくれてやる命なんざ、ねぇんだよっ!」
「……ごちゃごちゃ煩いやつだ。もういい。消えろ」
老人の顔をした仮面がにたりと笑う。掌を円珠に向け、刃を放つ。
万事休す、だ。いくら偉そうなことを言ったとて、もはや円珠にやり返すだけの力など残ってはいなかった。それどころか、放たれた刃を避けるだけの力もない。なんと無様な……そう思い、目を閉じようとした、その時だ。
「円珠!」
叫んだ誰かが、円珠の体に抱き着き、そのままもつれ合うようにして地面に転がった。せっかく少しだけ綺麗になったのに、また泥だらけだ。転がりながらそんなどうでもいいことを考える。そして視界が赤く染まる。赤……。
「赤っ!?」
腕を付き、半身を起こす。腕立て伏せの時のような姿勢だ。そして円珠の目の前、地面に寝そべって倒れているのは、赤い髪に、赤い瞳の少女。
「……杜波……里?」
まるで杜波里を押し倒しているかのような格好にあると気付いた円珠は、しかし、その赤い瞳から目を離せずにいた。
「馬鹿円珠! 避けるだけの力も残ってないのに、なに煽ってんのよ!」
「あ、ごめん」
思わず、条件反射で謝ってしまう。
「じゃないよ! 杜波里、お前一体っ」
日凪神に吸い込まれるように姿を消した杜波里。日凪神に還るっていうあの流れだと、一体化して消えてなくなるようなイメージではないのか?
「いいから退いて!」
覆い被さっている円珠を押し退け、立ち上がる。隠ら木の帝が少し首を傾ける。
「なんだ、お前は?」
「私? 私はね……あんたを滅する者よ!」
そう言うと、天高く手を伸ばす。
「夢喰ノ牙!」
叫ぶと同時に、漆黒の大鎌が現れる。死神が持ちそうなその大鎌を、杜波里が手にし、構える。
「私を滅するとは、大きく出たな。その鼻、へし折ってくれるわ!」
隠ら木の帝が、癇癪を起こした子供のように両手を四方へと向け、刃を放った。水しぶきを上げ飛んでくる刃を、杜波里が大鎌で薙ぎ払う。ビュオンと風を裂く音がし、隠ら木の帝が放った刃を吹き飛ばす。
「悪いけど、これ以上あんたの茶番に付き合ってられない」
「な、なんだとっ?」
「あんたは虎の威を借る狐。でしょう?」
にんまり笑うと、大鎌を振り下ろし、隠ら木の帝の首を刎ねた。
「ぎゃぁぁぁぁぁ!」
断末魔。と共に雨が止み、少しずつ、雲が晴れる。一部始終をただ驚愕のうちに眺めていただけの円珠は、口を開けたままなにも発せずにいた。
首を刎ねられた隠ら木の帝からは黒い煙霧が流れ出す。しかし、その煙は霧散して、やがて大気に溶けるだけだった。
「……杜波里、そのっ」
一瞬で片を付けた杜波里の力は、今までとは段違いだった。一体何が起きているのか、円珠には知る由もなく、掛けるべき言葉が何なのかもわからない。
「円珠、立てる?」
差し出された手を無意識に握り返すと、すごい力で体を引っ張られる。立ち上がると、床に転がる男の姿を発見し、一気に背筋が凍り付いた。
「兄さん!」
自分を庇い、隠ら木の帝からの攻撃をもろに喰らった。ピクリとも動かない雨継の体を見、円珠は絶望的な気持ちになる。が、
「雨継、いい加減、狸寝入りやめて」
冷たい声で杜波里に言われ、雨継はむくりと起き上がり、肩を竦めてみせる。
「……はっ、生きて……た」
脱力し、力が抜ける円珠の腕を、咄嗟に杜波里が支える。
「もぅ、しっかりなさい!」
「ごめん」
さっきから謝ってばかりだ。何故か杜波里には強く出られない。聞きたいことも言いたいことも山ほどあるのに、言葉が、出ない。
「雨継、これを」
杜波里がポイ、と何かを投げた。雨継がそれをキャッチし、まじまじと見遣る。それは小さな金色の指輪。
「え? プロポ」
「違う」
雨継が言い終える前に否定する。
「左の小指に付けて。それがあんたの護神具。円珠はこれ」
渡されたのは、赤い石の付いた小さな……
「これ、ピアス?」
円珠の耳にはピアスの穴など開いていない。戸惑っていると、杜波里が
「貸して」
と、円珠の手からピアスを奪う。そして、躊躇なく円珠の耳たぶを掴むと、ぷすりと針を突き刺したのだ。
「痛ぇっ」
「あら、大袈裟ね」
指先についた円珠の血を、杜波里がぺろりと舐めた。




