第二十四話 分裂
もう、祠からの煙霧は殆ど出切ったと言っていいだろう。線香ほどの細い煙が立ち上ってはいるものの、さっきまでの勢いはなくなっている。
煙霧の集まった場所には、人型が出来上がっていた。白と金を基調とした神衣を身に纏い、腰には紐のようなものが巻かれている。肌は白磁のように滑らかで冷たく……杜波里の知る日凪神と違うのは、その髪の色だけ。
藤の花びらを陽に透かしたかのようだった美しい髪は、真っ黒に染まっていた。
「いよいよだな」
少し離れたところで「その時」を待つ雨継、円珠。更に後方には光砂と砂羽が控えている。
「私が合図したら、円珠は主様を捕えて。雨継は遠慮なく浄化を」
「大丈夫なのかよ?」
「私が入り込む隙を作ってほしいの」
「なるほど、了解」
雨継が頷く。
「そこから先は?」
円珠が不安そうに杜波里を見る。うまくいかなかったら、その時は……。
「大丈夫。私を信じて」
杜波里が円珠に歩み寄った。そして両手で円珠の頬を包み込むように挟むと、そのまま口付けをする。ホロがいなくなった円珠にキスをしたところで、円珠の破穢の力には何の効力も与えられないとわかっている。なのに、何故まだ引っ掛かるのか、杜波里にはわからない。ただ、円珠に懐かしさを感じる。その感覚は、ホロがいなくなった今も変わらなかった。
「ちょっ」
円珠は耳まで赤く染め、後退ると、口に手を当てた。
「おいおい、見せつけてくれるなぁ~」
ニヤニヤしながら雨継が円珠の脇を突いた。
「護符よ」
杜波里はふふ、と笑い、日凪神に向き直る。
「そろそろね。いい?」
杜波里の呼びかけに、全員が頷いた。日凪神はシュウシュウと音を立て、禍々しいオーラを出しながらゆらりと揺れている。ゆっくりと、その目を開いた瞬間、
「今よ!」
杜波里が叫ぶ。円珠が印を結び、叫んだ。
「縛!」
見えない鎖が日凪神の体に巻きついた。少しだけ、苦悶の表情を浮かべる日凪神に、今度は雨継が叫ぶ。
「南無、散!」
幾重もの風の刃が日凪神に向け放たれる。大きく口を開き、グォォォという唸り声を上げた日凪神に向かって杜波里が駆け出した。
「主様!」
まるで父親の胸に飛び込んでいく子供のように、杜波里が日凪神へ飛び込んでいく。そのまま抱きつくように絡みつくと、杜波里の体が溶けて消えてゆく。吸い込まれる杜波里の体。日凪神が悶え苦しみ、その場に膝を突いた。
「……杜波里」
円珠が眉を寄せる。狙い通り、二つに分かれるのか……。
「ぐあぁぁぁ!」
頭を抱え込み叫ぶ日凪神。その体が、ブレる。その体から黒い塊が少しずつはみ出し始め、やがて弾かれるように飛び出した。押し出されたかのように投げ出されたのは、仮面をつけた老人の顔。白い髪は乱れ、地中に蠢く巨大な黒曜の体。巨大な黒ミミズと人間が交じり合ったかのような風体である。
「うわ、グロッ」
雨継が率直な感情を告げる。
片や、日凪神の髪の色は美しい藤色。分離は成功したと思っていいのだろうか。
……だが
「どうしたんだ?」
日凪神は跪いたまま動かない。それに比べ黒ミミズは頭を振り、体勢を立て直しつつあるのだ。
「おのれ、もう少しで私のものになるはずだったというのにっ」
しゃがれた声。真っ黒な瞳は闇の色。仮面をつけているというのに、その顔が自在に表情を映し出す様は不気味だ。
「許さん……許さんぞ!」
ピカッと目の奥が光る。ボンッという爆発音とともに、地面が盛り上がり、破裂する。
「うわっ」
「おっと」
雨継と円珠が飛び退く。
「円珠、捕縛!」
雨継が老人を指した。円珠は印を結び、老人に向かって術を放つ。
「縛!」
しかし、見えない鎖はいともたやすく弾き返されてしまう。
「全然効いてないっ!」
円珠が叫ぶと、雨継が隣で舌打ちをする。
「南無、散!」
雨継が続くが、やはり一蹴されてしまう。
「人間どもめ、お前たちのような者が、この私に敵うわけがなかろう!」
ドゥン、ドゥンッ
地面が蠢き、割れる。雨継も円珠も、なんとか躱すのが精一杯だった。視線をくべるが、未だ日凪神は動かない。
「どこの死にぞこない悪霊か知らないが、なかなかやるな」
雨継が煽る。と、老人は顔を引き攣らせ、名乗った。
「私は悪霊などという下賤な生き物ではない! 我が名は隠ら木の帝。地中に棲まい、忘却と記憶を司る、古の神々と繋がりを持つ神の末裔! 私を地中に沈め、閉じ込めた恨みをいつか晴らしてくれるとずっと機会を伺っていたのだ。やっと! やっとその機会が得られたというのに!」
「神の末裔って……」
円珠が息を飲む。
「どうせあれだろ? 危険思想の持ち主で、他の神様に『こいつは危ない』って判断されて葬られたクチなんだろ?」
余計なことを、正確に言い切ってしまう雨継。それを聞いた隠ら木の帝が目じりをピクピクと引き攣らせた。
「邪魔な虫けらどもめ、覚悟するがいい!」
次の攻撃が来る。
「円珠、俺に考えがあるっ」
「え? どうするのっ?」
「付いてこい!」
そう言って、雨継が駆け出した。円珠がその後を追うと、後ろから隠ら木の帝が追いかけてくるのが見える。ミミズっぽい見た目でありながら、案外素早い動きに焦る。
「キモッ」
振り向いた雨継が呟いた。
「兄さん、どこへっ?」
「祠だ! あの祠を壊す!」
「は? なんのためにっ?」
「あそこがあのミミズの巣だ。それを塞いでたのが日凪神ってことだろ。ヤツをあの祠に押し込んで、もう一度蓋をするんだよっ!」
走りながら説明をし、裏山近くの祠へ走った。
「そんなうまくいくのかよっ?」
「知るか! とにかく今は、出来ることを」
ドゥンッ
地面が破裂する。
「うわっ」
雨継が飛ばされた。
「兄さん!」
円珠が駆け寄り、腕を引き、立たせた。隠ら木の帝はすぐそこまで迫っている。
「くそっ、あんな体でよく器用に動きやがるな、おいっ」
それに関しては同意だが、あまり煽るようなことを言ってほしくはない円珠だった。
「愚かな! こんなところで何をしようというのだ!」
隠ら木の帝に問われ、雨継が言い返す。
「お前のその巨体を、もう一度地底の奥底に埋めてやるって言ってんだよ!」
「ちょっとぉぉ!」
喧嘩腰に挑発する雨継に、円珠が思わず悲鳴を上げる。
「ほほぅ、お前ごときがこの私を封印できると? 笑止!」
完全に馬鹿にされている。それはそうだ。日凪神ですら対等か、押され気味だった相手なのだ。それを雨継と円珠……いくらガーゴイルだとは言え、そこまでの力があるわけではない。無謀どころか、命知らずもいいところだった。
「円珠、俺を援護しろっ」
「はぁっ?」
「あいつを切れ!」
雨継に言われ、咄嗟に印を結ぶ。
「斬!」
見えない刃を放つ。
ザシュッ、という鈍い音と、隠ら木の帝の低いうめき声。
「ぐぅぅ」
「え? 効いた?」
その間に、雨継は印を結び、唱えた。
「南無、散!」
ボンッという音と、砕け散る祠。完全に壊れた木片を見て、明らかに顔をしかめた隠ら木の帝。
「円珠、手を緩めるな!」
言われ、ハッとする。印を結び、放つ。
「斬!」
しかし、躱されてしまう。
「もう一発、斬!」
ズシャッ、と大きな音がし、隠ら木の帝の面が、少しだけ、欠けた。
「おのれぇぇぇ」
地の底から這うような声で、目を吊り上げる。完全に怒らせた。ヤバい、と思った時には、もう遅かった。
ドウンッと、今までで一番大きな音がし、地面が裂ける。飛び散った土の欠片が体中に当たる。鈍い、痛み。
「くっ」
弾き飛ばされ、体が投げ出される円珠。
「二人まとめて、地獄に送ってくれるわ!」
隠ら木の帝が、両手を天高く突き出した。ゴゴゴゴ、と地鳴りの音が響き、空が一気に曇り出す。急に降り出した雨は、瞬く間に滝のような豪雨となり、二人の体を濡らしていった。




