第二十一話 杜波里の正体
「和尚、それほんと?」
「ほんとなの~?」
朝、ククリとホロが、「人形はもう呪いから解放された」と告げると、和尚がおかしなことを言い出したのだ。
「本当だとも! この人形は名のある人形師が作った、大層有名な作品だそうだ。呪いの人形だからとこの寺に送られてきたが、呪いが解けたら買い戻したいという話でな。こりゃ高く売れるぞ~!」
ウキウキした顔でそう言った。
「お人形、さよならなのかー」
「さよならかー」
「なんだか寂しい~」
「いなくならないで~」
駄々をこねる二人など一切無視で、和尚はウキウキ顔だ。
「ワシがこの寺を留守にする間、ここのことはお前さんたちに頼むぞ」
「えー? 和尚、お寺放っていくのー?」
「それってだめじゃないのー?」
ククリとホロが腰に手を当て抗議するも、和尚はどこ吹く風、である。
「何を言うか! どうせワシがいたって何の役にも立っておらん。そんなこたぁ、自分が一番よく知っておるわ。お前たちと、お前たちの神さんがいれば大丈夫だろうて?」
「それはそうだけどさー」
「そうなんだけどさー」
不服そうでもあり、自慢げでもある二人だ。
「そうと決まれば支度をせねば! 半月もあれば戻れるでな。頼んだぞ!」
そう言うと、和尚は日本人形をその場に置き、旅支度のために母屋へと引っ込んだ。
「お人形、行っちゃうんだねぇ」
「そうだねぇ」
「ククリ、もっと遊びたかったなぁ」
「ホロもー!」
「……ねぇ、お人形の中に入ったらさ」
「入ったら?」
「お外に出られるのかな?」
「えええ?」
二人は、日凪神がいるこの寺の外へは出られない。この体は作りもので、日凪神から離れれば壊れて消えてしまうからだ。
けれど、人形は……?
きちんとそこに存在する、この人形の体があれば、外の世界にも行けるのではないだろうか。そう、考えたのである。
二人は顔を見合わせた。
「出られるのかも?」
「出られるかもね?」
顔を見合わせ、笑う。
「試してみる?」
「試したーい!」
ひとしきりはしゃぐと、まずはホロが人形の中に入る。手足を動かし、走ったりでんぐり返しをしたりする。
「自由自在だ!」
「なんでもござれ!」
「お外も出られる?」
「試してみよう~!」
ククリと人形が並んで歩く。雨音庵の門まで進むと、顔を見合わせ、頷き合う。人形が、そーっと門を乗り越え、外へ出た。
「出たね!」
「出られた!」
「すごいね!」
「すごいよ!」
「ククリもやりたい!」
「もちろんだよ!」
人形がテケテケと門の中へ戻る。ホロとククリが交代し、今度はククリが人形の中に入り込む。
「いざゆかん!」
「お気を付けて!」
ホロと同じように、そーっと門をくぐり、敷地の外へ出る。
「お外に出られた!」
「すごいね!」
「お外は広いね!」
「どこまでも行けちゃう?」
「行けちゃうかもしれない!」
「かっこいい~!」
ちまっとした日本人形が、門前ではしゃぐ。するとそこへ和尚が慌てた様子でやってきた。
「おいおい、大事な商品を外に出すんじゃない!」
和尚が門の外へ走り、人形を手にする。
「さぁ、出発するぞ」
そのまま風呂敷に包むと、懐へと押し込んだ。
「あらら、大変!」
ククリがまだ人形の中に入ったままだ。しかし和尚はそんなこととは知らず、どんどん寺から遠ざかる。追いかけたいが、ホロは寺の敷地から出ることはできないのだ。
「ククリ、行っちゃった……」
ぽつん、と残されたホロが和尚の後ろ姿を目で追う。
「ハッ! 主様になんとかしてもらうしかない! 主様~!」
パタパタと祠まで走る。が、この時間、日凪神は眠っているのだ。日暮れまでは何も出来ない。ホロはしばらく祠の周りをグルグルしていたが、そのうち諦めて本堂の畳の上に転がった。一人で本堂にいると、なんだか急に自分が偉くなったような気がした。
「今、この雨音庵を護っているのはホロだけ!」
それは、今まで感じたことのない、不思議な感情だったのである──。
◇
その頃、人形の中に入り込んだククリはひたすら静かに、耳を澄ませていた。
本当は和尚が人形を持ち上げた時、声を出すべきだったとわかっている。雨音庵の敷地に戻してもらい、人形から出なければいけなかったのだ。なのに、ククリは黙っていた。それは安易な冒険心。寺の外の世界を見たい、ちょっと遠くまで行ってみたいという、それだけだった。
和尚の下手な鼻歌が終わり、不安定なゆらゆらとした動きを感じると、つい気持ちよくなって眠ってしまう。目が覚めたころには、聞いたこともないような大勢の人の声や、なにかの動物の鳴き声が聞こえた。
夜、和尚は木賃宿と呼ばれる安宿で、酒を飲んでひっくり返った。ククリはその隙を突いて懐から這い出すと、辺りを観察する。何もないがらんとした狭い部屋に、和尚は布団も引かず横になっていた。人形を売れば金が入ると思っているせいなのか、気分良く飲めるだけ飲んで、宿まで辿り着いたのだ。
テコテコと入り口に向かうと、閉め切れていない襖の隙間から外へと出てみる。真夜中だけあって、起きている人間はいないようで、安心して動き回った。
ククリにとっては、見るものすべてが新鮮だ。沢山の建物が並び、山も見えない。月だけは雨音庵で見るのと同じだ。
「ホロ、いない……」
いつだって一緒だったホロがいないことを改めて感じ、急に不安になる。
「主様、怒ってるかなぁ」
黙って出てきてしまった。もう、寺からどれくらい離れたかもわからない。そして帰り道も……。
「主様……ククリ、帰れないかも~」
空に向かって呟く。呟いたとて、助けに来てくれるわけでもないのだが。
このままでは和尚に連れて行かれ、売られてしまう。
改めてそのことに気付いたククリは、雨音庵に帰ることを決める。道は、わからない。しかも人形の姿をしているため、進みも遅い。それでも、何とか来た道を戻ろうと、木賃宿には戻らずに道の真ん中に進み出たのだ。
「ぬぬ、これは一体、どういうことかっ?」
急に声を掛けられ、ククリは振り向いた。そこには和尚や村人とは違う格好をした、見たこともない男が立っている。
「人形が歩いておるとなっ?」
男が腰に手を置く。険しい顔で人形を見下ろし、言った。
「妖かしかっ」
スラリ、と腰に下げた刀を抜き、その切先をククリの鼻先に向けた。
「うわぁ、キラキラしてるー。これなにー?」
ククリは刀を見るのが初めてだった。長くて、細くて、月明かりで輝く刀に手を伸ばす。と、
「やあっ!」
スダッ
そんな、音がした。
そしてククリは、星空を見た。何が起きたかわからなかった。ただ、もう体はないのだ、ということだけは理解できた。声も出せないし、何も見えない。依り代である人形が壊されてしまったのだと知ったのは、つい、さっきだ。
◇
「円珠、私は妖魔なんかじゃない。ただの式神だったのよ」
長い夢の果て、円珠の隣には、いつの間にか杜波里が寄り添って座っていたのだ──。




