第二話 転校生
「じゃ、行ってくるね」
「はーい、行ってらっしゃーい」
台所から聞こえる母、しず香の声を背中に聞き、円珠は家を出た。外では父、光砂が境内の掃除をしていた。
円珠はいつものように、本殿の奥にある別棟にチラリと視線を向ける。
自転車に跨ると、雨音庵の敷地を出る。ぴり、と素肌に弱い電流のようなものが流れる感覚。結界を超えたのだ。
学校までは自転車で十五分。途中、道端に二体、道路上に一体の霊を確認した。いつものことながら、視えてしまう自分の能力を疎ましく思う。本当は誇らしく思うべきかもしれないが……この力がある限り、まともに恋愛も出来ないだろうな、などと思春期らしいことを考える。
「おはよー」
「おっす」
昇降口で一緒になったのはクラスメイトの比津井蓮と蜂須賀メイ。二人は陸上部で、付き合っている。蓮と円珠は仲のいい友人であり、この二人のイチャイチャを毎日見せられているのが、目下悩みの種である。
「おはよ」
軽く手を挙げて挨拶をすると、メイが身を乗り出し、言った。
「ねぇ、転校生来るって話、知ってる?」
「転校生?」
蓮が聞き返すと、メイはしてやったりと言わんばかりに人差し指を立てる。
「そう! 昨日部活帰りに、さっちゃん先輩が部室の鍵を職員室へ返しに行ったとき、聞いたんだって。めちゃくちゃ美人な女の子が転校してくるみたいよ?」
「へぇ」
「美人っ?」
食いついたのは蓮の方だった。メイに睨まれ、慌てて口に手を遣る。
「いや、俺はそのっ、円珠にどうかな~、と思って、だなっ」
言い訳がわざとらしい。
「言っておくけど、浮気なんかしたらただじゃすまないからねっ?」
「そんな、滅相もない!」
慌てる蓮を見て笑いながら、円珠が訊ねる。
「でも、転校生なんて珍しいね。何年生なんだろう?」
「さぁ? さっちゃん先輩の話では、大人っぽい美人だった、ってことだから……三年生かなぁ?」
「ふぅん」
話しながら教室へ向かう。すると、なにやら教室が騒がしい。
「あ、メイおはよ! ねえ、聞いたっ? うちのクラスに転校生来るって!」
クラスの女子がそう口にする。
「え? うちのクラスなの?」
三年生ではないようだ。
ざわつく教室で噂話をしていると、担任が現れ、皆が慌てて席に着く。
「えー、今日は新しくこのクラスに入ることになった転校生を紹介する」
先生に連れられやって来たのは、長い黒髪の少女……。
「ヒュ~!」
「可愛いー!」
男子生徒の野次が入り、担任が手でそれを制す。
「じゃ、挨拶を」
促され、一歩前に出ると、少女はぺこりと頭を下げた。眉の少し上で切りそろえられた前髪。艶やかなストレートの長い黒髪。白い肌にくりっとした大きな瞳。まるで日本人形のようだ。
「日暮杜波里です。よろしくお願いします」
凛としたよく通る声。にこりともせず、挨拶をする。
「じゃ、席は一番後ろの……高森の隣だな」
新しく用意された机と椅子。つかつかと杜波里が歩いてくる。その姿はなんとも妖艶で、同じ年齢とは思えない迫力があった。
「よろしく」
感情のこもっていない挨拶をされ、円珠が軽く頭を下げる。空気がピリピリするのは、彼女からの敵意なのだろうかと錯覚してしまう。
「じゃ、授業はじめるぞ~」
担任の声に、前を向く。授業中もずっと、杜波里から放たれるピリピリがなくなることはなかった。
◇
「ねぇ、日暮さんって転校する前はどこに住んでたの?」
「親の転勤とかなの?」
「部活、何か入る?」
女子というのは新しいものが好きだ。しかもその新しいものが「綺麗な転校生」ともなると、我先にと群がっては根掘り葉掘り情報を集めようとする。しかし、杜波里はそんな女生徒たちを面倒そうに一瞥し、
「親の転勤。すごく田舎から来たの。私、ちょっと気分悪いから保健室行ってくる」
と席を立ったのだ。
「え? 大丈夫? 一緒に行く?」
誰かの言葉を手で制すると、
「大丈夫。高森君が案内してくれるみたいだから」
と言った。
「……へ?」
急に名を呼ばれ、円珠がぽかんと口を開ける。
「行こう、高森君」
杜波里に促され、席を立つ。
「お、おう」
何故指名されたのかまったくわからなかったが、あの場から逃げるのに必要だったのだろう。円珠は大人しく杜波里の跡を付いて教室を出る。
「……巻き込んじゃってごめんなさいね」
廊下を歩きながら、杜波里が言った。円珠は肩を竦め、
「別に」
と返す。
杜波里はすいすいと廊下を進み、保健室までまっすぐに歩いて行った。案内を頼まれたはずの円珠は、ただ後ろを歩いていただけである。
「場所、知ってんじゃん」
だったら一人でもよかったのでは? と首を傾げると、
「あなたに用があったのよ、高森円珠君」
振り返った杜波里が不気味に笑う。ピリリと空気が震える。
「中、入って」
ガラ、と戸を開け保健室に入る杜波里の後を追う。養護教諭の姿はない。
「この時間は先生がいないの。だから私たち、二人きりよ?」
ベッドの上に腰かけて、杜波里が微笑む。何を考えているのか、まったくわからない。
「転校早々、随分大胆なナンパだな」
「あら、私みたいな子にナンパされると思ってるなんて、随分自意識過剰なのね」
簡単にやり込められてしまう。
「……なんの用?」
「あなた、ガーゴイルなんでしょ?」
円珠が目を見開く。
不浄のものを払う力を持つ者を、ガーゴイルと呼ぶ場合がある。しかしそれは、同じガーゴイルである仲間内か、もしくは敵対する者が使う言葉だ。そして目の前の少女が仲間だとは到底思えない。だとすれば……
「お前、何者だっ?」
妖魔だとするなら、とてつもない力の持ち主ということになる。魔の気配を完全に消し去れるほどの力を持つ者……。そんな相手、円珠は知らない。……いや、正確には「あいつ」しか知らないのだ。
「そんなに警戒しないでよ。私があなたを殺そうと思っていたなら、とっくにあなたは細切れになってる」
ゴクリ、と喉が鳴る。やはり杜波里は、妖魔だ。円珠が、身構える。
「私はただ、教えてほしいだけ。あの方はどこにいるのか」
ドクン、と円珠の心臓が大きな音を立てる。
「……あの方?」
「あら、今更白を切ろうって思っても無駄よ? 高森家長男、高森雨継があの方を封印したってことはわかってるんだから。そう、封印。あの方は死んでいなかった!」
「あいつ」は、対外的には死んだことになっているはずだ。それなのに、目の前の杜波里という転校生は、かなり正確な情報を持っている。どこから漏れたのか。円珠が頭をフル回転させる。どうすればいいのか。
「考えても無駄。私はすべて知ってるから。ねぇ、私をあの方に……鏡禍様に会わせて」
杜波里が「あいつ」の名を口にしたのだった。




